逃げんなよ

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ぐ、と喉を鳴らして怯んだのは一瞬だった。 一歩退くと、動きを読まれたかのように腕を掴まれて、引き寄せられる。重心を崩して正面に飛び込めば、彼はさっきよりも強く雑に抱き締めた。 「ッてぇ・・・お前、ほんとに」 今度は顎を掴まれて強引に上を向かされる。 暗闇に目が慣れたのか、今ではハッキリと目の前の彼の姿が見えた。 「ムカつくんだよな」 怒っているような台詞と声なのに、目は笑っていた。 目を瞑る暇もなかった。唇にぬるりとした感触が走る。 ーーー舌だ。 下唇を舐め上げ、隙間にねじ込もうと動き回る。強く唇を引き結ぶと、焦れたように下唇に歯を立てる。柔く噛んでいたそれが、時間と共に甘噛みに変わり、弱い痛みに眉間に皺を寄せた。 「ッ、」 「はあ、意味わかんねえ」 吐息混じりに言う。 意味が分からないのはこっちだ。 ムカつくと言いながら唇を啄むのも。子供をあやす様に背中を摩るのも。大きく抵抗できない自分も。本当に意味が分からない。 ポケットの中でスマホが震えた。颯汰からかもしれない。返事をしないと。どこか他人事のように遠くに感じた。 細い小道の向こうで、満月が輝いている。
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