第10章 数年後

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 小説は人間を描く。描き出された人間がしっかりした存在感を持っていれば、その人間が生活している場所もリアリティを帯びてくる。リアリティを求めるという面では自分を描くことは格好の武器になるのではないかと考えた。  僕は描き始めた。 『「新郎様がまだご到着されていません。お式の方はどういたしましょうか?」 ホテルの従業員の声に、綾瀬花奈(あやせかな)の喉もとには嗚咽が込み上げてきた。花奈の父は硬く握り締めたこぶしを震わせている。その横で母は涙ぐんでいた。』  出来上がった小説は僕の人生であり、彼女の人生だった。お互い『傀儡』に過ぎなかった者同士が愛し合い、自我に芽生えて行く話である。文章にしておかなかったら、二人の軌跡が記憶の底に眠ってしまうのがいやだった。
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