貴女のせいよ?

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貴女のせいよ?

 「さて、花園(はなぞの)さん。今日はどうしてココに呼ばれたか分かるかしら?」  私が爽やかな笑みを浮かべると、花園さんは真顔で一瞬怯んだ。  放課後の空き教室には、窓から夕日が差し込んでくる。物置部屋になっている教室は埃っぽく、昼間ですら誰も近寄らない。  内側から鍵をかけているので、二人きりの時間を邪魔されることはないだろう。  「まさか、10分前から待っていたなんて。花園さんは律儀なのね」  「別に、約束に遅れたら迷惑になるじゃない。それで何の用?」  「今日はね、花園さんとお話したかったの」  「私と高良(たから)さんが、お話?」  誰にでも感じ良い微笑みでそう言うと、彼女は顔を曇らせた。「何で?」という疑問が表情から読み取れる。話すことなんてない、と思っているのだろう。言いたいことはよく分かる。  だって私と貴女は違う。違いすぎるもの。  育った境遇、学校内のグループ別カースト順位、数えだしたら切りがないぐらい。  私は病院を経営する両親の元で生まれ育ち、厳しく指導されてきた。貴女は平凡な家庭で何も考えずに生きてきたんでしょう?  私はグループ、クラス、学校、全てにおいてトップに所属する。それに比べて貴女のグループはクラスの中でも最下位。  ずっと前から、貴女のこと見ていたけど。  私と貴女は違う。違いすぎるの。  体の中心からフツフツと沸き上がる感情に、名前を付けるとしたら何だろうか。  「分かった。話したいことって何?」  何かを見抜くような儚い笑みを、私に向ける。花園さんの眼差しが何かを見据えていて、思わず顔を逸らした。  「そうだ、お菓子を食べて話しましょう?」  パン!と両手で音を鳴らして、今まさに思い付いたかのように言い、スクールバッグから可愛くラッピングされた袋を二つ取り出す。  「はい、どうぞ」  「あ……りがと」  嫌みのない笑顔を向け、両手で袋を差し出す。完璧なお嬢様の仕草を前に、花園さんは警戒しながら恐る恐る受け取った。  透明な袋に、ピンク色のリボンが縛られている。中身はクッキーで、バターの優しい香りが鼻腔をくすぐった。  クッキーを口に含むと、育った環境が良く見えるように、手を添えて柔らかく微笑んだ。  「まあ、美味しい!」  この仕草、表情、態度、完璧でしょう?  礼儀作法を常に厳しく教えられた私は、貴女とは違うの。分かるでしょう、育てられた環境がこんなに違うだけで。  「わあ、美味しい」  ――……育てられた環境が、違うだけで。  ギュっとスカートの裾を握り締める。握る力が強すぎて、スカートがしわくちゃになっていることに私は気付かなかった。  彼女はあでやかに微笑み、「このクッキー、高良さんが作ったの?」と聞いてきた。  「いいえ、家政婦が作ったものよ」  「へぇ……高良さんって凄いよねぇ」  「何が?」  「高良さん、いろんなところにお金消費してそう。髪もサラサラで綺麗だし……」  正直な人。でも間違っていないわ。  花園さんは私のブロンドヘアーをまじまじと見つめる。夕日に透かすと反射する金糸の髪は、吐息と共に1本1本が揺れ動く。  「花園さんの髪も、人形みたいで綺麗よ?」  私が乾いた笑みを向けて、花園さんの髪に触れると、束になってサラサラと(こぼ)れた。日本人形のように艶のある髪を、おさげにしているのは勿体無いと感じる。  「高良さんは美容院に行って、手入れしているんでしょ?」  「まあ、2週間に1回は」  「凄いなぁ……」  「でも」と呟き、彼女は自分の髪を弄ぶ。そして私の顔を見て、喜びを頬に浮かべた。  「素直に誉められるのは嬉しい。ありがと」  意識的に目を細めて、口角を上げて。「事実を言っただけよ」と自然な笑顔を向けた。  もう嫌になっちゃう。嫌になっちゃうぐらい、「私達は違う」ってことを示している。  違うなんて、分かっているのに。  機械的に微笑んだ私の姿は、頬が引きつって、鏡に映らなくても不自然だって分かる。  「そうだ、すっかり忘れてた。ところで高良さんの話したいことって何?」  「――……私の、話したいこと」  花園さんの柔和な笑顔を向けられて、私の胸はキュっと締め付けられた。捻って絞られるようで苦しい。  私達は違うから、いつも下に見ていたのに。  一つの蕾が花弁を開いた瞬間、私の心は奪われた。周囲の人間が、顔一面に広げる造花とは違う。柔らかい花弁、甘い花粉の香り、彼女の微笑みから全て「華」が連想されるようで、とても美しく儚い。  私も、あの笑顔を身に付けたい。  取り巻きと喋っている最中に、彼女の笑顔を見て脳内に焼き付けた。家に帰ってから、鏡の前で自分の顔を確認した。雑誌やテレビを見て、笑顔の研究もした。ネットで検索もした。  でも、私の努力に意味は無かった。  だってそこには「笑顔の作り方」しか載っていないから。芸能人もモデルも、教師も生徒も、取り巻きも両親も、仮面を被っていただけなんだ。彼女の笑顔に勝る者は居なかった。  この、体の中心からグツグツと沸き上がる感情に、名前を付けるとしたら何だろうか。  「私が話したいことは」  今までの感情は、花園さんへの哀れみだ。  そして今の感情は多分、花園さんは持っていて、私は持っていないことに対しての、  「花園さんの笑顔が欲しいってこと」  ――……嫉妬かもしれない。  「え?」  花園さんはポカンと口を開けて、私を黙って見つめた。私は張り付いた笑みを浮かべて、「本当、花園さんの方が凄いよ」と呟く。  「その笑顔の作り方は、どこで教わったのかしら。いいなぁ、私も欲しい」  「……高良さん?」  「ずっと花園さんの笑顔が欲しかったの」  「ちょっと、どうしたの急に」  「その笑顔はいくらで買えるの?」  周りの皆なんて、フライパンの錆みたいな媚びた笑顔ばっかり。でも貴女は違う、誰も持っていない笑顔を見せるんだから。そう思うと、ズルいよ花園さん。  肩をトンっと軽く叩くと、彼女はあっさり床に倒れた。私が四つん這いの状態で彼女を見下ろすと、彼女は震えているようだった。  私の呼吸は浅くなっていた。ハア、ハア、と息が上がる度に髪の束が揺れる。  もっと見せて、貴女の笑顔を。  もっと観察させて、貴女の喜色を。  もっと教えて、貴女の微笑みを。  格下の相手に何を言っているんだろう。  でも、こんな感覚は初めて。  この感情も何もかも、全部全部。  「花園さん、貴女のせいよ?」  「――……ふふっ」  「え?」  「ふふふっ」  突然彼女は可笑しそうに顔を歪めたのだ。頑張って口を閉じていたようだが、耐えきれずに口元から笑いを含んだ声が漏れている。  何が起こったのか分からない私は、彼女の存在が恐怖に感じて、思わず退いた。  彼女は立ち上がり、目に溜めた涙を拭いながら「高良さんって期待を裏切らないよねぇ」と目を細めて言う。  「ちょっと、どういうこと?」  「見て分からない?」  彼女が指差した方向には、ビデオカメラが置かれていた。物置となっている部屋には、あまりにも綺麗に置かれている。  新品のビデオカメラと三脚。「ジー」と唸っている様子から、カメラが起動していると分かる。こんな物置部屋に、誰が何のために?  誰かが意図的に置いたとしか考えられない。  そう考えた瞬間、背筋が凍った。  『まさか、10分前から待っていたなんて。花園さんは律儀なのね』  ――……まさか。  「高良さんから話があるなんて、何か裏があるはず。カーストの順位だって、1位と最下位だし。だから、早めに来て準備しておいたの。何かされても証拠が残るように、ね」  花園さんが私の耳元でそう呟く。口角は上がっているのに、目元は全く笑っていない。彼女の爽やかな微笑みは、とても不気味だった。全身に汗が流れるような感覚である。  「ビックリしちゃったよ。いきなり何言い出すかと思ったら。私の笑顔が欲しい? 気持ち悪い。終いには押し倒して息も荒くして……」  彼女はビデオカメラの様子を確認して、片付け始める。私は脱力したように、ガクンと床に崩れ落ちた。もう立ち上がれない。  「ねぇ高良さん、良いこと思い付いた。この動画、ネットに晒したらどうなるかなぁ?」  「えっ……どうなるって……」  彼女は満足そうに顔を綻ばせる。私の恐怖に満ちた表情が見たかった、とでも言うような。  「病院を経営する親御さんは何て言うかな。グループの皆さんも先生方も、取り巻きの方々もどんな反応をするのかな。だって"あの"高良さんが、クラスメートに興奮して鼻息荒くしてるって知ったら、どんな目で高良さんを見るのか、気になるよねぇ」  好奇の目に晒されるに決まっている。  今までの地位もプライドも、全部崩壊する。  それだけは、絶対に死守しなきゃ。  そう考えているのに、膝がガクガクと震えて力が入らない。あらゆる手段を使ってでもカメラを奪い取って、データを消してしまえば良いはずなのに。こんな簡単なのに。  「ずっと私のこと見てたの、知ってたよ。高良さんの視線、すごく分かりやすかったもの」  彼女は屈託のない笑みを私に向ける。  「同時に、私達を見下していることも」  私の呼吸は再び荒くなり、彼女の笑顔から目を背けられなくなっていた。  「高良さんは本当に変態だねぇ。気持ち悪ーい。興奮しすぎでしょ。それとも、蔑まれるのが大好きなのかな。ねぇ高良さん」  ビデオカメラを、奪い取ることができない。  「この動画さえあれば、何でも出来る。貴女を社会的に追放することも、一生私の奴隷にすることも、その気になれば、殺すことも」  それは多分、  「次は貴女が見下される番だね」  ――彼女の笑顔の虜になっているから。
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