54人が本棚に入れています
本棚に追加
ぐ、と喉を鳴らして怯んだのは一瞬だった。
一歩退くと、動きを読まれたかのように腕を掴まれて、引き寄せられる。重心を崩して正面に飛び込めば、彼はさっきよりも強く雑に抱き締めた。
「ッてぇ・・・お前、ほんとに」
今度は顎を掴まれて強引に上を向かされる。
暗闇に目が慣れたのか、今ではハッキリと目の前の彼の姿が見えた。
「ムカつくんだよな」
怒っているような台詞と声なのに、目は笑っていた。
目を瞑る暇もなかった。唇にぬるりとした感触が走る。
ーーー舌だ。
下唇を舐め上げ、隙間にねじ込もうと動き回る。強く唇を引き結ぶと、焦れたように下唇に歯を立てる。柔く噛んでいたそれが、時間と共に甘噛みに変わり、弱い痛みに眉間に皺を寄せた。
「ッ、」
「はあ、意味わかんねえ」
吐息混じりに言う。
意味が分からないのはこっちだ。
ムカつくと言いながら唇を啄むのも。子供をあやす様に背中を摩るのも。大きく抵抗できない自分も。本当に意味が分からない。
ポケットの中でスマホが震えた。颯汰からかもしれない。返事をしないと。どこか他人事のように遠くに感じた。
細い小道の向こうで、満月が輝いている。
最初のコメントを投稿しよう!