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赤いアイシャドウにさよならを
すべての終わりは赤いアイシャドウだった。そのあとの私の目が腫れてしまったのを強調するかのようだった、とあとになってから思ったものだ。
思い出したくもない、と、ずず、と喫茶店でホットカフェラテをすすりながら、ぐす、と鼻まで鳴ってしまった。
まだたった、一時間たらず前の出来事である。
私は失恋した。一応、付き合っていた関係の男に振られた、というのが一番シンプルな説明。
最初からなんだかしっくりこないなぁとは思っていた。彼は私の格好があからさまに不満だったようなので。
別に派手好みとか、露出が多いとか、もしくは真逆に子供っぽいような格好を好んでいたわけじゃない。
けれど仕事が接客業なこともあって、オフィスカジュアルなんてものは滅多に着なかった。明らかに女の子ウケするようなかわいい柄のワンピースや膝丈スカート。それが毎日の仕事着。
仕事が若い女の子向けブランドの店員なのだ。私はそろそろ二十代のなかばを過ぎるところだけど、このブランドは大学生くらいの女の子や、ちょっと背伸びしたい高校生なんかがターゲット。必然的に、ちょっと幼い感じの格好が仕事着になっていたのは否めない。
それにそれに合うようなメイクもほとんど毎日していた。
まつ毛はまつエクをした上に、マスカラは濃く長く、くるっとカールするように。
アイライナーはくっきりと。リップも濃い目の赤やオレンジで、グロスでぽってり。
そしてこの終わりのきっかけになったアイシャドウも勿論、毎日なにかしらのカラーがついたものを。グリーン、ブルー、ピンク。派手ではないはず、だった。落ちついたトーンを選んでいたし、主張しすぎない控えめな使い方をしていた。
かわいらしいけど派手過ぎない。まだ若い女の子の好みをそのまま表したようなメイク。
けれどそんな服もメイクも、付き合っていた男からしたら派手過ぎたのだろう。
彼が私の格好を褒めてくれたのは、ほんの数回しかない。おまけに「オシャレじゃん」「ワンピース、カワイイね」。その程度。本音でないのは明らかだった。
嫌なふうに言えば、ただの建前や口説き文句だったのだろう。
休日の彼とのデートのときは、意識して落ちついた、大人の女性らしい服を選んだ。メイクも控えめに、ナチュラルに見えるようにした。
けれど仕事上がりに会うときはどうしようもなくて。服を全部着替えてメイクも全部しなおして、なんてしていたら夕食を食べる時間だってなくなってしまう。
そしてそういうときが一番、彼の反応は良くなかったのだ。
それでも好きだったから。合コンでの一目惚れなんてつまらないスタートだったけれど、確かに好きだったから。
彼の好みになろうと努力した。好みになれば、きっと心からかわいいと言ってくれるだろうし、もっと好きになってくれるだろうと。
けれどそれは叶わず、きっともっとちぐはぐになっていった。
その結果がこの別れ、なのだろう。
「お前、派手過ぎ。なんで目の周りが赤いんだよ。腫れてしか見えねぇし」
捨て台詞のその言葉は当たり前のように私の心に突き刺さった。お気に入りの赤いアイシャドウ。そんなふうに思われていたなんて。
あたたかいカフェラテの水面をじっと睨みつけた。
ここまで零してきた涙が、もう零れないように。
ダメだ、思い出しちゃ。
いいんだ、あんな男忘れちゃえ。
私とは合わなかっただけなんだから。
大体、別れる女相手にそんな捨て台詞吐くなんて最低じゃん。
意識して自分に言い聞かせる。
そんなふうに思っても、傷ついた心が即座に治るはずはない。好きだった気持ちまで否定できないから。
そういうところは女友達によく「優しいね」と言われるのだけど、今はあまり役に立たないようだった。
どのくらい引きずってしまうだろうかと思うとだいぶ憂鬱だった。私は割合ものごとをうじうじと長いこと抱えてしまうタイプなので。
はぁ、とため息をついた。そろそろ帰ろうと思う。カフェラテももう底のほうに少ししか残っていない。
今日は嫌な夢を見てしまいそうで、そしてまた涙してしまいそうでそれもまた私の心を憂鬱にする。
席を立って、お会計のために入り口にあるレジに向かおうとしたのだけど。
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