2人が本棚に入れています
本棚に追加
本編
今日も美しいな…
出水は、隣を歩く女性、雪乃の横顔を見つめていた。切れの長い目、すっと通った鼻筋、肉感的な赤い唇。横から見ても、その美しさはよく分かる。二人は、月明かりに照らされた夜道を並んで歩いていた。
「出水くんってさ、好きな子とかいないの?」
「え?」
急に訊かれ、出水は気の抜けた声をあげた。
まさか、雪乃からそんなことを訊かれるとは…少し冷静になりながら、出水は考える。
「いるよ。」
少し間をおいて、出水は答えた。
「え?だれ?!」
「言うわけないじゃん!」
つい反射的に答えてしまった。せっかくのチャンスだったというのに…
「そりゃそうだよね〜」
雪乃は納得したように言った。もう少し食い下がってくれてもよかったのにな…そんなことを考えながら、雪乃がはじめた世間話に曖昧に相槌をうつ。
ふと、出水は空を見上げた。今夜は雲ひとつ無い晴天だった。出水は昔文豪がつかったフレーズを思い出した。
「月が綺麗ですね。」
声にもならない声で言った。
「え?」
雪乃が聞き返してくる。
「月が、綺麗ですね。」
今度は、はっきりと言った。雪乃が空を見上げる。
「ええ…そうですね。」
雪乃はあっさりと答えた。まさか…知らないのか。出水の胸に不安が走る。
「あの…いまのは…」
確かめたくてしかたがなかった。
「ん?」
雪乃が不思議そうな顔をする。ほんとに、知らなかったんだな…出水は肩を落とした。
「あの、『月が綺麗』っていうのは…」
そこまで言って舌が止まった。なかなか先が言い出せない。
「やっぱりいいです……あの、明日、明日デートしてください!!」
出水は頭を下げて右手を出した。
返事は無かった。ダメか…出水が諦めて手を引こうとした瞬間、右手に柔らかい感触がした。出水は驚いて顔を上げると、雪乃が手を握り返していた。
「ええ。よろこんで。」
出水はその笑顔に頬を赤らめた。
「じゃ、また明日。」
雪乃の声がした。いつの間にか、出水の家の前まで来ていたのだ。雪乃にOKの返事をもらってから、出水はずっと上の空で歩いていた。
「あ、うん。それじゃ。」
出水は返事をする。
「またね。」
雪乃はそう言うと去っていった。
もう夜か…出水は昨夜のことを思い出す。結局、「月が綺麗」は分かってもらえなかったが、デートは楽しかった。まあいいか…雪乃とデートできたしな…
「出水くん!」
名前を呼ばれ、はっと我に返る。
そこには、悲しげの表情をした雪乃が立っていた。帰りたくなくなったのか…今日はすごく楽しそうだったもんな…出水はそう思った。
雪乃は決心したのか、出水を見上げて口を開いた。
「私ね、昨日のこと家で調べたの。『月が綺麗』ってやつ。あれ、ああいう意味だったんだ…だけどごめんね。私たちの関係でそれが無理なの、出水くんも分かってるでしょ?」
…やはりそうか…そりゃそうだよな…昨日の笑顔も、そういう意味じゃなかったんだよな…わかっていたはずなのに…出水は泣きそうになるのをぐっとこらえた。ここで涙を見せるわけにはいかない。
出水は何も言うことができなかった。
「それじゃ。」
雪乃はもう、『またね』とは言わなかった。
出水は去っていく雪乃の後ろ姿を目で追いながら、1枚の名刺をとりだした。雪乃とはじめて会ったとき、もらった名刺を。そこには、こうかかれていた。
−レンタル彼女・柊雪乃−
〜fin〜
最初のコメントを投稿しよう!