4、ニュー・ワールド

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 思い出の場所に久しぶりに行ってみたくなったのは、今日のようなわけのわからない日を過ごすのにふさわしい気がしたからだ。  鍵を開けて中に入ると、古いメリーゴーランドは撤去され、がらんとした廃墟になっていた。  隠し扉は、大人の身体ではとても狭かった。なんとか階段をのぼってたどりついた部屋は、家具類も装飾もなく、窓には色褪せたカーテンがかろうじてひっかかっていた。  床は埃だらけで、部屋のすみにメリーゴーランドの馬が首だけ転がっている。  誰がどうやって持ち込んだのだろうか、と思った。ひょっとしたらジェニかもしれない。  コハクが馬の首を見ておし黙っていると、  うさぎは自分の子ども時代について語りはじめた。  うさぎの母親は、能勢の家に雇われた家政婦だった。能勢の家の敷地内にある小さな家に、二人で暮らしていた。  母屋への出入りが許されており、おのずと能勢や能勢の兄たちと、一緒に過ごすことが多かった。  彼らの富の恩恵を受けた恵まれた子ども時代だった。しかしうさぎは幼い頃から使用人の子として「出すぎない」ことを、心にとめていた。  年上だった能勢の兄たちはそもそも比較の対象になりにくかったが、年の近い能勢に対し、気を使うことが多かった。 「能勢はいいやつだった。目立つタイプでも主張するタイプでもないから、ぼくも注意深くやっていたんだ」  能勢より秀でないよう、目立たないよう様々なシーンにおいて、わざと失敗し叱られたり笑われたりすることを選択してきた。 「それなのに能勢とは興味をもつもの、欲しいものなんかが、かぶってしまうことが多くて」  子ども時代のたわいもない恋。  後から知った。能勢が好きだった人を奪うかたちになってしまった。 「なぜそうなったのか。次は能勢の好まないような子を好きになろう、なんて、思った。なのに何の因果か、そういうことがそれからも何度かあった」  うさぎは言いにくそうに言った。 「何をやってもダメな時がある」  ある時、すべての配慮や努力が能勢にばれていると知った。  わかっていて何も言わなかった能勢に、自分の優越感や奢りを見透かされていたと、足元が崩れるような感覚がした。  それを機にうさぎは逃げるように家を出た。うさぎは能勢と、能勢の家族から離れるため軍に志願した。その後多国籍軍に配属され今にいたる。 「死んだ父が能勢の家に借金をしていてね。母と一緒に返しているんだ。軍に入ると衣食住すべてうく。給料ももらえて手っ取り早い。……なぜこんな話を急にしだしたと思ってる?」  コハクは「わからない」と正直にこたえた。 「君が何だか大変そうだから。少しは気がまぎれるかと思った」 「……ありがと」  コハクは気持ちを切り替えてうさぎに質問した。 「軍ではどんな仕事を?」 「鳥を飛ばしていた」  軍事用ドローンの実行部隊に所属していた、とうさぎは過去形で話す。  コハクの端末に通知がはいる。能勢からの着信だった。 『明日の船が、時間が変わったので報告を。13時だったのが、14時に変更になりました』  そもそもうさぎに会いに行ったのは別れを告げるためだった。ジェニが旅立ったとわかり、能勢からの提案を受けいれた。  マーサもジェニの死後は契約解除となるため、コハクといったん特区をでると言ってくれた。能勢と共に行くことに決めた。  特区の政情はどう転ぶかわからない。今まではジェニのヴィジョンに頼っていたが、もうジェニはいないのだ。 『電子チケットに表示されている出港時刻より一時間遅く出港します。公式の案内もまだ変更されていないので間違えないように』  能勢からは何度も念おしされる。 『明日はあいにく迎えに行くことができません。準備を手伝えず申し訳ない。港で待っています。気をつけて。では14時に』 「14時。わかった」  半ばうわのそらで復唱し、通話が終わるとコハクはうさぎに尋ねた。 「……うさぎはこれからどうするの。軍に戻るの?」 「軍規では、負傷するか、精神を病むか、逃亡するかじゃないと途中離脱はないんだ」  うさぎはにやにや笑いを浮かべていた。だんだんわかってきた。この笑い方をする時、うさぎは、緊張している。もしくは困っている。  コハクの服の袖についている飾り紐を、くん、と引っ張ってくる。  ためらいがちに、見つめられる。  さっきまで大胆に自分の身体を好きにしていた男と同一人物のように思えない。意図をもって身体の奥深くをいじりまわしていた指は、今はおずおずと、こちらの様子をうかがっている。 「一緒に逃げよ」 「……え」 「君を能勢に渡したくない」
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