誰か私を殺して

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誰か私を殺して

メイとセシルが六ペンス亭に帰って来たのは、もう夜中の二時に近かった。二人共、肉体的にも精神的にも疲れ果てて、ヨロヨロしているのに、すぐに家に帰って寝床に潜り込む気持ちにはなれなかったみたい。  いつもとは逆に、二人はカウンター席に座り、私はカウンターの内側から熱い紅茶のマグを配った。 「••••••おいしい」 と、溜め息のように呟いたのはどっちだったかしら?  メイとセシルがグレイス(とジム)の家に着くと、既に明かりが消えて真っ暗だったそうだ。寝ているかも、と言うセシルをよそに、メイはしつこく呼び鈴を鳴らし続けた。 「もしかしたら、留守かも?」 「じゃあ、庭の方から回ってみましょう」 と、迷いなくズンズンと裏手に歩いて行くメイを、セシルは慌てて追いかけた。  裏口の木戸は、軽く押しただけで簡単に開いた。家に隣接したサンテラスに、小さな明かりが灯っていた。メイは小走りに近寄って、ガラスに額を押し付けて中を覗き込んだ。 「いる?」 「あ!」  一声叫んで、メイはテラスのドアに飛びついた。幸い鍵は掛かっていなかった。でもそこでメイの足は竦んで動かなくなってしまったの。  奥の扉のドアノブに、ループ状に吊るした布を首に巻き付けて、グレイスの華奢な体がぐったり伸びていた。 「ジーザス!」  セシルはメイを押しのけて室内に飛び込んだ。グレイスの体を支えて、首に巻き付いた布をかなぐり捨てた。 「メイ、救急車を呼んで下さい!」  セシルは叫んだ。でもメイは動かなかった。紙みたいに真っ白な顔で、蝋人形のように硬直していた。 「メイッ! 何をボウッと突っ立っているの! 早く電話を探して、助けを呼んで!」  悲鳴のようなセシルの声に、ようやくメイは我に返った。まるで悪夢から覚めたみたいに。助けを求めて家の中に駆け込んだのだった。 「明日の朝一番に、ジムに電話をするわ」 と私は言った。  グレイスの命に別状はないそうだ。多分、発見が早かったおかげね。今は薬で眠らされていると言うことだった••••••。  ジムとサリーの宿泊先なんか知らないけれど、サリーの携帯番号なら分かるわ。でも今すぐ連絡が着いたって、どうせ朝までは飛行機には乗れないのだから。 「••••••あの時、倒れていたグレイスの顔が、自分の顔に見えました」  唐突なメイの言葉にギョッとしたわ。 「私も死にたかった。でも私は臆病で、あの人みたいに、自分の命を絶つなんて出来なかった。だからいつも祈っていました」 「祈り?」 「誰か、誰か私を殺して下さい、って」  マグカップの紅茶を飲み干したメイの頬が、サッと刷毛で掃いたように染まった。まるで生き返る過程のように。  急にセシルが高い声でしゃくり上げだしたわ。もう、誰も彼も何だって言うのよ? 見ると蠟滴みたいな涙が、次から次に零れ落ちたわ。 「ぼく••••••僕、アリスターと別れます。今度こそ、今度こそ本当に、さよならする••••••!」 と泣きじゃくったわ。  何回目かしらね、この台詞、とはさすがに言わなかった。  今夜は皆少しばかり、正気じゃないのね。勿論、私を含めて、非日常的な出来事に遭遇して、興奮気味なの。そのくせ心の一部が、麻痺したように動いていないのが分かるわ。 「新しいお茶を淹れましょうね。それを飲んだら、少し一眠りして。そしてお日様の下で、もう一度会いましょう」  私は言った。二人は虚ろな瞳で、それでもしっかりと頷いたわ。
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