一番

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一番

「神木先輩! 卒業おめでとうございまっす!」 「ありがとう、多田くん」  前髪のちょんまげが、この日らしくないけどまあいいや。  多田くんみたいな子がいてくれてよかった。 「本田先輩は残念でしたよね」 「ああ、卒論間に合わなかったからね……」 「いっつもギリギリ提出っすもんね。神木先輩の袴も見れなくて……もったいないっす」 「そうそう。まあ目が覚めたら写真くらいは見せてやろう。あ! 1枚お願いしていい?」 「もちろん!」  多田くんが撮ってくれた写真を見て、流星はどう言うかな。と笑みがこぼれた。 「つか、せっかくですし着て見せてあげましょうよ!」 「これレンタルだからなあ」  多田くんが不安げにつま先を遊ばせながら歩く。  かと思ったら急に速足で私の前に出ると、オレンジのリボンがついた紙筒を渡してきた。 「神木先輩。本田先輩にこれ、渡してください! 卒業証書っす」  私が受け取らずにほうけていると、強引に手渡してきた。 「本田先輩は卒業できなかったけど、俺からの卒業証書っす! これで神木先輩と卒業できたってことにすればいいんすよ!」  そう言った彼の手書きの卒業証書は、優しくて温かかった。  真っ先に病院に向かって、流星に見せてあげる。 「りゅーせー! いいでしょ、卒業証書!」  安定した静かな呼吸に私も急ぎ足の呼吸が緩くなる。  見せつけた筒に応えるように、どこか表情が優しい。  破けないように一緒に筒に入れた多田くんの卒業証書も、一緒に見せようと筒を開けた。 「ほら、多田くんが流星にもって卒業証書。くれたんだよ」  ほっぺを優しく撫でたら、ピクリと指先が跳ねた。  これは流星が生きてる証拠だ。  流星も喜んでるのかな。  何とか反射でも、私も嬉しい。  ねえ、ずるいぞってほっぺつねってくる?  それとも、羨ましいだろって笑うかな。 「何よそれ」  不気味なドアが開く音がして、お母さんの声が続いた。  ゆっくり振り返ると、お母さんが黒ずんで見える。  近づいてくる影に、一歩後退すると、お母さんが卒業証書を奪い取った。 「こんな……こんなもの見せて……」 「お、お母さ……」  怒りで震え上がったお母さんが流星の卒業証書ごと破り捨てた。 「流星を見下して! こんなの、こんなもの!」  ばらばらの卒業証書はお母さんに何度も踏みつけられた。 「お、お母さん! 私そんなつもりじゃ」 「何であの子だったのよ……」 「お母さ、」 「あんたでもよかった……そうよ、あんただったら良かったのよ! そしたら誰もこんな辛い思いしないで済んだのに! 返しなさいよ!」  続きそうな言葉が想像ついた時、看護師さんたちが私をよけてお母さんをなだめていく。  立ち尽くす私を、一人の看護師さんがイスに座らせてくれた。 「あの、気にしないでくださいね。よくあることですから」  よくあること。  そんな短い言葉で片付けられてしまう。  私の部屋みたい。  空っぽなの。 「そう、ですね……」  立ち去っていく看護師さんを見送りながら、言葉が口をついて出てくる。 「でも、その通りなんです。なんで私じゃなかったんだろう……。私だったら、悲しむ人もいなかったのに」  流星に視線を落とすと、彼の目じりに一筋の涙が。  慌てて作った笑顔で、彼の手を握る。 「ごめんね、流星が一番……辛いよね……私は大丈夫だからね」  その手を頬にすり寄せると、弱く握り返されて、あったかいの。  身代わりになれたら良かったのに。  布団の中に手を入れて、散らばった卒業証書をかき集めた。 「大丈夫。破れただけだもん。お母さんも……大丈夫。流星が目を覚ましてくれたらもっと……良いけどね」  集めた紙を筒にしまうと、ドアが開く音がする。  恐る恐る振り返ると、累くんが立っていた。 「刹那さん。どうしたの? あ! そっか、卒業式! おめでとう」 「なんでもないよ、ありがとう」  あどけなく笑う累くんの表情はどこか流星と似てて、安心した。 「じゃあ今日は帰るね」 「え? もう帰んの?」 「うん。袴もきついしね」  立ち上がって鞄を持ってドアに向かう。 「赤も似合うね」  累くんの言葉を背中に受けて。 「、ありがとう。あ。芽衣子ちゃん元気?」 「相変わらずうるさいよ。……兄貴の心配してる」 「今度また、お茶でもしようね」  頷く累くんを置いて、病院を後にした。  夜になると、暗い部屋にメールを知らせる通知ライトが光る。  ガラケーはマナーモードでもうるさい。 【お袋が、ごめんね】  少し指がうろつく。  数分に感じられる時間を置いて、返事を書いた。 【なんのこと?】  累くんからの返事はなかった。
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