番外編 宙を駆けるつま先

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番外編 宙を駆けるつま先

「刹那のスーツ可愛い!」 「でしょ?」  心機一転。  黒髪ロングのストレートにシックなリクルートスーツは、大人の階段を上る正装だ。  就活を始めるにあたって、明るく染めていた色を戻して、パーマもやめた。 「でも当分刹那のふんわりヘア見れないのか~」 「流星も黒髪にしたら?」 「俺は地毛が明るいの!」  ちょっと伸びた刈り上げをもしゃもしゃすると、もっとと頭を押し付けてくる。  つむじがひょっこり顔を出して、押してやると「縮む!」と言いながら私の頬を引っ張った。 「の~び~る~」 「アッハハ! 刹那のアホ面好きー!」  バカにしてるのか、惚れてるのか。  呆れながらつねり返すと、俺はそんな強くやってないと涙目になった。 「今日は何社受けるの?」 「3社!」 「本命は?」 「来週! 刹那は?」 「私は悩み中~」  就活前の束の間カフェデートは、タイマーでもかけてないといつまでも一緒にいてしまいそう。 「あ、そろそろ行かないとだ」 「じゃあまた明日か~」 「ん!」  肯定だと思って就活バックを手に取り顔を上げると、唇を尖らせて拗ねる彼がいた。  しばし悩んでなるほど、と軽く唇をすぼめて拗ねた唇に押し付けた。 「流星、ファイト!」 「えへへ、うん! へへ」  自分からねだってきたくせに。自分で照れるなんてね。  それから時が過ぎて夏になると、ようやく互いの就職先が決定した。 「刹那のスーツ可愛い!」 「はいはい」  流星の家で明日の内定式前のデート。  もううんざりするほどの「スーツ可愛い」に適当にあしらうようになってしまった。 「でも刹那は広がるスカートの方が似合うなあ」 「流星はただ中身を見たいだけでしょ」 「えへへ」 「えへへじゃないし」  ベッドに腰かけると、間もなく彼が抱きしめてくれる。  その指先が私の黒髪をすくった。 「髪戻さないの?」 「流星はさっさと刈り上げ復活だよね」 「ツーブロック!」 「はいはい」  膨らんだ頬をつぶしてみると、情けない音が出て可笑しい。 「染めないの? パーマかけないの?」 「しないしない。新卒でそんなのしたら絶対白い目で見られるもん」 「えー」 「ちゃんとした社会人になって自立してからのお楽しみね」 「えーうん」  少しの間ができたと思ったら、流星がさっきより強く抱きしめてくる。 「はい! もうちゃんとしたし自立した! パーマかけ行こ!」 「バカなの?」  ショックを受けたような流星にこちらは呆れモードだ。 「あ、私そろそろ帰るね」 「え、もう?」 「明日内定式でしょ。支度しなくちゃ!」 「そんなん適当でいいだろー」  また膨らんだほっぺをつぶしながら笑いかける。 「また明後日ね!」 「……うん……送る」 「玄関まででいいからね」 「いや、駅まで送る!」  「渋谷は危ない街だからな!」と付け足しながらエスコートするように扉を開けてくれた。  大げさなんだから。 「あ」 「あ、累くん。……と、芽衣子ちゃんも!」 「こんちは! 刹那さん!」  明るい笑顔で累くんの後ろから顔を出す。  彼の手にある袋の中身から、思わず変な想像をしてしまう。 「あの、ほ、ほどほどにね」 「分かってるって。サルじゃないんだから」 「サルじゃん」  累くんの腕をつねり睨みつける芽衣子ちゃんは怒りが溜まってるみたいだ。 「兄貴の部屋泊まらねえの?」 「うん? まさか。帰るところ」 「なんだ。もう4年目だしいい加減ころ合いかと思った」 「刹那は累とちげーの! ちゃんとしてんの!」  私の肩越しに赤い顔で否定する流星の姿に、これじゃあどっちが兄か分からないな、なんて苦笑してしまう。 「おにーさん良いなあ、優しくて」 「兄貴なんてただのアホだよ」 「そうそう、流星は根性なしだから」 「急にディスるなよ!」 「てか刹那さん、今度聞いてくださいよ! 累ってばまた浮気……」 「大事なのはメイだけだし良いじゃん」  「よくない!」と激怒する芽衣子ちゃんをなだめつつ、また浮気かあとため息が出る。  流星から聞いた話だと、累くんは酷い浮気性らしい。 「累くん、芽衣子ちゃんに無理させないでね」 「無理なんてしてないよな?」 「ハア?! 超! してるんですけど?!」  せっかくさっきの言葉で落ち着きかけた芽衣子ちゃんの熱も勢いよく上がる。  だめだこりゃ、とため息をつくと、流星がちょっと嬉しそうにささやいてきた。 「あ、刹那。帰るんじゃなかったの?」 「あ! そうだ、明日の自己紹介の練習しなくちゃ!」 「言わなきゃ良かった……」  期待を裏切ってしまったせいで肩を落とす流星に、ちょっと申し訳なくなる。  もうちょっと待っててね。  きっともうちょっとで、大丈夫になるから。  そう思いながら急いで1階に降りていく。 「刹那ちゃん、帰るのー? ごはんあるわよ、麻婆豆腐!」 「まじ? やったー!」  歓声を上げたのは流星だ。 「それすっごい辛いやつ! ごめんなさいお母さん、また来ますね。流星、私の分もよろしく」 「おう! まかせとけ!」  貧相な力こぶを見せながら、流星はとっても嬉しそう。  本田家特製、激辛麻婆豆腐。  辛いのが苦手なのが恨めしくなっちゃう。  スクエアトゥの黒いパンプスを履いて、玄関のドアを開けると流星もサンダルでついてきた。 「明日会えねえの?」  段差のせいでいつもより高い位置から、流星の声が降ってくる。  マーボで気が変わるくせに、寂しがり屋なんだから。  自然と上がった口角がなんだか自分で憎らしいけど、優しく彼のもみあげあたりを撫でる。 「じょりじょり好き」 「ん~、俺も!」  手を放してジャケットのポケットからガラケーを取り出す。 「会えそうだったら電話する!」 「やった!」  背中が寂しい。  自分から離れてるのに。  角を曲がる前にもう一度振り返ると、流星が手を振ってくれていた。  お星さまの名前の流星。  太陽みたいであったかい流星。  渋谷駅に向かうつま先は、今、軽い。
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