プロローグ

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プロローグ

 人間を三十二年もやっていると、いろいろなことを経験するものだなぁ……。  僕は熱々のコーヒーを啜りながらそんなことを思った。  視線を上に向ければ、煌びやかなシャンデリア。下を見れば高級そうな深紅の絨毯。さすが三ツ星ホテルのレストランだ。普段はファミレスしか行かないので、こんなところは人生で数回目。確か、同僚の結婚式の会場がこんな感じの装飾の仕方だった。  ぼんやりとして無言になった僕の新品の革靴を、隣に座る母の草履が踏んだ。地味に痛い。仕方がないので、僕は視線を正面に戻した。そこには、僕と同じようにスーツを身に纏った男性の姿がある。年齢はぼくより五歳上だとここに来る前に聞いていた。誰もが知る難関有名大学を卒業後は一流企業に勤務、年収もかなり良いらしい。いくつもの取得困難な資格を持っていて、各分野からの信頼も厚い完璧人間。  どうして、そんな雲の上みたいな人と僕が向かい合って座っているのか。  それは、今、僕たちはお見合いの真っ最中だからだ。  話は二週間前に遡る。 「お見合いしなさい。もう返事はオーケーしてあるから」  その日、実家暮らしの僕はグレーのだぼだぼのスウェット姿でソファーに寝転びテレビを観ていた。干物みたいなダメ人間に見えるかもしれないが、会社では小奇麗にしている。休日くらい気を休めさせてくれ。  そうやってだらだらしていた僕のもとに、父が溜息まじりにやって来てそう言ったのだ。僕は訊き返す。 「今、お見合いって言った?」 「言ったさ」 「何で?」 「何故ってお前、もう良い歳だろう?」  起き上がった僕の隣に父は座った。手に持っていたマグカップをテーブルに置いて僕に視線を合わせる。 「休みの日はごろごろして外出もしない。そんなんだから出会いが無いんだ」 「良いんだよ。まだ結婚なんて考えてないもん」
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