第九話 水面に映る眼光

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第九話 水面に映る眼光

 絶叫が木霊し、白亜の遺跡が崩壊する轟音が怒涛となって押し寄せる。  突如として現れた巨大な骸骨の上半身。  頭部に巨大な兜、肩には濃紺の肩当てをしたそれは。  あたかも偉大な戦士の亡霊が、遺跡を守る為に蘇ったかのようだった。 「生きてる奴は、逃げろッ! とにかく走れ、一歩でも遠くまで!!」  かろうじて生き延びたらしい護衛隊長のハリルが大声で指示とも言えない指示を飛ばす。  その声を聞き、動けずにいた者達もようやく悲鳴を上げて逃げ惑い始めた。  崩れた瓦礫に腕を埋めていた巨大な骸骨が再び動く。左右に分断された一団のうち数の多い方、すなわち先導していた護衛たちではなく、非戦闘員である楽士や天測家たちの側へ。  だが例え護衛たちの側へ向かっていたとしても、結果は遅いか早いかの違いでしかなかっただろう。  まともに戦況を判断できている者はおらず。腰から愛用の武器を抜いた者でさえ、降り注ぐ瓦礫を防ぐので手一杯だったのだから。  圧倒的な位階(レベル)の差。  まるで大人と子供のような体躯と膂力の差に誰もが恐慌に陥り、状況を理解できた者などどこにもいなかった。  隊の後方に立つ、一人の無表情な老人を除いては。  アサドは恐慌状態にある前方の隊を冷めた目で見つめ、自らの背後へと逃げていく者達へは一顧だにしなかった。この状況を何もかもあらかじめ予想していたかのように。  そして隣に立ち尽くし、混乱の中で蹂躙される一団の犠牲者たちから目が離せないでいたアイシャの腕をアサドは唐突に掴む。 「痛っ……!?」 「来い、『大砂海の巫女』よ」  答えなど待たずに、老アサドは老いた体とは思えないほどの力で無理やりにアイシャを引っ張っていく。  通路を曲がって遺跡の壁に遮られる前に、最後に見えた光景。それはアイシャとも何度か話したことのある楽士の少女に、巨大な骸骨が拳を振り上げている瞬間だった。  アサドは顔を苦痛に歪ませ、骸骨と一団の人々を気にかけるアイシャには目もくれない。  迷いなく角を何度か曲がり、やがて一つの小部屋の中で立ち止まった。  小部屋には中央に腰の高さほどの、白い石材で彫り出された台座があった。蔓の彫刻が施され、華美でこそないものの特徴的な印象を与えるそれは、何らか儀式で使われる祭壇のように思えた。  そう、例えば――生贄を捧げる儀式の、ような。  ハッとアサドの顔を見るアイシャに、アサドはどこまでも感情の読めない虚ろな瞳だけを向けていた。    ***  楽士だろうか。  華奢な体躯を恐怖に竦ませ、その少女は直後に訪れる自らの死を、絶望の中で受け入れてしまったように見えた。  それがアイシャと、あるいはこれまで救ってきた幾人もの『哀れな犠牲者』たちと重なって見えたから。  俺はただ、ふざけるんじゃねえぞ、と胸の中で呟いた。  轟音が炸裂する。  だがそれは、振り下ろされた骸骨の拳によるものではない。  大きな何かが骸骨の銅に当て身を仕掛けて激突し、その長大な槍にも似た衝撃が、骸骨の巨躯を勢いよく突き飛ばしたからだ。  ではその長大な槍とは何か? もちろん、俺だ。  ランス・バッシュ。体殻が成長した事で、単純な体当たりのスキルも威力は大きく向上していた。    巨大な骸骨の上体が転がり、現れたのとは逆の壁を崩落させながら突き破っていく。  その先にあったのは、美しくも時を経て忘れ去られた庭園だった。湧き出るオアシスの水源を引く水が泉にたたえられ、朽ちた水桶のヒビから流れ出して中庭のあちらこちらに溜め池が生まれている。  湧き水を求めて集ったかのように、中庭には至るところに種々の砂海の植物が青々と茂っていた。  ふと見ると、溜め池の水面に白く長く、節のある魔物の姿が映り込んでいる。  黄色い眼光に、凛とした獣のような、鋭く分厚い甲殻の雄々しい蛇体。  水面を境に鋭くこちらを睨む自分の姿を見て、俺は呵々と(わら)った。 「ハッ、悪くないじゃねえか」    ギシギシ、と耳障りな音を立てて、転がっていた骸骨の巨体が身を起こす。  白骨化した巨人のような体に、胸骨から下の部位はない。兜と肩当てと、それに手甲だけを鎧として、空洞のはずの眼窩(がんか)の奥にはらんらんとした妖しげな光が揺らめいている。  これは、魔神の眷属だ。  疑うべくもない。素体は人間の戦士のようだが、魔神の呪いによって魂を縛られ、比類なき強大なモンスターへと姿を変えられてしまっていた。  分類するならばスケルトン・キング。死霊たちの王として君臨する、骨の巨人だ。 「だが、弱ってるな。無理もない、随分長い間ここに放置されてきたんだろ」  この遺跡に足を踏み入れた人間を殺し、遺跡を守る。  それがこの眷属に与えられた命令だったはずだ。  だが主である魔神がどんな意図でそれを命じたのかはともかく、おそらくその主はもはやどこにも存在しないに違いない。大砂海やその近傍に姿を現した魔神は数多くいたが、そのいずれもが既にその時代ごとの勇者や英雄たちの手によって討たれている。  そして主を失った魔神の眷属が魔神の呪いに縛られたまま空虚に命令に従い続けることは、稀だが無い話ではなかった。この遺跡も魔神の討伐と共に忘れ去られ、今まで誰に見つかることもなく、砂漠の中でゆっくりと朽ちるのを待つばかりだったのだろう。  かつては勇猛を誇ったであろう戦士の魂がこんな形で辱められていることに、憐憫の情を覚えないでもない。彼、あるいは彼女の魂を救う方法は、一刻も早く呪いから解放してやることだけだ。 「待ってろ。今、楽にしてやる」  ギシギシギシ、と軋む骨の怪音を響かせ、不気味に燃える眼窩が俺を捉える。  予備動作なしに巨腕が持ち上がり、目視すら困難な速度で、その腕が俺に迫り――。 「『小流砂』」  ぐらり、と。  骸骨の王の体が横転し、差し出された巨腕が明後日の方向で宙を掴む。    困惑したかのように庭園の砂地に腕を突いて身を起こそうとするが、何故か再び崩れ落ちる。  その理由は、地面の砂そのものにあった。  柔らかだが、風以外の理由では動かず、しっかりと巨躯を支えていたはずの砂海の砂。  それが奇妙な動きで、ゆっくりと掻き回されるようにうごめいていたのだ。 「便利なもんだよな、土魔法ってのは。砂を泳いで流れを作るサンドワームの体と組み合わせれば、こんなことまでできちまう。特にアンタみたいなスカスカの体じゃ、踏ん張ろうにも踏ん張れないだろ?」  初めは静かに、しかし今や庭園の砂はそのすべてが勢いよく回転し始めていた。  オアシスの湧き水や砂海の植生までもを飲み込んで行動不能の渦を成す、人造の流砂。  存在上昇(レベルアップ)によって獲得したスキルの一つだが、これで小流砂だと言うのなら、成熟した個体が引き起こす大流砂となればどうなってしまうのか。  ごうごうと渦巻く庭園の中心で、ただ一つその影響を受けない術者として、俺は半身を既に砂に埋めたスケルトン・キングを見据えた。卑怯、などとは思わない。攪乱や罠を嫌うのは騎士の性分で、俺はあらゆる手を尽くして戦う在野の戦士だ。卑怯上等、出し惜しみこそ侮辱になる。  それに――いや、余計なことを考えるのはやめておこう。  悪い想像は、考えれば考えるだけ実現してしまいかねない。   「さっさと決めちまわねぇとな。砂砲、撃て!」  鎌首をもたげる俺の両脇から舞い上がった砂が、意思に従い新たな動作を獲得する。  一瞬の溜めの後に、猛烈な勢いで吐き出された砂の砲撃がガリゴリと魔神の眷属の骨を削っていく。  サンド・ブラスト。土魔法の一種であり、上級モンスターであるサンドワームが扱う厄介な高威力の魔法としても有名な代物だ。  やはり噂に聞いた成熟個体の、一撃で隊商(キャラバン)を潰滅させるというほどの威力はない。  だが並みの魔法師では再現できないほどの破壊力は、十分にあった。  (これで、倒れてくれればよし。駄目なら後は持久戦だ。バラバラになるまで砂を叩きつけて……)  もうもうと立ち込める砂煙の中、スケルトン・キングに起き上がる気配はない。  冒険者時代にも魔神の眷属と戦ったことなど数えるほどしかないが、奴が外見通りに力を衰えさせているのなら、このやり方で間違ってはいない、はずだ。  内心で冷や汗をかきながら、しかし緊張を飲み下す。  恐怖に押し潰されるのは三流、恐怖を捨てて二流。  恐怖を御して、戦意と共に両立させてこそ一流だ。  自分はまだ一流にまで至っているとは思わないが、その端に手を掛けているという自負はある。  油断などしない。隙は見せない。  そのつもりで――だが。 「……はっ?」  腕が、伸びていた。  小流砂によって撹拌される庭園の砂地、その絶え間なく荒れ狂う砂の下から。  骸骨の王そのもの、ではない。彼の気配は今も叩きつけられる砂の暴威の向こう側に感じている。  腕は、砂だ。  砂でできた骨型の腕が、ぎちりと白蛇の胴体に指先を食い込ませていた。 「が、ぐぅぅううぅううううううッ!?」  全力で身を捩り、遺跡に体を叩きつけ、俺はどうにか砂の指先を振りほどこうともがく。  だが形を持たない『砂の腕』は、一度や二度潰された程度では離れることはなく。むしろギリギリと、より強い力で締めつけ、細い体躯を握り潰そうとしていた。  バキリ、と『砂の腕』の内側で異音が響く。  外殻が割れたのだ。数秒後には、その部分から俺の体は真っ二つに引き千切られているだろう。 「くそったれッ! サンド・ブラストォォッ!!」  咆哮と共に骸骨の王に噴射されていた二門の砂の砲撃が転回し、俺の体に向かって吹きつけられる。  高圧の砂礫が体表を削る。自らの土魔法によって甲殻は一斉にヒビが入り、あちらこちらに鈍痛が走る。  それらを代償として、『砂の腕』もまた四散した。  活路を逃さず、俺は身を翻して遺跡の上へと自らの蛇身を乗り上げた。  ほどなくして、砂の砲撃が止んだことで砂煙も徐々に晴れていく。  砂埃の奥から現れる、骸骨の王。上体だけのその体は、無数の『砂の腕』によって支えられていた。  見かけは朽ちかけた骨の巨躯に。しかし傷など、一つもついてはいなかった。 『ォ……オォ……』  幻聴のような、空洞に響く亡者の怨嗟のごとき響きがヒビ割れた外殻を震わせる。  いくつかの傷は甲殻の内側にまで達していたらしい。鈍い痛みが、じくじくと頭を穿つ。  スケルトン・キング。忘れ去られた魔神の眷属は、脆弱なヒトごときに憐れまれるこの身ではないと憤怒するかのように、蒼穹(そら)を仰ぎ、吼えた。   『……ォオオォォオォォォオオオオォォオォオォォォオオオオオオッッ!!!』  魔神とは、災厄だ。  その眷属もまた、人の身では本来抗うことなど不可能な絶望の化身だ。  単体で国を一つ滅ぼすことも珍しくはない彼らを相手に(おご)った代償が、これか。  諦めることはない。死の寸前まで、屈することはあり得ない。  だが、立ち向かうことそのものが、人や砂蟲の身には余る傲慢だったとしたら。  そうして、孤独な絶望の色に染まりかける中で――澄んだ声が、とどいた。 「……砂漠の精、さん?」  崩れ落ちかけた体に、もう一度、力が滾る。    精一杯格好をつけて。  顔を出しかけた苦痛も絶望もしまい込み、おくびにも出さないままで。  年長者と男の意地を振り絞り、俺はその少女の声に答えた。 「……よぉ、アイシャ。また会ったな」
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