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同情なんかごめんだ
待ち合わせの前に、少し時間が空いたので、私は迷わず六ペンス亭に立ち寄って、乾いた喉を潤すことにした。
扉を開けて、ちょっと動揺してしまったわ。勿論、顔には出していないはずだけど。だって、カウンターのいつもの席に、サリーとジムが並んで座っていたのだもの。ちなみにメイはオフで、代わりにライラがバーを仕切っている。
「あら、ルース! 久し振りねえ」
サリーがいつものように白ワインを片手に、何事もなかったように声をかけて来るから、
「おかえりなさい。どうだったの、スペインは?」
と私も普通に聞き返したわ。
予定よりも随分早いご帰還ね。日焼けする暇もなかったのね、と胸中で皮肉ったのは秘密よ。
「んー、やっぱり観光地ってどこも人ばっかりで、嫌ね」
ぼやくサリーの肩越しに、ジムが合図めいた会釈をした。困ったね、全く、とでも言いたげな苦笑いに、私は内心カッとなったわよ。
いい気なものね。あんたが若い愛人とロマンチックな旅行中、自殺しかけたあんたの女房の見舞いに行ったり、あんたに連絡して上げたりしたのを、何か勘違いしているのでなくって?
私はあんたの味方にも、共犯者になった覚えも、サラッサラありませんから!
ここに来るちょっと前に、あんたの女房から電話があったわよ。お世話になりました、ありがとう。おかげですっかり良くなりましたってね。
退院して、家に帰って来ているみたいだけど、
「でももうしばらくしたら、静養も兼ねて、私もどこか外国に行って来ようと思うの。どこがいいかしら?」
と、はしゃぐ声が不自然で、怖かったわ。
「そうね、気候が良くって、あまり遠くない国がいいわね。そうね、スペインなんてどうかしら? ホホホホ!」
冗談なのか本気なのか。内心ギョッとしたけれど、一応一緒に笑っておいてから、受話器を置いた。
私は、もうすでに酔いが回って、その髪と同じくらい真っ赤に染まったサリーの顔を盗み見た。
楽しそうにしてみせているけど、どこまで本気なのだか。
すべて世は事も無し、とは行かなそうね。
喉を軽く潤してから、私は六ペンス亭を後にした。
日が落ちて、海の風は少し肌寒いくらいだけど心地良くもある。海を見ながらゆっくり歩いていると、ちょうど通りの向かいに停まった車から、バーティが降りて来るところだった。すぐに彼は私に気づいて駆け寄って来た。
「ちょうど良かった。今着いたところだったんだ」
「あの車はあなたの?」
「ううん、泊めてもらっている友達の」
とバーティは走り去る車に手を振った。
「元気にしていた?」
「うん。連絡くれてありがとう、ルースおばさん」
昨日、バーティの妹のコーデリアを介して連絡を取ってもらったの。レイチェルの居場所を伝える為にね。ミスター•ハッピーには勿論、誰にも内緒よ。コーデリアは、父とド派手な喧嘩をして家出中のお兄さんに、とても同情的で、親には言わずに連絡を取り合っていたことは、キアラを通して知っていた。だからきっと協力してくれると思ったの。
私としたら、レイチェルの居場所を教えたら、ミッション終了、その先は関わるつもりはなかったの。だけどバーティの方から会って話したいと頼まれて、家出中だけどこっそり村に帰って来ることになったの。
私達は浜辺を歩きながら話す事にした。
「レイチェルの居場所のこと、どうやって知ったのかは聞かないで頂戴ね。ごめんね」
と、先に断っておくことにした。
「いいよ。どうせあの親父関連でしょ? 何となく想像つくよ」
バーティは笑いながら言った。
「おばさんが言えない理由もね」
「レイチェルには会えたの?」
「うん••••••。実はまだ会いに行っていない」
「あ、そうなの」
ちょっと拍子抜けしちゃったわ。私はてっきり、電話を置いた途端、猛烈に駆けつけたことかと想像していたのに。
「••••••これからどうしようか、俺分からないんだ。もうそろそろロンドンに帰らないと行けないのにさ。仕事は休ませてもらったきりだし、課題だってやらないとまずいしさ」
バーティはとても困っているようで、でもその言い分はあまりに身勝手で、さすがの私もムッとしたわ。
「それじゃレイチェルはどうなるのよ? このまま知らん顔して、ロンドンに帰っちゃうつもり?」
「いや、でも、ちゃんと話しをしようとしても、避けていたのはあっちだよ。結婚しようって言ったら、こんなふうに逃げ出しちゃうしさ。もうこれ以上、俺にどうしろって言うんだろう?」
と、彼は重たい溜め息をついた。
「いつまでもこんなことやっていられないんだよ」
「何言っているのよ! バーティ、あんたがこんな子だとは思わなかったわ! 彼女のお腹には誰の子が入っていると思っているの!」
いい加減、寛容な私だって堪忍袋の緒が切れるわよ! 女を何だと思っているの? 大体ね、どうしてこんなに自分勝手な男共が大勢、この世に蔓延っているのよ!
レイチェルのお腹で育っている子供の責任は、少なくとも半分はあんたでしょうが!
「え? 俺じゃないよ」
「何ですって••••••?」
「言わなかったっけ?」
「聞いていません!」
「あれ?そうなんだ。あはは。そっか。だからおばさん怒っていたんだ。そりゃそうだよな」
とバーティはゲラゲラ笑い始めて、私は増々ムカッとしたわよ。
「でも、あなた達恋人同士なんでしょう? だから」
「恋人? いやいや、それはない!」
「じゃあ何だってプロポーズなんてするのよ!」
「いや、本当に。何でだろうね? その場の勢い?」
と考え込む姿はふざけているようにしか思えなかったけれど、本人は至って真面目なのよ。
こっちはすっかり脱力しちゃったわ。
「ちょっと、もう。訳が分からないわ、ルースおばさんには。ちゃんと一から話して頂戴よ」
「うん。俺、おばさんに相談に乗って欲しくてさ。だからわざわざ来てもらったんだ」
つまりバーティの話しを総合するとね、レイチェルのお腹の子供の本当の父親は、バーティが友達とシェアしている家に出入りしている、学生仲間らしいのよ。
らしい、と言うのは、レイチェルには他にも幾らか心当たりがあって、ただ確率が一番高いのがその男だから、という訳。ハー、もう溜め息が出るわね。
もっとも、相手の男にも胸に覚えが、無くもなかったのでしょうね。レイチェルの妊娠を知った途端、姿を晦ましたそうだから。
ご立派なクズだこと。レイチェルのお尻の軽さにもだけど、そんな男を相手にしたことにも呆れるわ。でも本気じゃなかったのね。バーティ達が男の行方を躍起になって捜しているのを横目に、自分はさっさとスラウデンの実家に帰って来ちゃったのだから。
レイチェルを追いかけて村に帰って来たものの、レイチェルはずっとバーティを避けていて、碌に話しも出来なかったそうだ。
「俺は、レイチェルが子供を堕ろすつもりで、家に戻ったんだと思っていたんだけど••••••」
とバーティは言った。
けれどいつの間にかお腹もせり出して来ていて、乏しい知識で考えてみても、もう子供を始末出来る時期は過ぎてしまっている。
「俺達、結婚しようか?」
レイチェルが子供を産むつもりだと気づいた時、そんな言葉が口をついて出て来た。
あ、大変なことを言ってしまった•••! と、自分でも顔色が変わるのが分かるくらいだった。
「それで、レイチェルは何と答えたの?」
「滅茶苦茶、怒鳴られた。ふざけるな、冗談でも笑えないって」
••••••まあ、確かに。私がレイチェルでも飛び上がって喜べないと思うわ、そんなプロポーズ。
ろくでもない男の子を身籠って、大好きな人からお情けのように、結婚申し込まれても、ねえ••••••? 自業自得とは言え、ふざけんなって当たり散らしたくもなるでしょうよ。
それくらいみじめな状況ですもの。
「ふざけているつもりなんか、なかったんだけど」
「じゃあ本気なの? 本気であの子を奥さんにして、お腹の子供の父親になってあげるつもりなのね? そんな簡単に出来ると思っているの? あなたにもガールフレンドがいるのじゃないの?」
「ちょっと、そんないっぺんに聞かないでよ、ルースおばさん」
「あら、ごめんなさいね」
だって聞きたいことでいっぱいなんですもの。気が急くのよ。そういう性質なの。年頃なの。
「で、どうなのよ?」
バーティはハーッと溜め息をついた。
「分からないよ。でも他にいい方法もないしさ。そうするのが一番いいと思うんだ、レイチェルには。それと俺、今彼女居ないし」
「あなたはレイチェルが好きなの? つまり一人の女性として」
「それはないです」
これだけはきっぱりと答えてくれたわよ。
「嫌いな訳じゃないよ。寧ろ、とても大切だと思っているよ。小さい頃から一緒にいるしね。コーデリアと同じように思っているよ」
「あなたは馬鹿なの? 妹のように大事な女の子と結婚してどうするつもりなのよ?」
「いや、それは時間が解決してくれるかな。うん」
まさかバーティがこんな考えなしの、いいえ、こんなおバカな子だとは思わなかったわ••••••!
「って思っていたのだけど」
と急に声のトーンが変わったわ。
「分からなくなったんだ。結婚しようって、申し込んだ次の日に、あいつは何も言わないで出て行っちゃった。おばさんに居場所を聞いて、すぐ駆けつけようと思ったけど、止めたんだ。おばさん、俺、嫌われているのかな?」
「それは無いと思うわよ」
私は即答したわ。レイチェルがバーティを嫌いになる事だけは、有り得ないから。
「それでもやっぱり、迷惑には思われているんだよな。だから話しもしてくれないし、逃げるし••••••」
「ねえ。しばらく放っておいたら? 少し離れて、考えてみるのも悪くないと思うわよ、お互いの為に」
私はそんな提案をしてみた。
「でもさ、俺が居ない間に何かあったら、どうしよう••••••?」
「二人共、携帯電話くらい持っているのでしょう? ちょこちょこメッセージくらい送ったらいいじゃない。何か会ったら連絡くらいくれるわよ。それにね、レイチェルが出て行ってしまったのは、彼女本人の意志だから。ここからは彼女の責任なのよ。あの子自身も、お腹の赤ちゃんのことも」
「それはおばさん、何だか寂しい考えじゃない?」
「寂しいも何も、あの子は近いうちに母親になるのよ! あなたが居ようが居まいが、寂しいなんて言っていられないでしょうが! その手助けをしてやりたいのなら、まず自分がどうしたいのか決めなさい。中途半端に関わるのは、レイチェルにも迷惑よ」
「うん••••••」
不承不承だけど、バーティは頷いた。
「多分、おばさんが正しいのだと思うよ。俺、このままロンドンに帰って、良く考えてみるよ。しばらく親父さんと顔を合わせるのも気まずいしね」
「帰る前に、仲直りして行かなくていいの?」
「いや、それだとレイチェルの事とか全部説明しなきゃいけないしさ。大丈夫! 喧嘩したって親子なんだからさ、後で分かってくれるって」
とバーティは実に気軽に言ってのけて、私は思わずミスター•ハッピーに同情してしまったわ。今頃、一人息子が若い女を孕ませたと思い込んで、夜も眠れないくらい心配しているだろうに。第一、警察沙汰一歩手前の大喧嘩をしたって、子供は「親だから」許されることを当然としているのだから。
それでも言わずいられないわ。
「近いうちに、レイチェルの様子を見に行くわ。ちゃんと気に掛けておくから」
お節介なのよ、私は。困ったものだと思うけど、今更変えようったって手遅れだわ。
「ありがとう、ルースおばさん」
健やかな笑顔を残して、バーティはロンドンに帰って行ったわ。
やれやれ、これからどうなるのかしらね?
でも、そんなに悪い感触はしない、と言うのは楽天的に過ぎるかしら?
これから五年か六年くらいしたら、子供を連れたバーティとレイチェルが村に戻って来るような気がするの。
もしかしたら、もう一人か二人くらい増えた子供も一緒にね。
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