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微睡
『刹那さんさ、たまにはうちに来てよ。あの家、ひとりじゃ広すぎるからさ』
なんとなく累くんと会いたくなくて時間をずらしてお見舞いを続けていた1週間後に累くんからそう電話があった。
久しぶりに訪れた本田家は住人が減ったからかどこか寂しげだった。
「久しぶり」
インターホンを押そうとすると待っていたかのように累くんがドアを開けて声をかけてくれた。
そのおかげで私もいつものように笑顔で返せる。「久しぶり」と。
「来てくれてありがとう」
累くんはまた少し大人びたような笑みを浮かべる。それは私を諭すような流星みたいな笑顔で、早くここから去ってしまいたくなった。
でも今日累くんのために持ってきたものは手間のかかる物ばかりだ。
「最近ちゃんと食べてる? ご飯作ってくね」
「うわ、まじ? ありがとう! 最近コンビニばっかで」
「それは良くないね」
まあ人のことは言えないかもしれない。私も以前に比べると手料理をする機会はめっきり減ったから。まあここ5年ほどはほとんど本田家にお世話になっていたのだけど。
「もしかしてカレー?」
私の持っていたエコバックを手に取って中身を見た累くんが嬉しそうに問いかけた。
「うん」
「アハハ、何人分作る気だよ」
「全部カレーに使うわけないよ。肉じゃがとーきんぴらとー」
「そんなに食えるかな俺!」
それでも累くんが笑ってくれたから、作り甲斐がある。料理が一通り出来上がると彼は「今日はどれ?」と嬉しそうに笑った。
「好きなのでいいよ」
「じゃ、カレー!」
「はいはい」
「よっしゃ」
「洗い物はよろしくね」
「げ。まじか」
急に時が巻き戻ったみたいで、気がつくと3枚目のお皿を手に取っていた。慌てて2皿戻しライスにカレーをかけていく。
「刹那さんも一緒に食べてってよ」
拗ねた瞳が、流星みたいな瞳が私を見てくる。今はそれに甘えたくて彼の言葉に甘えることにした。心にいくつも言い訳をしながら。
でもやっぱり、一人で食べる味のしないご飯より、誰かと食べる方がずっと嬉しいんだなって流星と出会う前ぶりに思った。
「刹那さんさ、無理してない?」
スプーンにいっぱいカレーライスをすくう累くんは、口に入れる前にそう聞いてきた。
「なんで?」
「毎日兄貴の見舞いに来てくれるし、お袋のとこにも行ってくれてるし。休みの日何してんのかなって」
「あ、ああそんなこと。最近は流星に会いに行くのが楽しみかな」
「そ、っか。……よかった」
笑顔の累くんを見れて、私もよかった。
流星が今の私を見たらきっと「刹那のウソ顔がまた出た!」とか言ってくるだろうから。
「俺がさ、せめて成人してたらこんな迷惑かけないで済んだのにな……」
それでも、彼にも思うところはあるのかもしれない。迷惑なんて、思わないのに。
「あのね、累くん。急いで大人になんてならなくていいんだよ。今の累くんでベストなんだよ。だってきっと、今の累くん見たらお母さんも流星もびっくりしちゃうよ」
少し間を開けて「そうかな」と照れたように笑う姿はまだ幼さがあって安心する。このまま時が止まってしまえばいいってくらいに。
芽衣子ちゃんがいてくれてよかった。彼女がいるから累くんもきっと倒れないでいられるんだろう。
私だって流星といると急ぎ足なのがいつの間にかゆっくりになって。
そう、まるで子供でいいって言われてるみたいだった。
「じゃ、洗い物よろしくね」
「えー」
食べ終わって洗い物を指示すると彼は頬を膨らませた。思わず彼の頬に手が伸びてしまう。その手を慌ててひっこめた。
「じ、じゃあね。しっかり食べるんだよ」
「? うん。刹那さんもね」
玄関まで彼が送ってくれて、ドアに手をかけると彼が笑っていて。
「流星……」
ひとつ高い位置にいる彼を、気がついたら抱きしめていた。骨ばったその身体も目元も愛しくて。
「刹那さ……」
流星より少し高い声に驚いて、突き飛ばすようにして累くんから離れた。
夢から覚めてしまったようで恐怖が駆け巡ってくる。
私、いつから累くんを流星と重ねてたの?
「ご、ごめんね。間違えちゃった。ほんと……大人っぽくなったね」
いそいそと「ごめんね」をもうひとつつけ足して靴を履き本田家を出る。
恥ずかしい。
累くんの視線が背中に刺さってるみたい。
ごめんなさい、ごめん、ごめんね。
最低だよね。
走ったら渋谷駅にいつの間にか着いていて、怖くてしばらくホームのベンチに座っていた。
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