同情なんかごめんだ

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ

同情なんかごめんだ

待ち合わせの前に、少し時間が空いたので、私は迷わず六ペンス亭に立ち寄って、乾いた喉を潤すことにした。  扉を開けて、ちょっと動揺してしまったわ。勿論、顔には出していないはずだけど。だって、カウンターのいつもの席に、サリーとジムが並んで座っていたのだもの。ちなみにメイはオフで、代わりにライラがバーを仕切っている。 「あら、ルース! 久し振りねえ」  サリーがいつものように白ワインを片手に、何事もなかったように声をかけて来るから、 「おかえりなさい。どうだったの、スペインは?」 と私も普通に聞き返したわ。  予定よりも随分早いご帰還ね。日焼けする暇もなかったのね、と胸中で皮肉ったのは秘密よ。 「んー、やっぱり観光地ってどこも人ばっかりで、嫌ね」  ぼやくサリーの肩越しに、ジムが合図めいた会釈をした。困ったね、全く、とでも言いたげな苦笑いに、私は内心カッとなったわよ。  いい気なものね。あんたが若い愛人とロマンチックな旅行中、自殺しかけたあんたの女房の見舞いに行ったり、あんたに連絡して上げたりしたのを、何か勘違いしているのでなくって?  私はあんたの味方にも、共犯者になった覚えも、サラッサラありませんから!  ここに来るちょっと前に、あんたの女房から電話があったわよ。お世話になりました、ありがとう。おかげですっかり良くなりましたってね。  退院して、家に帰って来ているみたいだけど、 「でももうしばらくしたら、静養も兼ねて、私もどこか外国に行って来ようと思うの。どこがいいかしら?」 と、はしゃぐ声が不自然で、怖かったわ。 「そうね、気候が良くって、あまり遠くない国がいいわね。そうね、スペインなんてどうかしら? ホホホホ!」  冗談なのか本気なのか。内心ギョッとしたけれど、一応一緒に笑っておいてから、受話器を置いた。  私は、もうすでに酔いが回って、その髪と同じくらい真っ赤に染まったサリーの顔を盗み見た。  楽しそうにしてみせているけど、どこまで本気なのだか。  すべて世は事も無し、とは行かなそうね。  喉を軽く潤してから、私は六ペンス亭を後にした。  日が落ちて、海の風は少し肌寒いくらいだけど心地良くもある。海を見ながらゆっくり歩いていると、ちょうど通りの向かいに停まった車から、バーティが降りて来るところだった。すぐに彼は私に気づいて駆け寄って来た。 「ちょうど良かった。今着いたところだったんだ」 「あの車はあなたの?」 「ううん、泊めてもらっている友達の」 とバーティは走り去る車に手を振った。 「元気にしていた?」 「うん。連絡くれてありがとう、ルースおばさん」  昨日、バーティの妹のコーデリアを介して連絡を取ってもらったの。レイチェルの居場所を伝える為にね。ミスター•ハッピーには勿論、誰にも内緒よ。コーデリアは、父とド派手な喧嘩をして家出中のお兄さんに、とても同情的で、親には言わずに連絡を取り合っていたことは、キアラを通して知っていた。だからきっと協力してくれると思ったの。  私としたら、レイチェルの居場所を教えたら、ミッション終了、その先は関わるつもりはなかったの。だけどバーティの方から会って話したいと頼まれて、家出中だけどこっそり村に帰って来ることになったの。  私達は浜辺を歩きながら話す事にした。 「レイチェルの居場所のこと、どうやって知ったのかは聞かないで頂戴ね。ごめんね」 と、先に断っておくことにした。 「いいよ。どうせあの親父関連でしょ? 何となく想像つくよ」  バーティは笑いながら言った。 「おばさんが言えない理由もね」 「レイチェルには会えたの?」 「うん••••••。実はまだ会いに行っていない」 「あ、そうなの」  ちょっと拍子抜けしちゃったわ。私はてっきり、電話を置いた途端、猛烈に駆けつけたことかと想像していたのに。 「••••••これからどうしようか、俺分からないんだ。もうそろそろロンドンに帰らないと行けないのにさ。仕事は休ませてもらったきりだし、課題だってやらないとまずいしさ」  バーティはとても困っているようで、でもその言い分はあまりに身勝手で、さすがの私もムッとしたわ。 「それじゃレイチェルはどうなるのよ? このまま知らん顔して、ロンドンに帰っちゃうつもり?」 「いや、でも、ちゃんと話しをしようとしても、避けていたのはあっちだよ。結婚しようって言ったら、こんなふうに逃げ出しちゃうしさ。もうこれ以上、俺にどうしろって言うんだろう?」 と、彼は重たい溜め息をついた。 「いつまでもこんなことやっていられないんだよ」 「何言っているのよ! バーティ、あんたがこんな子だとは思わなかったわ! 彼女のお腹には誰の子が入っていると思っているの!」  いい加減、寛容な私だって堪忍袋の緒が切れるわよ! 女を何だと思っているの? 大体ね、どうしてこんなに自分勝手な男共が大勢、この世に蔓延っているのよ!  レイチェルのお腹で育っている子供の責任は、少なくとも半分はあんたでしょうが! 「え? 俺じゃないよ」 「何ですって••••••?」 「言わなかったっけ?」 「聞いていません!」 「あれ?そうなんだ。あはは。そっか。だからおばさん怒っていたんだ。そりゃそうだよな」 とバーティはゲラゲラ笑い始めて、私は増々ムカッとしたわよ。 「でも、あなた達恋人同士なんでしょう? だから」 「恋人? いやいや、それはない!」 「じゃあ何だってプロポーズなんてするのよ!」 「いや、本当に。何でだろうね? その場の勢い?」 と考え込む姿はふざけているようにしか思えなかったけれど、本人は至って真面目なのよ。  こっちはすっかり脱力しちゃったわ。 「ちょっと、もう。訳が分からないわ、ルースおばさんには。ちゃんと一から話して頂戴よ」 「うん。俺、おばさんに相談に乗って欲しくてさ。だからわざわざ来てもらったんだ」  つまりバーティの話しを総合するとね、レイチェルのお腹の子供の本当の父親は、バーティが友達とシェアしている家に出入りしている、学生仲間らしいのよ。  らしい、と言うのは、レイチェルには他にも幾らか心当たりがあって、ただ確率が一番高いのがその男だから、という訳。ハー、もう溜め息が出るわね。  もっとも、相手の男にも胸に覚えが、無くもなかったのでしょうね。レイチェルの妊娠を知った途端、姿を晦ましたそうだから。  ご立派なクズだこと。レイチェルのお尻の軽さにもだけど、そんな男を相手にしたことにも呆れるわ。でも本気じゃなかったのね。バーティ達が男の行方を躍起になって捜しているのを横目に、自分はさっさとスラウデンの実家に帰って来ちゃったのだから。  レイチェルを追いかけて村に帰って来たものの、レイチェルはずっとバーティを避けていて、碌に話しも出来なかったそうだ。 「俺は、レイチェルが子供を堕ろすつもりで、家に戻ったんだと思っていたんだけど••••••」 とバーティは言った。  けれどいつの間にかお腹もせり出して来ていて、乏しい知識で考えてみても、もう子供を始末出来る時期は過ぎてしまっている。 「俺達、結婚しようか?」  レイチェルが子供を産むつもりだと気づいた時、そんな言葉が口をついて出て来た。  あ、大変なことを言ってしまった•••! と、自分でも顔色が変わるのが分かるくらいだった。 「それで、レイチェルは何と答えたの?」 「滅茶苦茶、怒鳴られた。ふざけるな、冗談でも笑えないって」  ••••••まあ、確かに。私がレイチェルでも飛び上がって喜べないと思うわ、そんなプロポーズ。  ろくでもない男の子を身籠って、大好きな人からお情けのように、結婚申し込まれても、ねえ••••••? 自業自得とは言え、ふざけんなって当たり散らしたくもなるでしょうよ。  それくらいみじめな状況ですもの。 「ふざけているつもりなんか、なかったんだけど」 「じゃあ本気なの? 本気であの子を奥さんにして、お腹の子供の父親になってあげるつもりなのね? そんな簡単に出来ると思っているの? あなたにもガールフレンドがいるのじゃないの?」 「ちょっと、そんないっぺんに聞かないでよ、ルースおばさん」 「あら、ごめんなさいね」  だって聞きたいことでいっぱいなんですもの。気が急くのよ。そういう性質なの。年頃なの。 「で、どうなのよ?」  バーティはハーッと溜め息をついた。 「分からないよ。でも他にいい方法もないしさ。そうするのが一番いいと思うんだ、レイチェルには。それと俺、今彼女居ないし」 「あなたはレイチェルが好きなの? つまり一人の女性として」 「それはないです」  これだけはきっぱりと答えてくれたわよ。 「嫌いな訳じゃないよ。寧ろ、とても大切だと思っているよ。小さい頃から一緒にいるしね。コーデリアと同じように思っているよ」 「あなたは馬鹿なの? 妹のように大事な女の子と結婚してどうするつもりなのよ?」 「いや、それは時間が解決してくれるかな。うん」  まさかバーティがこんな考えなしの、いいえ、こんなおバカな子だとは思わなかったわ••••••! 「って思っていたのだけど」 と急に声のトーンが変わったわ。 「分からなくなったんだ。結婚しようって、申し込んだ次の日に、あいつは何も言わないで出て行っちゃった。おばさんに居場所を聞いて、すぐ駆けつけようと思ったけど、止めたんだ。おばさん、俺、嫌われているのかな?」 「それは無いと思うわよ」  私は即答したわ。レイチェルがバーティを嫌いになる事だけは、有り得ないから。 「それでもやっぱり、迷惑には思われているんだよな。だから話しもしてくれないし、逃げるし••••••」 「ねえ。しばらく放っておいたら? 少し離れて、考えてみるのも悪くないと思うわよ、お互いの為に」  私はそんな提案をしてみた。 「でもさ、俺が居ない間に何かあったら、どうしよう••••••?」 「二人共、携帯電話くらい持っているのでしょう? ちょこちょこメッセージくらい送ったらいいじゃない。何か会ったら連絡くらいくれるわよ。それにね、レイチェルが出て行ってしまったのは、彼女本人の意志だから。ここからは彼女の責任なのよ。あの子自身も、お腹の赤ちゃんのことも」 「それはおばさん、何だか寂しい考えじゃない?」 「寂しいも何も、あの子は近いうちに母親になるのよ! あなたが居ようが居まいが、寂しいなんて言っていられないでしょうが! その手助けをしてやりたいのなら、まず自分がどうしたいのか決めなさい。中途半端に関わるのは、レイチェルにも迷惑よ」 「うん••••••」  不承不承だけど、バーティは頷いた。 「多分、おばさんが正しいのだと思うよ。俺、このままロンドンに帰って、良く考えてみるよ。しばらく親父さんと顔を合わせるのも気まずいしね」 「帰る前に、仲直りして行かなくていいの?」 「いや、それだとレイチェルの事とか全部説明しなきゃいけないしさ。大丈夫! 喧嘩したって親子なんだからさ、後で分かってくれるって」 とバーティは実に気軽に言ってのけて、私は思わずミスター•ハッピーに同情してしまったわ。今頃、一人息子が若い女を孕ませたと思い込んで、夜も眠れないくらい心配しているだろうに。第一、警察沙汰一歩手前の大喧嘩をしたって、子供は「親だから」許されることを当然としているのだから。  それでも言わずいられないわ。 「近いうちに、レイチェルの様子を見に行くわ。ちゃんと気に掛けておくから」  お節介なのよ、私は。困ったものだと思うけど、今更変えようったって手遅れだわ。 「ありがとう、ルースおばさん」  健やかな笑顔を残して、バーティはロンドンに帰って行ったわ。  やれやれ、これからどうなるのかしらね?  でも、そんなに悪い感触はしない、と言うのは楽天的に過ぎるかしら?  これから五年か六年くらいしたら、子供を連れたバーティとレイチェルが村に戻って来るような気がするの。  もしかしたら、もう一人か二人くらい増えた子供も一緒にね。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!