X-6

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X-6

 左手首に着けた時計を見る。確か、二時の天気だとラジオが言っていたから、かれこれ十分経つことになる。  雷雨。停電。使えない電話。そして死体。  出ることも動くことすらもできず、みなそれぞれのテーブルに一度戻った。 中央のカップルっぽい二人は、関西弁の男の方が一方的にしゃべり倒し、女の方はじっと何かを考え込んでいる。  髪をクリップで無造作にまとめ、夏だというのに長袖のカーディガンをはおっている。化粧っ気のない顔は、デートにしては、あまりにかまわなさすぎる。霊感のある葬儀屋と言ってはいたが、どちらにしろ気味が悪い。  横に座っていた脱色男は、奥のメガネの人と知り合いだったらしく、向こうの席に移った。こちらも何やら話し込み、ときどき笑い声も聞こえる。後ろに死体があるというのに、よくそんな気になれるな、と呆れてしまう。  店の奥から目を移し、まっすぐ前を見る。すると、見えてしまう。  口から唾液をこぼし、胸に手を添えた店員の姿が。  うつろに向けられたその目が。  本を広げさえぎろうとしているのだが、ページをめくるたびに目の端に飛びこんでくる。生白い顔に学生はギュッと目を閉じた。 「ふーん。茨木のり子かぁ……」  ドサリ、と座り込む音。いつの間にかカウンターにいた男がこちらに来ていた。漂うタバコのにおいに眉をしかめる。いつものあれか。この手の人間は無視してじらすに限る。全く、好きでこんな派手な見た目に生まれたんじゃない。それなのに……。学生は遮るように、本を高々と顔の前に広げた。 「おじさんも読んだことがある。なかなか手厳しい人だな、って思った」  シャツにチノパン。中年おじさんのいかにもという格好だが、大柄なくせにぶよぶよしていない。引き締まり、少々いかつい見た目に似つかわしくない柔和な笑みが、印象的だった。  白いものが混じり始めた髪をクシャクシャと掻きながら、灰皿を引き寄せようとする。さすがにこちらの険しい表情に気がついたのか、「おっと、ゴメンね」と手を離した。 「『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』……か。最近読みかえしたな。彼女に怒られたような気分」 「彼女?」  その年で?、は飲み込んだ。 「うん」  ニッ、と口の端っこに笑みをのせている。するりと隙間に入り込まれそうで、思わず肩が上がる。イツキは頬杖をつきながら、いすの背を目で追っていた。 「シズカちゃん? 名は体を表すってホントだねぇ」  目を見張るシズカにイツキが「ほら」と指さす。トートバッグのポケットからほんの少し飛び出した定期券に「シズカ」と書かれている。あわててバッグを膝に乗せると、シズカは定期券を厳重にポケットに押し込んだ。 「学生だって?大学、どこ?」 「……K大学です」  とっさにそう答えた。そうなるには偏差値がまだ足りないが。 「おや? 偶然。ボクもそこで勤めてるんだよ。見たことない?」  あるはずもない。シズカは首を振った。 「学部が違うのかな? まぁ、また見たら声かけて」  口を開く度に鼻につくタバコのにおい。眉をしかめてあからさまに顔を背けてみる。「染みついちゃってるからねぇ」とカラカラ笑うと、少しくぐもった声で言った。 「……ちょっとは紛れた?」 「え?」  イツキがあごをしゃくる。その先にはあの、うつろに見開かれた目があった。 「……見えちゃうからね。ボクも、知っている人とはいえ、やっぱり……」  イツキがここに座り始めてから、存在を忘れていた。 「こっちに来なさい。雨が止むまで」  立ち上がり、ヒョイヒョイと手招きする。促されるまま立ち上がり、両手に本とバッグを携えて、シズカはタバコの香りを追った。
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