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度胸試しの寄り道のせいで、コハクが職場であるファーマシーに到着したのは、始業ぎりぎりの時間だった。
ユニフォームのつなぎを着た早番の少年たちが、壁の張り紙の前にたむろしているのを見て、コハクは察した。先ほどまでの爽快な気分も途端にしぼむ。
コハクに気づいた一人が、嬉しそうに話しかけてきた。
「コハク。ナンバーワンになった感想は?」
それほど大きな声ではなかったのに、その場にいた全員がコハクの方を振り返った。
仲間たちに前に押し出されるようにして見上げると、ランキングの一位のところに自分の名があった。
みなから祝福の言葉をかけられるが、コハクは曖昧な笑みをうかべるにとどめた。
「よう、キング、これからお前の時代だな」
重く硬いワークブーツの足音で、その場がシンと静まる。短い黒い髪、黒い瞳、身体が特別大きなわけでもないのに、人を委縮させる空気を身にまとっている。
灰谷はにやにやと笑っていた。少年たちにとって灰谷は、この小さな世界の絶対王者だった。
ランキングの貼り紙の前まで来た灰谷は、コハクの腕を乱暴につかむ。灰谷の目は有無を言わせない。コハクはいつもその黒い瞳に抗えない。
「来い」
皆の好奇に満ちた視線の中、引きずるように連れていかれ、ファーマシーの裏手まで来て、やっと灰谷はコハクの腕を離した。
「灰谷」
コハクが目でとがめたてると、灰谷は腹を抱えて笑った。
「見たか? あいつらのツラ! ケッサクだったな」
「……悪趣味」
「俺たちの仲が悪いと本気で信じてるんだからな。今頃盛り上がってるぞ。なんなら二、三発俺に殴られておくか? お前のキレイな優等生ヅラがボコボコになったら、あいつらの鬱憤も晴れるんじゃないか?」
「本当は自分が一位のくせに、なんのつもりだよ」
ファーマシーで働く少年たちは、売り上げ金とチップの総額でランク付けされ、定期的に発表がある。
ランキングが上にいけば、ファーマシーからそれとわかるタグを与えられ、優遇される。
チップは申告制だというのに、みなランキングの魔力にとりつかれており、全額をファーマシーにさしだす。自腹をきって、売り上げを過大申告するものまでいる。
「今日こそ来いよ」
灰谷はコハクのはちみつ色の髪に指をつっこみ、かきまぜた。そして小さなジャンプバイクとは比べものにならない大型マシンにまたがると、あっという間に行ってしまった。
コハクは、それを見て理解した。灰谷はデリバリの仕事を辞めるのだ。辞める者はチップを退職金がわりに総どりするのが慣例だ。灰谷の名がランキングにないのは、チップをファーマシーに納める必要がなくなったせいだ。
「コハク、大丈夫だった?」
バイクに配達物をセットしていると、何人かが声をかけてきた。
「大丈夫だよ」とだけ言おうとして、言いなおした。
「ちょっと腹を殴られたけど大丈夫だよ」
顔をしかめてみせると、みな、自分は一位にならなくてよかったという顔になる。コハクはそれを見ると、周囲をあざむいている後ろめたさと、ばかばかしいような気持ちが同時にわきおこる。
人当たりがよく、機動力も頭一つぬけているコハクは、売り上げもさることながらチップも多く、いつもランキングの上位にいた。少年たちは順位に一喜一憂する。誰が何位であるかに血眼になる。
コハクが灰谷に疎まれているような演技をするのは、灰谷からの指示だ。「おもしろいから」というのが理由だが、灰谷がコハクを守ろうとしているのは明白だ。灰谷につらくあたられていると周囲に思わせることで、コハクには嫉妬より同情の目が向けられる。
灰谷がいなくなる。それはコハクを守る盾がなくなることを意味していた。
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