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 「……お前、こんなところで何をしている?」  夕暮れ時、山の中でも一際大きな大木の陰に隠れるようにして、一人うずくまる人の子を見付けた。  身体が小さく、まだ少女だった。声に驚いた様子で顔を上げると、今度は私が驚く番だった。  「……お前、人の子ではないのか?」  私を見上げるその瞳には、今まさに傾いている、真っ赤夕日の色が溶け込んでいた。本来なら黒いはずの瞳があまりに鮮やかに染まっているので、俺はしゃがんで、それを近くから覗き込んだ。  「……気配も匂いも人のものだし、混ざりものでもないようだな。珍しい。そんな瞳を持つ人の子は初めて見た」  瞳の色以外には、少女に変わったところは見られなかった。強いて言えば、このくらいの子供を見かける時には皆よく日に焼けているものだが、この少女は日に当たったことがないのでは、と思うくらいに肌が白かった。  「……そうか。噂になっている『赤目の鬼姫』はお前のことだな」  私がそう言うと、少女は分かりやすく表情に陰りを落とした。  「そう……見知らぬあなたも、私のことをそう呼ぶのね」  そう言って小さくため息を吐き、それから私に尋ねてくる。  「あなた、村では顔を見たことがない気がするけれど、他所の人かしら? 村に行くなら、ここを少し下っていくと道があるわ。その道を真っ直ぐよ」 「いや、村に用があるわけではない」  そう答えると、少女はきょとんとして私を見る。  「この辺りに、他に人が暮らしている場所はないけれど……まあ良いわ。村に用がないにしても、さっさと山を下りた方が良い。この山にはね、鬼が出るのだそうよ。それも人を食らう、恐ろしい鬼が」  真面目な顔でそう言うので、私は可笑しくて笑ってしまった。  「お前、面白いことを言うな。人を食らう鬼が出る? それなら、何故お前は一人でこんな場所にいる?」 「……あなたもさっき言ったでしょう? 私は『鬼姫』だって。私は人を食らう側かもしれないわ」 「ますます面白い。ただの人の子に何ができる? 非力なその腕では、他者の命を奪うことなどできないだろうよ」  私が笑うと、少女は面白くなさそうな顔をした。  「あなた、私がただの人に見えるの? こんな瞳の色をした私のことが?」 「ああ、見える。確かに珍しい瞳の色をしているが、お前からは人の匂いしかせぬし、人の気配しか感じない」  少女は困惑した顔で首を傾げる。  「あなた、変な人ね。私が恐ろしくはないの?」 「恐ろしいわけがないだろう? お前の方こそ、私が恐ろしくはないのか? 村人も立ち入らない山の中で見知らぬ男に出会って……私が、例の人食い鬼かもしれない、とは思わないのか?」 「思わないわ」  少女は即答した。  「あなた、どこからどう見ても人間だもの。少し肌は白いけれど、瞳も髪も黒一色。角も、爪も牙もない。人も良さそうだし、とても鬼には見えないわ」 「……そうだな。私の見た目は、非力な人の子そのものだ」  私は少女の言葉に頷いた。それは自分でもよくわかっている。  「……けれど、私は本物の鬼だよ」  私は左の手の平を上に向けて、そこに小さな青い鬼火を浮かばせた。  「ほら、ご覧。私は角はないけれど、妖力を使ってこんなこともできる」  少女は突然出現した火の玉に目を真ん丸くした。私がそれを消して見せると、今度はじっと私を見てくる。  「あなた……本当に鬼なの?」 「そうだ。驚いたか?」 「驚いた……あなた、人を食らうの?」 「そんなことはしない。第一、お前を食べるつもりだったら、最初から声など掛けていないよ。後ろから忍び寄って殺して食う方が、ずっと楽だろう? この山に住んでいる妖は私だけではないが、皆穏やかな気性で、静かな暮らしを望むものばかりだ。私ではなく他の妖がお前を見付けていたとしても、誰も食ったりしない」 「……そうなの?」 「ああ。用心深いのは良いことだが、私は嘘は言っていないよ」  少女はしばらく、じいっと私のことを見ていたが、やがて小さくため息を吐いた。  「嘘ではないみたいね。何だ、私……本物の鬼に出会えれば、何か変わると思っていたのに……」 「何だ? 残念そうだな」 「……そうね。そうかもしれない」  少女は頷いた。  「村の人々はね、私を本当に人ではない何かだと思い込んでいるの。私は赤ん坊のころに捨てられていたのを、偶然心優しい父に拾ってもらえてこの村にやって来た。私のことを見た村人は、父をとても責めたそうよ。得体の知れないものを村へ持ち込んだってね。捨てても殺しても私が村を祟りそうで恐ろしい、なんて理由で、私はそのまま父に育てられることになった。私は覚えていないけれど、その頃村では作物がうまく育たなくて、皆苦しい暮らしをしていたそうなの。ところがその秋、前の年とは打って変わって作物の実りが良かった。災いを引き寄せると思われていた私が村に来た途端のことだったから、今度はきちんと面倒を見れば幸運を運んでくれる、何て言ってもてはやされて、『赤目の姫様』なんて呼ばれるようになった。父の下には、私のためにと果物や綺麗な着物が贈られるようになって……でも、父以外の人はだれ一人、ずっと私の傍にはいてくれなかった」  少女はふ、と優しい顔をした。  「父はとても優しかった。奥さんを病で早くに亡くして独りで暮らしていたけれど、男で一つで私を育ててくれたの。穏やかで温かい人で、私のことを愛しい我が子だと言って可愛がってくれた。父だけは、私のことを夕って、必ず名前で呼んでくれた」 「ゆう? 夕日の夕か。瞳の色に似あう良い名だ」 「ありがとう。……小さい頃はね、ちやほやされることに慣れていて、皆私のことが好きなんだって、自分は特別なんだって思ってた。でも、ある日それは上辺だけのものだってわかったの。私のことを名前で呼んでくれる人は誰も居なくて、同じ年ごろの子供は居るのに友達もできなかった。それが寂しくて、遊びに混ぜてもらおうと子供たちだけの輪に入ろうとしてね、とうとう言われてしまったの。『赤目の鬼姫』って。気持ちが悪い、目の色が移るかもしれないから近付くなってね。……そこでようやく、私は気が付いた。村の人々は私のことを、本当は『赤目の鬼姫』と呼んで気味悪がっているんだって。私がこの村を祟って災いを引き寄せないように、私のご機嫌を取っていただけなんだ、ってね。それでも、父がいてくれたから、私は何とか頑張れた。みんなに愛想を振りまいて、望まれる姿で存在し続けようと。……でも、私には何の力もないのよ。村に幸運も運べなければ、不幸を運ぶこともできない」  でも、と、少女は……夕は寂しげに笑う。  「前の冬に父が死んで、私は一人になってしまった。村の人々が暮らしの面倒は見てくれるけれど、ただそれだけ。少し家を出ることでさえ、良い顔はされない。食べるものと綺麗な着物だけを贈って、話し相手にもなってくれない。何だか生きているのに、死んでいるみたいで……今日とうとう耐え切れなくて、村人は入ろうとしないこの山に、こっそり入ったの。もしかしたら本当に、鬼がいるのかもしれない。そんなものがもしいるのなら、私は本当は人ではないのかもしれない……そんな風に思いながら。でも、ここでも私は普通じゃないのね……」 「……人間の言う普通というものがどんなものかはわからないが」  私は少し考えてから言った。  「妖には本当に色んな奴がいる。大きい奴に小さい奴、人に似た見た目のものや、形すらないものもいる。価値観もいろいろだから、普通を決めるのは難しい。だからお前が人間の中で普通ではなくても、妖達には別にどうとも思われない気がする。もちろん、少しは珍しがるだろうが、それだけだ」 「……何、それ。もしかして、慰めてくれているの?」  夕はそう言うと笑った。  「あなた、優しいのね。ごめんなさい。鬼は恐ろしいものだとばかり思っていたけれど、それは村人たちと同じで、知りもしないのにただ思い込んでいただけだった」 「別に、優しくはないと思うがな……山で人が消えると、人は神隠しだ何だと大騒ぎするだろう。それで山が荒らされるより、先に子供を返した方が害がない、と思っただけで。それに、『赤目の鬼姫』の噂に興味もあったから、何か聞き出せないかとも思っていた。まさか本人だとは思いもしなかったけれど」 「……そういえば、私のことが噂になっているって言っていたわね。それは妖達の間で?」 「ああ。麓の村に赤目の鬼がいて、村に幸をもたらす姫と呼ばれているらしい、とな。だが、妖達はあまり村には近付かないし、先ほどの話だとお前もあまり家から出ないんだろう? 妖力の強い鬼なら人には出来ないことができるし、事情があって人に捕らわれでもしているのかと思っていた」 「……なんだ、やっぱり優しいじゃない。気にかけてくれていたのね。同じ鬼かもしれないというだけで、私のことを」 「……赤い目の鬼には、私も会ったことがなかったからな。見て見たかった。それだけだよ」  私はそう言ったけれど、夕はにこにこと笑って私を見ていた。  「でも、本当に私が鬼で、捕らわれているんだったら、助けてくれたような気がするわ」 「……どうだろうな」  私がそう言って目を逸らすと、夕はくすくす笑って立ち上がった。  「帰らないと。私がいなくなったら、皆は喜ぶかもしれないけど……不幸の前兆だって大騒ぎするかもしれないもの。……それとね、また此処に来てもいいかしら……時々で良いから、話し相手になってほしいの。私から返せるものは、何もないのだけど……」 「そうだな……来たら呼べ。声が届く範囲に居れば来てやろう」 「本当!? ありがとう、嬉しい……」  一瞬浮かべた不安げな表情から一転、夕はぱっと表情を明るくさせた。  私は立ち上がるとスッと夕の隣に移動して、ひょいとそれを持ちあげた。 「え、な、何……?」 「暗い山道で転ぶと、下手をしたら死にかねない。平坦な道まで送ってやる。舌を噛むから、口を閉じていろよ」  そう声を掛けてから、私は山を駆け下りた。暗くとも目の利く私は、あっという間に山の麓に辿り着く。遠くに見えている村からは、ちらほらと明かりが見えていた。  「さて、……まっすぐ帰れよ」 「あ、ありがとう……」  少し目を回してしまったらしい夕がしっかり立てるようになるまで身体を支えてやり、それから別れを告げて、私は山に戻ろうとした。  「あ、待って!」  ところが、今まさに駆けだそうとしたとき、後ろから夕に呼び止められる。  「ん? 何だ?」 「名前! ……あなたの名前を呼べないわ。教えてもらっていないから」 「ああ、そうか。そうだったな」  私はもう一度夕に向き直って、それから口にした。  「私は(あお)。またな、夕。呼ばれるのを楽しみにしている」  それだけ告げると、私は今度こそ山に向かって駆けだした。
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