X-3

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X-3

「え……! レイちゃん!?」  カウンターにいたイツキが駆け寄り、頬を叩こうと触れる。が、だんだん冷えていく指先をゆっくりと握りしめていった。  店内にいた全員がトイレに集まっていた。 脱色男は目を見開き、その後ろでは読書をしていた女が、ひぃっ! と、か細い悲鳴を上げて顔を背けた。一番後ろで青ざめているメガネは、新聞を読んでいた客だろう。 「そ……そうだ! 救急車! 救急車呼ばなきゃ!」  イツキがうろたえた声でカウンターに向かおうとしたとき、バキバキバキっ! と生木を裂くような音と地響きがあたりをゆらした。同時に店の中が暗くなり、FMがとぎれる。 「……落ちたな」 「ついでに停電もか……」 「エアコン、切れたな」 「よりによってこんな時に……」  カウンターの端にある電話にたどり着いたイツキが、何度も受話器を上げ下げしている。「おかしいな……」とつぶやく声に、イチロウが口をはさんだ。 「何してはるんです?」 「電話がね……、つながらないんだよ」 「停電してますよ」 「停電してても、つながるときがあるんだよ」  イツキは再び受話器をあげる。眉根を寄せながらイチロウがそばに寄ると、コードの先の異変に気がついた。 「切られてるで……!」  白い電話から垂れ下がるコードが、ぷつりと途絶えていた。 「ほんならスマホや」  イチロウが尻のポケットから取り出し、番号を押そうとする。が、画面はみるみるうちに暗くなった。 「うそぉ! フタバ! お前が何度も電話させるから見てみぃ!」 「しかたないだろ。電車に乗り遅れたんだから」  消えてしまった画面を突き出し文句を言うイチロウから、フタバはぷいとそっぽを向いた。 「誰か、他にスマートフォンか何か、持ってないかい?」 「おっさん、アンタは?」 「ボクは持たない主義なんだよ」  斜に構えた脱色男は、イツキから目を離すと、自分の真後ろでおびえている女に目を向ける。死体か、男の鋭い視線のせいか、女は派手な顔を困惑にゆがめ、豊かな胸を揺らした。 「わ……私は持ってません。親の方針で持たせてもらえないんです」 「親の方針?」 「こ……が……学生にはまだ早いって……」 「アンタ、学生なのか!? てっきりオレと同じくらいかと……」 「……老けてるって、よく言われます」  胸元を両腕で隠すように抱え込み、うつむく。脱色男がメガネ男に声をかけようとした。 「ご……ゴメンなさい! トイレ!」  口を押さえながら駆け込んでいくのをしょうがなさそうに見送ると、やけに鋭い目つきを向けられたのは、フタバである。 「……忘れた」  イチロウを、手のわずかな動きで制する。眉をひそめながらも、イチロウは口をつぐんだ。 「キミは?」 「オレはほら」  手にしていたスマートフォンを見えるように、顔のそばに掲げる。画面が消えていた。 「そこのおっさんと同じ。充電切れ。……たく、いいところだったのによ」 「まて。おっさんってなんやねん。お前、オレとそう年かわらんやろ?」 「アンタが年上なのは確かみてぇだな」 「こっちこい。礼儀っちゅーもんを教えたるワ」  互いににじり寄ろうとしたとき、間にいたフタバがイチロウを遮った。 「今はそれどころじゃない。……あとは、トイレにいる彼だけか……」  激しく水を流す音をさせているドアに目をやった。  視線を感じ、そちらを見る。脱色男は鋭い視線をフタバに向けたままだった。いぶかしげに見返すと、男は探るように言葉を選んだ。 「アンタ、びびらねぇの? 死体がころがってんだよ。そこのおっさん達やこの子みたいにさ。トイレに駆け込んでも不思議じゃねぇ」  くいとあごをしゃくってトイレを指す。男はさらに言葉を続けた。 「さっきもいきなりトイレに向かっていった。全く迷わず。……アンタ、何か知ってるんじゃねぇのか?」  学生とイツキの目がフタバに注がれる。「コイツはオレと一緒におったやんけ!」と代わりに弁明するイチロウをたしなめると、フタバは口を開いた。 「私は葬儀屋なんだ。ご遺体を目にするのは日常茶飯事だ」  ふーん、ともらすと、脱色男はさらに続けた。 「びびらねぇ理由は分かった。じゃ、なんでまっすぐトイレに向かったんだよ」 「レイちゃんのトイレが長かったからかい?」  イツキも不思議そうにフタバを見る。「それが一番、難しいんだが……」と前置きすると、フタバは言った。 「そこの店員さんが教えてくれた、ってことになるかな?」 「なんだよ、それ。意味分かんねぇ」 「コイツはな、霊感があるねん」  さも我が事のように自慢げに話すイチロウに、男はケッ! と吐き捨てた。 「アンタ、信じてんのかよ」 「オレが今まで見てきた中で、こいつの霊感がいい加減やったことはない」  まじめに答えるイチロウに、脱色男が噴き出す。今にもつかみかかりそうになったイチロウをフタバが止めた。 「笑うのは勝手だ。自分だって持てあましている。ただ、そんな気配を感じて開けたら死んでた。それが全てだ。嘘偽りはない」  揺るがずまっすぐ脱色男を見た。すると男は笑うのを止め、ごまかすようにトイレに顔をそらす。  雨が、さらに強くなった。
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