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3
その日も私は、いつもの場所で夕が来るのを待っていた。
「蒼!」
慌てた声に名前を呼ばれて振り返る。
「桜か……どうした?」
そこに居たのは桜の精だった。いつもはおっとりとした微笑みを浮かべているのに、今日はどこか表情が硬い。
「麓の桜が教えてくれたの。村では今病が流行しているみたい。高熱が続いて……昨年は不作で食料が少なかったから、体が弱り、体力のない小さな子供から、命を落としているんだとか」
「病……まさか、夕も臥せっているのか?」
「それがわからないのよ。夕が住んでいる屋敷に人の出入りはあるみたいなんだけど……」
それを聞くなり、私は走り出していた。
匂いと気配で、夕の家はすぐに分かった。
扉を開いて中に上がり込むと、夕の姿はすぐに見つかった。
「夕!」
夕は布団の中で一人、ぐったりと倒れていた。
「あ、お……?」
声に反応してモゾりと動いた夕だったが、身体を起こす力は残っていないようだった。
「夕、夕、しっかり……」
抱き起してみると、夕の身体は中身が入っているのか不安になるほど軽かった。熱があるのか温かかったが、それ以上に嫌な熱さに、私は触れていた。
「この腹の傷は何だ……?」
そこには刃物が刺さった跡があった。まだ出血しており、鮮血が布団に垂れて真っ赤なシミを作っている。
「何があった?」
怒りで言葉が震えた。夕は切れ切れに話してくれた。
長雨の後、村で病が流行り出した。ただの風邪かと思ったが、症状は良くならず悪化していく一方で、ついに子供が死んでしまうまでに至った。
神に祈りを捧げるように、夕の所には毎日人が訪れた。供物をささげて頭を下げ、何とかしてくれと懇願してくる。……もちろん、夕にはどうすることもできなかった。
そんな中、夕も病に倒れてしまった。初めは看病してもらっていたが、夕の病状も悪化していく。ここで、村人はあることを信じだした。
これは『赤目の鬼姫』が持ち込んだ病で、災いの中心は夕だと。夕がいる限り、病は村を滅ぼすまで残るのだと。だからその前に、殺して排除しなくては、と。
「それで……さっき、刺されて……でも、もう力がなくて、抵抗も、できなかったの……」
「わかった、もう良い。口を開くな」
傷口は深く、かなりの血が流れだしてしまっている。身体の末端も冷たくなり出し、もともと病に体力を削られていた状態で、……もう、死んでしまうのは時間の問題だった。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。もっと近くで夕のことを見ていれば……それとも、何とか夕を山で生活させていれば……。
「蒼……いる……?」
掠れて弱々しい声で、夕が呼ぶ。夕焼け色の瞳は、焦点が合わずに空を見つめるだけだった。目の前にいる私のことすら、もう見えてはいない。
「ああ、ここにいる。何だ?」
「あのね……来てくれて、嬉しい……私が山に行けないから、もう会えないんだって……一人で死んでいくんだって、思ったから……」
「大丈夫だ。一人にはしないから」
そう言うと、ついに夕は目を閉じてしまった。
「ありがと、あお……今まで、楽し……」
「……夕? ……夕!!」
その時、バタバタと誰かが走ってくる足音を聞いた。
「誰だ貴様は!」
「鬼姫をどうするつもりだ……? それはこれから燃やして灰にするのだ! 離せ!」
口々に叫ぶ醜い言葉の全てが、神経を逆撫でしていく。
「この子が……一体何をした?」
少し人と違う、珍しい瞳を持っていた。ただそれだけの、非力な少女だったのに。
私は怒りの感情をそのまま鬼火に変えた。青い炎が部屋全体をあっという間に包み込む。
「な、青い火だと……?」
背中に聞こえてくる声は、もう全てどうでも良かった。
私は夕をしっかりと抱えて、燃え盛る屋敷を後にした。
「蒼……」
いつもの場所に戻ると、そこでは桜の精が待っていた。
「夕は……あの子は居なくなった。永遠に」
私はそれだけ言って、大木の根元に夕の身体を横たえる。
あの夕焼け色の瞳は、今は閉じられた瞼の中だ。まるで眠っているみたいに穏やかな顔なのに、もう二度と輝くことのないそれを思い出すと、私の胸には怒りよりも、痛みの方が迫ってきた。
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