第一話 目覚めの砂海とサンドワーム

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第一話 目覚めの砂海とサンドワーム

「いやぁこれ、いやちょっと、どうすっかなぁ……?」  ジリジリと焼きつける灼熱の太陽の下で、俺は砂まみれになりながら自分の体を見下ろしていた。  昨日まではもう少し筋肉質で冒険者の男らしい体つきだった気がするのだが、何度見直してもその体はやけに細い。しかも長くて、妙に丸い。  皮膚の上には硬くて分厚い鱗が鎧のように白く生え揃っている。ので、印象としては格好良いで通らないこともないかもしれない。ただしその格好良さは、間違っても人間の成人男子のものではない。  世の中にはモンスターの剥製を集めて鑑賞会を開くような物好きな連中がいるそうだが、そういう怪物愛好家だか何だかにモテるタイプの格好良さだ。あまり嬉しいとは思えない。  視界を埋めるのは、陽光に輝く熱砂と蜃気楼の地平線。 世界を切り分け、上半分を占める晴天の蒼空に対し、下半分を埋めるのは薄茶色の神秘的な砂の海。  それもおそらくは大砂海という、人類の知る限り最も広大な砂漠地帯の絶景だ。  全体的なシルエットはヘビに近く、けれどもここは砂漠で、砂海で暮らす甲殻のあるヘビの噂は今の所聞いたことがない。砂漠にいるのは、そう――砂蟲だ。  頑強な甲殻を持ち、流麗なシルエットで砂の海をまるで水中のように自在に移動するモンスター。大砂海において冒険者たちに最も恐れられる存在であり、年月を経た個体は「砂海を泳ぐ龍」とも呼ばれる。  要するに。目が覚めると俺は、サンドワームになっていた。    ***  俺、グレゴリオ・ロイズは記憶にある限り、首都でも指折りの上位冒険者、には届いていない中堅冒険者だった。  連邦国家イルスの首都では、英雄だの豪傑だのが日々凌ぎを削りあっている。  田舎から出てきた力自慢くらいでは相手にもされず、どころかその日のうちに裏路地でスリに遭って泣きながら故郷を偲ぶことになるのが関の山という厳しい世界だ。  それでもどうにか田舎の力自慢から抜け出し、今では一端の戦士として、仲間と共に中堅冒険者としていつか英雄の仲間入りを夢見ている。  悩みといえばやけに大仰な名前を茶化して仲間にあだ名で呼ばれることぐらい。 「の、はずだったんだけどなぁ」  悩みというより困惑が勝り、らしくもなく弱音のような言葉が漏れる。  太陽が相変わらずさんさんと照りつけてくるので褐色の岩陰に隠れようとして、動き方がわからずに砂に埋まる。  悪戦苦闘の末に砂から這い上がる頃には、砂の感触にもだいぶ慣れてきてしまっていた。  よくできた夢だという説は、流石に自分でも信憑性に欠けるという結論が出る。  それに実のところ、この意味不明な状況にもまったく心当たりがない訳ではなかった。 「『魂の憑依』……禁断魔法ってやつなのかねぇ、やっぱり」  魂の憑依。  それは国家によって禁じられた禁断魔法の中でも、とびきりのゲテモノだ。  ネクロマンシーと呼ばれる死霊術に近く、自分や他者の魂を自在に抜き取り、入れ替えることができるという。そのインパクトの大きさから絵物語に取り上げられることも多く、英雄譚を漁れば竜や獣に憑依させられた主人公の話をいくつも見ることができる。  曲がりなりにも首都で冒険者をやっていた以上は、俺もその手の逸話を噂に聞いたことはあった。  実際に目にしたことはなかったが、古い遺構の遺物や卓越した魔術師ならそういうことが可能だというのは知っていたのだ。  なので、現状を把握した瞬間から「もしかしてこれそういうやつかなぁ」と薄々感づいてはいた。いたけども、現実を受け入れるのにはそれなりの時間が必要だったのだ。  なんせサンドワームなのだ。  ただ、半刻ほどかけて自分の現状をしっかりと認識さえしてしまえば。 「でもまぁ、なっちまったもんはしょうがないか」  意外なことに、このサンドワームの体でも喋ることはできている。  音の響きはだいぶ変わった気はするが、仕方がない。  なんせサンドワームなのだ。  仲間から『よく言えば豪胆、悪く言えば筋金入りの能天気』と評された持ち前の気楽さで、俺は当面の間はサンドワームとして生きていくことを早々に受け入れた。  さて。  最終目標はいきなりサンドワームに憑依してしまった原因を探ること、そして元の体を取り戻すことである。  とはいえそれはそれとして、ひとまず差し迫った問題というものもある。  平たく言えば、 「腹、減ったなぁ!」  きゅるるる、と分厚い甲殻で覆われているわりには若干可愛い感じの腹の虫が鳴く。目が覚めてからどのくらい経ったのかはわからないが、わけのわからない状況に頭を捻ったので栄養が足りない。  とりあえず何か食べよう。何かするのはそれからだ。  と思ったところで、はたと止まる。 「サンドワームって、何食べるんだ? ていうか、砂漠に食えるものなんてあるのか?」  イルス連邦の首都は連邦領地の北側にあり、大砂海は西の果てから領地境界線を越えて遥か西方まで広がっている。地平線まで何も見えないほどに広大な砂漠は大砂海以外にそうはない。  だから今いる場所は大砂海だろうと当たりをつけたのだが、冒険者時代に俺はほとんど大砂海に足を踏み入れたことがなかった。  せいぜいが依頼で護衛やモンスターの討伐を請け負った際に訪れたぐらいのもので、その時でさえ大砂海の端に数日だけ滞在していただけだった。  当然、学者でも何でもない一介の戦士職が砂漠の生態系に詳しいわけもない。 「暑い……喉乾いた……! くそう、水だけでもいいから飲みたい! ……ん、水?」  自分で言った台詞に何かが引っ掛かり、その直感を捨てないよう記憶の糸をたぐってみる。そしてピンと来た。 「そうだ、オアシス! 砂漠ならオアシスがあるはずだよな。そこなら水が飲める!」  いつ読んだかも思い出せない砂漠が舞台の絵物語では、オアシスという砂漠の湧き水が出てきていた。しかも確か、オアシスには水を求めて動物や隊商(キャラバン)が集まってもくるという。  上手くすれば、首都に帰って仲間達に助けを求められるかもしれない。  俺は扱い慣れない体を操って、まだ見ぬオアシスを目指しもぞもぞと砂を掻き分け始めた。  そして、体感で約一時間後。  俺は砂漠で力尽きた哀れな一体のサンドワームとなって、野垂れ死にの悲愴な覚悟を固めていた。 「だ、ダメだ、広すぎる。それに体も動かし辛いし、妙に背も低くて遠くが見えねぇ。この広い大砂海で都合よくオアシスなんて見つかるわけがなかったのか……」  不慣れなもぞもぞ運動と灼熱の太陽で、俺は早くも精魂尽きかけていた。  冒険者時代には三日間不眠不休でモンスターを狩り続けたこともあったというのに、体が変わると人はこんなにも変わってしまうものなのか。 「いや、今は人じゃなくてサンドワームか……ははは、サンドワームジョーク」  冗談を言っても、突っ込んでくれる友人はいない。不意に寂しさがこみ上げてきて、あるのかどうかもわからない目の奥がジンと滲み――その時やっと、『それ』が目に入った。 「っこれ、まさか!?」  あまりにも自然に突き立っていたので、そのまま素通りしかかっていたそれ。砂一色の大砂海にあって、砂に汚れてはいても明らかな緑の色をした何か。  絵物語にも出てきた多肉植物。  名前は確か、ラボスとか何とかだったハズだ。 「大砂海の民は、こいつが蓄えた水分を飲んで乾きを癒す! そうだよ、オアシスなんかよりコイツの方がよっぽどたくさん生えてるじゃないか!」  ぷっくりと大きく膨れたラボスの果肉は、いかにも中に水がたっぷり詰まっていますといった様子だ。表面に生えた鋭い棘も、人間だったら怖いが今のこの体なら甲殻で痛くも痒くもない。  サイズは今の俺が見上げてもてっぺんが見えないほどと驚くほど巨大だが、今はそれもありがたい。  感極まってフルフルと体を震わせながら、俺は飛びつくようにラボスにむしゃぶりつこうとして。  ――死線を何度も潜り抜けてきた戦士の本能が、寸前で体を大きく捻った。 『キイィィィィッ!!』  甲高い鳴き声が空から降り、同時に一瞬前までそこにいた砂地が大きく抉られる。爆散、といっていい勢いで吹き飛ばされた砂の煙の向こうには、宙に羽ばたく巨大な影があった。 「鳥、いや、ドラゴン……? 違うっ、コウモリか!?」  砂煙の中から大きく舞い上がり、太陽が輝く青空を飛び回るその姿は悪魔の翼。闇の眷属とも噂される、鳥でもネズミでもない奇怪な生き物、コウモリだった。 「大砂海のコウモリ、ってことは砂海コウモリか? だけどアレはもっと小さくて……」  そこまで考えて、俺はようやく大きな思い違いをしていたことに気付いた。  噂や絵物語に聞くサンドワームの巨大な姿と、あまりにもスケールの違う大砂海の光景に惑わされ、自分の今の体を見誤っていたのだ。  この体は、砂の龍と呼ばれるような最大級のサンドワームでも、どころか人間と同等のサイズでもない。砂海コウモリよりも小さい、つまりは人間の手のひらとほぼ同じ程度の体長しかないということだ。 「さしずめ手乗りサンドワームってか。幼生だったんだな、この体は」  何もかもが大きすぎる周囲の風景の謎は解けた。  だが依然として目の前の脅威、自分よりもサイズの大きな砂海コウモリは飛び去ってはいない。  けれど、不思議と既に恐怖は無かった。  おそらく何もかもが不慣れな体で、ようやく慣れ親しんだ感覚があったからだろう。  この感覚。  幾度となく命懸けで敵と死闘を繰り広げてきた――戦場の匂いだ。 『キィッ! キイイィィィィッ!』  高空へと羽ばたいた砂海コウモリが、頭部を下にして下降に転じる。  いくつかの種類の鳥型モンスターが使う動作に似た、本能が編み出した獣の技だ。  弾丸のように滑空して突撃してくる砂海コウモリを、俺はただ冷静にじっと眺めていた。  やることは一つだけ。  隙を見つけて、食い破る。  それだけだ。 『ギィッ!? キィッ……!』  気が付いた時には、バネのように全身で溜めた力を解放し、俺は一本の白い矢となってコウモリのはらわたを食いちぎっていた。  ぽすん、と小さな自分の体が柔らかな砂に受け止められたすぐ後に、力を失った砂海コウモリが砂の上に墜落する。  何度かか細い声で断末魔の鳴き声を漏らし、その獲物は焼けた砂の上で動きを止めた。  ……そして、数分後。  俺はこの世の楽園を謳歌していた。 「水うんっっまい!! いやー、ラボスさまさまだな。喉が乾いた時にかじる果物ほど美味いもんはこの世にないわ。しかも全身でラボス風呂ときたもんだ」  ふいー、と全身で掘り進んだラボスの上の方からチョコンと頭を出して、風呂に浸かって癒される犬のような格好になる俺。  まぁ客観的に見ればちょっとギザギザした青虫の方が近いかもしれないが、それはそれ。これはこれ。  今は他の視線はないのだから、思う存分生の実感を満喫させてもらおう。 「砂海コウモリ肉も……まぁ生だとちょっと血生臭いけど、食えないほどじゃないな。やっぱ味覚とかも変わってるのか?」  ラボス風呂(立体)のてっぺんから見下ろすと、倒したばかりの砂海コウモリの死骸もそこにある。  冒険者時代には食えるモンスターはその場で解体して食材にしていたものである。  料理の上手い仲間も自分の手もないので最低限の下拵えすらできないが、空腹のスパイスと変わった味覚のお陰で満腹感だけは存分に味わうことができた。 「これなら意外と悪くないかもな、サンドワーム生活?」  なんちて、と冗談交じりに、少しだけ本気で言った直後。  どこからか聞き覚えのある、美しく荘厳な声が響いた。 『神託――個体名:グレゴリオ・ロイズ。種族:サンドワーム。固有技能:アロー・バッシュ獲得。種族特性:砂泳ぎ獲得。炎熱耐性獲得。乾燥耐性獲得。体殻成長獲得。体殻、幼殻体。存在位階(レベル):2に上昇。……超えよ、栄えよ、地に吠えよ』
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