X-1

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ

X-1

「さぁて、これでおしまい。」  語尾に甘ったるさが残る。  フタバは、手にしたカップを取り落としそうになった。    背の高い、筋骨隆々のたくましい体つきは、身にぴったりしたTシャツでよく分かる。短く刈りそろえられた髪は、海外ドラマで見た米軍兵のようだ。コーヒーとサンドウィッチを持ってきたときも、特段違和感はなかった。しぐさもなよっとしておらず、話す言葉も店員のよくある常套文句。ただ、笑顔が妙にチャーミングに見えたのは、このせいだったのか。 「何、見てるねん?」  目の前にいる男の方が、よっぽどなよっとしている。 「イチロウ、気づいてたか?」 「何が?」 「……そっちだ、って」  カウンターの向こうでコーヒーを淹れながら、男性客と語らっている店のオーナーに目をやる。ちらりと振り向くと、イチロウは顔色も変えず、手にしていたポテトをほおばった。 「すぐ分かった。雰囲気ちゃうし。それに、見た目と違う言葉づかいするヤツには慣れてる」  言いながら、イチロウはフォークでフタバを指す。 「向こうは男のくせに女言葉。こっちは女のくせに男言葉。慣れた慣れた」  そのままブスリとポテトを刺す。呆れた目はフタバに向けられたままである。 「いいじゃないか。別に法律で決まってるわけじゃないし」 「理由がアホらしいねん。『完結でいいから』って……」 「語尾がまだるっこしいのは性に合わない」  ハイハイとあしらいながら、またほおばる。反論しようと口を開きかけたが、興味なさげなイチロウに、しぶしぶ口をつぐむ。 淹れたてのコーヒーの香り誘われるように、フタバは店内を見渡した。  カウンター席が三つ。テーブル席が四つ。店主と店員一人で切り盛りするには、ギリギリの広さだろう。二人は中ほどのテーブル席に陣取り、遅い昼食を取っていた。隣席にはせわしなくスマートフォンをいじっている、髪を脱色した男。窓際の席には、豊かな胸元を地味なブラウスに押し込めた、派手な面持ちの年若い女が読書にふけっている。一番奥の席では、顔を隠すように新聞を広げている客。昼を過ぎたというのに、店はなかなか繁盛していた。    店内はあの店主の趣味らしく、古き良きアメリカを感じさせるような物が、あちらこちらに飾られている。フタバのすぐ後ろには、くびれたコーラの瓶がずらりと並べられていた。  ハンバーガーがウリのこの店は、夜にはバーになるらしい。カウンターの向こうにはいろいろな種類の酒瓶が並べられている。が、皆、ハンバーガーを目当てに来るらしく、「ちっともお酒がでていかないのよぉ」と今、愚痴をこぼしている。  入口のそばにははめ殺しの大きな窓。見える入道雲が、夏の盛りを教えてくれた。 「あら? レイちゃん、遅いわねぇ」    先ほどまでカウンターで遅い昼食を取っていた店員のことらしい。食事を終えたあとトイレに向かったことを、フタバも思い出していた。 「化粧直しが長引いてるんじゃないの?」  カウンターの一番端に座っている男性客が、そう言ってぷかりとふかす。 「ウチは、勤務中は化粧禁止よ。ほら見て! アタシだってしてないのよ」  ぐいと顔を男性客に突き出す。鼻先がぶつかりそうなアップでも、慣れているのか、客は気にするそぶりもない。 「はいはい。ナナエちゃんはノーメイクでもキレイですよ」  納得したかのようにナナエは顔を引っ込める。だが、険しい表情はそのままだ。店内を見わたし、外を見る。考え込むように一息吐くと、男性客を見た。 「イツキちゃん、悪いんだけど、少し店をたのめる? 向かいのビルに、出前持っていくから」  カウンターごしに芳ばしい香りと湯気が三つ、ふわりと天井に届いている。 「いいけど……。お金、ボクが扱っていいの?」  頷くとナナエは、なにやら書き込み、カウンターに紙を一枚ずつ置く。テーブルの順に並べておいたから、と言うと、ナナエは丸い銀のトレイにカップを置き始めた。 「大学の先生がおかしなことしないでしょ? すぐ帰ってくるし、もうレイちゃんも出てくるだろうから、念のためよ。」 「ナナエちゃん、世の中、誰が何をするかなんて分かんないよ」  イツキの言葉には耳も傾けず、ナナエはトレイを手にした。 「じゃあたのむわね。持つべきものは友達ね。愛してるわー」  機嫌よさげに鼻歌を歌いながら、ナナエは店のドアを開けた。  すると、イチロウの肩がこらえきれないかのように小刻みに揺れた。 「聞いたか? 愛してるわー、やと。あのおっさんも同じちゃうか?」 「呆れた表情してたぞ。人の詮索をする前に、最後のポテト、食べてしまえ」  ブスリ、と刺しながらイチロウは口をへの字に結んだ。 「お前、前から言おうと思うてたんやけどな。先輩に対して何やねんその態度」 「一つの年の差をグダグダいうのは学生時代だけだ」 「それが学生時代には大事なことなんやんけ」  うらめしそうに見上げる視線に軽蔑の目を向けると、フタバはカップを置いた。 「どうぞ、最後の冷め切ってしまったポテトをお召し上がりください。先輩」  にらむ視線を外さないまま、気に入らなさそうに、イチロウはポテトの端にかじりついた。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!