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「ほら、慎、見て。」
そういって奈央は人差し指をぴんと立てて空を指さした。
雲一つない青空。まぶしいくらいに輝く太陽。
そして、太陽のすぐ隣で同じく輝く一点の光。
星なんか見えるはずがない間昼間なのにその光は太陽にも負けず、はっきりと見ることができる。
「本当に終わっちゃうんだね、地球。」
奈央は空を見上げたままそう言った。
始まりは昨日のことだ。
夜の十時過ぎ、俺が野球部の練習を終えて家に帰ると、両親は二人とも呆けたような顔をしてじっとニュースを見ていた。
テレビの上のほうにはでかでかと「世界同時内容放送」と書かれていて、沈痛な面持ちのアナウンサーが冷静ぶった声である内容を語っていた。
「――国際宇宙連合、ISUからの報告によるとその小惑星は今からちょうど一週間後、地球に衝突するものと予測され、その衝撃は最低でも地球の体積の六割を破壊するものと見られ……」
スタジオは喧々囂々の様子で、アナウンサーにかぶってほとんど怒声のような指示を出す人の声や、慌しく走り回る足音などが聞こえてくる。
アナウンサーのもとには数分ごとに更新された情報が書かれているのだろう原稿が運ばれてくるが、その違いは微々たるもので、アナウンサーはほとんど同じような内容を何度も何度も繰り返していた。
そして、五度ほど同じような話が繰り返されたあたりで今まで口を開けてニュースを見ていた父親がこれまた真面目ぶった顔をして、
「これ……、やばいんじゃないか……?」
などとわかりきったことをつぶやいた。
その翌日から世界は豹変した。
人々は一週間後に起こる未曽有の大災害から逃れるべく安全な場所への避難を始めた。
道路は車であふれかえり、我先にと逃げ惑う人々が道交法を順守するはずもなく、いたるところで事故が起きていた。その事故を処理するはずの警察ですら逃げ惑う側の人間だ。
そもそも地球の体積の半分以上を壊す衝撃に対して安全な場所などあるはずがなく、彼らがどこに逃げようとしているのかは確かではない。
曰く、富士山の山頂だけは被害を逃れることができる。
曰く、国会議事堂の地下には大災害に備えた頑強なシェルターがあり、そこに行けば生き残れる。
曰く、国際宇宙ステーションには地球を離脱するための脱出用宇宙船があり、先着千名に限り、その宇宙船で地球を脱出することができる。
他にも情報とも呼べないようなうさん臭いデマがテレビでもラジオでもあふれかえり、世界はひっちゃかめっちゃかと形容するにふさわしい状況になっている。その、世にあふれるデマがかえってもう助からないのだという絶望を表しているようにも思える。
俺の両親も地下シェルターだか脱出用宇宙船だかに逃げようと試みたのだが、いざ、車庫に行ってみるとそこはもぬけの殻だった。車は盗まれていたのだ。
逃げる手段を失った両親は完全に気が抜けてしまい、すでに諦めモードだった。
あまつさえ泣きながら「ごめんな、慎」などという始末だ。
そもそも車があったからと言ってどうにかなったとは思えなかったけれど、俺も父親につられて少し泣いた。
そんな大混乱の中、俺が何をしたかと言えば、俺は学校に来ていた。
なんでこんな非常事態に学校に来ているのかは自分でもわからない。急な話についていけてなくて現実感が持てなかったからかもしれない。
休校の連絡がなかったからもしかしたら授業するかもなぁ、などと現実逃避まがいのことを考えながら登校していたが、その予想に反して学校には誰も来ていなかった。当然だ。
馬鹿なことをした。もう帰ろう。
教室に背を向け、歩き出そうとすると、一人の少女がこちらに向かって廊下を歩いてきていることに気づいた。俺はその少女に見覚えがあった。
「あれ、慎じゃん。」
少女は「やっほー」と片手を振った。
少女の名前は羽柴奈央。制服を少し気崩して、長く伸ばした黒髪は一つに結んで肩に垂らしている。
奈央とは幼稚園のころからの幼馴染で、今は俺が所属する野球部でマネージャーをしている。
「なんで学校来てるの?ばっかだー。」
奈央は人差し指でこちらを指しながらにやにやといやらしい笑みを浮かべている。
「学校に来てる馬鹿はお前もだろ。」
俺は小さくつぶやいた。
「あらら、やっぱり誰も来てないね。」
奈央は俺の反論が聞こえていないのか、それとも聞こえていてあえて無視しているのか、教室の中を覗き込む。
奈央の言う通り、教室には誰もおらず、奈央の声は静まりかえった教室に吸い込まれていった。黒板には昨日の放課後に描かれたであろう落書きが点々と残っている。
「それで」
奈央はこちらを振り向くとそう切り出してきた。
「慎はなんでこんな時に学校に来てるわけ?」
奈央はずいっと体を乗り出して、その大きな瞳でこちらを覗き込む。
ち、近い。
前々から思っていたことだけれど、奈央は人との距離が近すぎる。幼馴染ということもあってか俺に対しては特に距離が近いような気がする。
いくら幼馴染とはいっても思春期の男子としてはどうしても意識してしまう。
俺は近づいてくる奈央から若干離れながら答える。
「べ、別に暇だったから来ただけだ。それに、もしかしたら授業するかもなって思って。」
「あはは!こんな時に授業なんかするわけないじゃん!」
やっぱりばかだー、と奈央は腹を抱えて笑っている。目じりには涙が浮かんでいた。
そんなに笑うことないだろ…
俺は奈央の高笑いを止めるためにこちらから質問することにした。
「お前はなんで学校来たんだよ?」
「え?私?」
まるで聞かれるとは思っていなかったというようなきょとんとした顔。
見てみれば奈央は鞄なども一切持たず手ぶらで来たらしい。本当に何をしにきたんだ。
「えーと…」
奈央は歯切れ悪くあーとかうーとか呻きながら視線を宙にさまよわせている。何か言いにくいことでもあるんだろうか。
「別に言いたくないならいいけど。」
俺がそう言い切る直前に奈央は「よし!」と何かを決心すると人差し指を天井に向けた。
「屋上行こうよ。」
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