津波

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津波

 渋谷のスクランブル交差点。  交番横の待ち合わせ。  何かあった時には、ここにすぐ駆け込んでねって、この場所になったいつもの待ち合わせ場所。 「もしもし、神木と申しますが、今日予約可能でしょうか? あ、はい。いつものメニューで……。はい。マルガリータピザ、アサリのパスタ、サバ味噌と白ワインです。はい。え? あ、はいお願いします。19時に」  行きつけのファミレスは、常連客には先に注文内容の確認もしてくれる。  どうせ流星は予約なんてしてないだろうからなんて思ってたら、珍しく予約してたので驚いてしまった。 「まだかなあ」  早めに来たのは自分のくせに、ついせっかちになってしまう。  今日私は22歳になった。  流星と約束したクリスマス。  白いニットのワンピースをグレーのコートで隠し、月を眺めながら待っている。 「月が綺麗ですねって、こう言うことかなあ」  流星を待ってると、凄く幸せで。  月がすごく綺麗に見えるんだよ。 「いつもみたいに、マフラー巻いてくれるかな」  わざと忘れたマフラーを、流星は私のお兄ちゃんみたいな顔で首に巻いてくれるのだ。  まあ、さすが長男と言ったところかな。 「あ」  横断歩道の向こう側を眺めると、カチコチに固まっている流星が見えた。  早く見つけてほしくて、信号機の下に向かう。  硬い顔をした流星が、ぎこちない微笑みで手を振ってくれて、私も振り返した。  ベージュのコートから白いセーターが覗いてる。  しっかりマフラーをしてて顔が綻んだ。  青信号を知らせるアナウンスが、流れる。 「刹那ー!」  笑顔で駆け寄ってくる流星に早く触れたくて、一歩前に出たその時。  何か大きな音がした。  いつもと変わらない騒がしい渋谷。  手を伸ばした時、時がゆっくり進んでいることに気が付いた。 「刹那! 来ちゃだめ――」  急に早送りされた時間から、流星が、消えた。  耳鳴りと共に、生ぬるい感触が飛び跳ねてきて、消えた。  川が氾濫したみたいに耳の中を血液が走る音がする。  祭りのように騒がしく心臓の太鼓が叩かれて、でもそう言う楽しい感じじゃなくて。 「流星……?」  視線を左に移すと、赤黒い何かが転がっていた。  それはベージュのコートを着ていて、髪は、刈り上げで。 「流星!」  真っ赤な水溜まりが広がっていく。  変な方向に曲がった関節の先っぽには見覚えのあるピンキーリング。  しゃがみ込んで彼の手を握って叫ぶ。  何度も呼んだ名前に返事はなくて。  マイクを持った人の伸びてくる手を払って、何とか声を聴こうとした。 「どいて、放して! 救急車! 救急車呼んでよ、早く! りゅうせ、流星!」  しばらくすると誰かが流星を連れていく。  白い箱に乗る流星を眺めていた。  落ち着いて  とか  大丈夫ですから  とか聞こえる。 「流星の傍に行かせてよ!」  突き飛ばして閉まりかけた白い箱に無理やり押し入った。  それからのことは、何だかよく、思い出せない。 「刹那ちゃん! 流星の、流星の容体は?! 大丈夫よね?!」  気が付くと手術中のランプをぼんやり眺めていた。  流星のお母さんの声がして、やっと瞬きを思い出す。  視線をお母さんに向けると、後ろには流星の弟である(るい)くんが、不安そうに立っていた。 「わからない……分からないんです……ごめんなさい、お母さん……」 「だ、大丈夫だよ。あの兄貴のことだし、ビビったーとか言いながら出てくるよ」  自分に言い聞かせるような累くんの言葉。  握った拳が震えていて、目をそらしてしまった。  お母さんが頷きながら震える手を抱きしめる。 「そうよね……最新医療とかあるものね。お医者様が……何とかしてくれるわよね」  私を含めて、みんな気持ちはきっと一つだった。  流星の笑顔を早く見たい。  なのに、出てきたお医者様が告げたのは。 「ご家族の方ですか?」  ――ご家族の方ですか? こちらへどうぞ……。  耳の奥で過去の声が響く。 「脳の損傷がとても酷いです。目が覚めない可能性が……覚悟を、してください」  ――覚悟なさった方がいいです。お顔は見ない方が……。  ――父さん、母さん!  視界が暗くなる、身体に走る衝撃とお母さんの怒声がこれは現実だと言い聞かせるようだった。 「アンタのせいよ! アンタと待ち合わせなんかしたから!」 「落ち着いてください!」 「お袋、やめろよ!」  黒焦げの父さんと母さんが見える  高校三年生の、11月に還っていく。  イスに腰かけた時、空間が歪むように現在に引き戻された。 「刹那さん、大丈夫?」  肩に手を置かれて顔を上げると、まぶたを腫らした累くんがいた。たくさん泣いたんだろう。 「流星は……?」  累くんに連れられて流星のところに向かう。  ふらつく足が頼りなくて、累くんに申し訳なかった。  生命維持装置に繋がれた、変わり果てた恋人が眠ってる。 「お袋は、別室で寝てる」  力なく壁に寄りかかると、累くんは流星より少し高い位置にある頭を少し傾けて、苦く笑った。 「刹那さんの誕生日、終わっちゃったね……」  累くんの言葉に頷いた。  目頭が熱くなる。  スカートを強く握ってうつむいたら、変わり果てたニットのワンピースが視界に映った。  窓の奥にいる流星を見て、唇が震える。 「流星、遅刻だよ……誕生日、祝ってくれるんじゃ、なかったの……?」  累くんが立ち去る影が見えて、寂しげな足音がした。  流星の目じりが光ってきれい。 「痛いよね……?」  流れ星のように、どうか消えてしまわないで。  その涙に触れたかった。  流星のぬくもりを感じて、安心したかった。
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