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涙花
急変と安定を繰り返して、流星はやっと集中治療室から出た。
眠り続ける彼の唇を何度も奪ってみたけど、童話のように上手くはいかない。
2ヶ月は、長い。
痩せこけたのは流星だけでなく、お母さんと累くんもだった。
「刹那ちゃん、毎日来なくていいのよ……」
お母さんはたびたびそう言うので、言い知れない空虚が心を蝕んでいくよう。
「刹那さん、ちゃんと食べてる? 痩せたんじゃない?」
翌日、累くんと2人きりの時に言われても首をかしげるだけの私に、彼は苦い笑みを向けた。
「芽衣子ちゃん、元気?」
「ああ……うん。あいつも兄貴のこと心配してる。さすがに浮気かとか言ってこない」
「えー! あの浮気性の累くんが! いよいよ見捨てられたのかなあ?」
累くんの恋人の話題を振り、ワザとふざけてみると、思い当たる節でもあるのか眉間にしわを寄せて勢いよく病室を出た。
10分ほどで帰ってきたかと思うと、今度は血相変えている。
「刹那さん、明日……お袋の誕生日だ」
「あ?! そうだ、そうだったね!」
繰り返しそうだったとつぶやき、累くんに今できる最大の笑顔を向けた。
「お母さんの誕生日会しよう、ここで!」
累くんの笑顔、久しぶりに見た気がする。
そのまた翌日、お母さんが暗い顔で病室に入ってくる。
今度はお母さんの笑顔も見たいなと、累くんにアイコンタクトしながら考えていた。
「お袋」
「お母さん!」
「お誕生日おめでとう!」
声を合わせて紙吹雪をお母さんへ降らすと、少し困惑した様子で固まってしまった。
私は流星と違ってサプライズは下手だから、すぐに不安になってしまう。
失敗だったかなとか考え始めたころ、お母さんの頬を涙が一粒伝った。
「そっか、そうよね……もうそんなに経ったの……ね」
複雑そうな表情のお母さんに、累くんが私と一緒に作った紙の花束を渡す。
たんぽぽの形をした下手な花束だけど。
私は一緒にハンカチを渡した。
「お母さんの誕生花、たんぽぽなんですって。花言葉……知ってます? ”幸福”なんですよ。流星とお母さん……そして、累くんにも幸福があるように」
「私たちに……?」
頷く。
上手く笑えているかな。
カサカサのお母さんの手を、ハンカチと一緒に包み込んだ。
「みんなが幸せじゃないと、流星もきっと嫌ですよ」
涙をぬぐったお母さんは、流星に視線を落とすと柔らかく微笑んだ。
「そうね……、ごめんね」
流星に近づいたお母さんが少し屈んで彼の手に触れる。
また、涙が落ちたみたいだった。
「ふう……片付けが大変ね」
散らばった紙吹雪を見て、お母さんは快活に笑った。
久しぶりに温かい空気が4人の空間に流れて、3人で談笑しながら片付けを始めた。
「もうすぐ卒業式ね」
「、はい……」
「ごめんね、刹那ちゃん。いつも……ありがとう」
柔らかい手のひらが、私の手に重なって。
お母さんの笑顔につられて、懐かしくて、私も頬が緩んだ。
「刹那ちゃんの袴姿が楽しみね」
「兄貴、早く起きねえと見逃がしちゃうな」
「それはほら、写真撮っとくから大丈夫だよ!」
「だめだろ~生じゃなきゃ」
「後で文句言うでしょうね、流星なら」
片付け終えて一息つくと、流星の呼吸が聞こえる。
今はこの一息一息で、私は十分だけど、流星は夢の中で寂しいのかなあ。
「じゃあ、私はこれで」
「もう帰っちゃうの?」
言いながら見送ってくれるお母さんと累くんに手を振って、病室を出た。
「もしもし、お忙しいところ申し訳ありません。来年度より入社いたします、神木刹那と申します。ご連絡しておかなければならない要件がありまして」
流星を置いていくように、太陽が沈んでいくのが怖い。
会社への連絡は、心をどこかに捨ててきたみたいに淡々と行った。
入社後も流星のお見舞いに来たいから、事情を話して考慮していただけないかという内容は、新入社員にしては図々しいかもしれない。
『そうか……。大変だね。安心して、何か困ったことがあったら頼ってね。早く回復するといいね』
男性上司の山岡さんは快く受け入れてくれた。
一番の不安が、肩に乗ってた重たいものが、少し消えた気がした。
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