1、世界

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 コハクが生まれた年に、はじまった戦争は、誰がスタートボタンを押したのかうやむやにしたまま、開始二か月ですぐに停戦になった。  ほとんどの人々が、自分たちが生きている時代に戦争が起こるなど半信半疑だったため、ほっと胸をなでおろした。そして安全な場所から誰かの責任を問おうとした矢先、殺し合いは再開された。その後停戦と開戦を三度も繰り返すことになる。  この春、四度目の停戦調停が行われた。しかし次にいつ戦闘が始まるか、はたして今度こそはっきりとしたピリオドを打つのか、誰にもわからない。コハクは平和を知らない。いつも戦争をやっているか、やめているか、始めようとしているかのどれかで、ニュースではいつも誰かの死がながれ、戦況はスポーツの成績のようにスコアで表示される。  コハクの記憶に残る一番大きな戦闘は、五年前の地上戦で、驚くほどたくさん人が死んだ。近所の人や友だちや家族、親戚、知り合いの知り合いがおびただしく死んだ。  コハクと祖母とアメは助かったが、住んでいた家は地区ごとごっそりと消滅した。  界隈を歩くと、一つ先のブロックがいきなりなくなり、また次のブロックには傷一つない区画が現れる。その奇妙な明確さは、まるで白と黒しか選択肢のないオセロゲームのようだった。  家を奪われることで、すでに、生存を諦めていた両親が、完全にゼロになった。  写真や形見は全て焼け、両親がどんな顔をしてどんな服を着て、どんな声でしゃべったか、日を追うごとに確信はなくなってゆく。思い出や記憶はモノや場所に宿るのだ。  アメとコハクと祖母は、命からがら小さな山小屋に身を寄せた。  それは親戚の持ち物で、街と街を隔てる山の中腹にある。祖母は、親戚にしばらくの間住まわせてほしいと手紙を出したが、宛所不明で戻ってきた。  コハクはアメとともに今もその山小屋に住んでいる。  そして毎日、陥没した道やコンクリートのガレキの上をジャンプバイクで跳び越え、走りまわっている。  この時代、サーバーがダウンしてしまえば、メールやチャットよりも早くて確実なのがジャンプバイクでの文書の伝達なのだ。  デリバリの仕事は、戦前からある。十代の子ども向けの奨学制度と連動した特別な仕事だった。  現在は、デリバリの仕事をしているもので学校に通っているものなどほとんどいない。  しかし建前の福祉的な側面だけは残っており、戦時中の今も子どもの働き口としては条件も待遇もよかった。その分競争率も激しく、コハクは採用され仕事にありつけたことに誇りをもっていた。
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