戸上優子(千堂幸隆の母)の結論

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 市波花凛は私のベッドで寝ている。  ひとり暮らしの1DKだ。私は夜のダイニングルームで、大掛かりな変装をしてまで録りためた音声データについて考えていた。  一番的を射ていたのは八田尚史の話だろうか。正解ではないが、全てが間違いでもない。結局のところ市波花凛が『いい子』ではないことに気付いていたのは彼だけだった。  幸隆はいい子だ。それは間違いない。私の息子はひたすらに優しい。ただ、口下手なだけなのだ。  元夫は私と別れたがっていた。外に女がいるのは随分前から知っている。しかし、私に見切りをつけようと考えるばかりか、離婚の原因まで押し付けようとしていたのは知らなかった。  一年ほど前から「洗い物や洗濯は僕がやる」と言い出した。いい夫だと思った。それが家事放棄の実績作りなどと私の頭では思い至らなかった。ありもしないDVも、このころから会社の同僚に相談するようになっていたらしい。同僚の勧めでDV日記をつけ始め、自らせっせとあざを作って、離婚調停における私への武器のひとつとした。  かくして私はDVと家事放棄で有責となって離婚された。一人息子の幸隆だけが味方だった。彼は優しすぎるがゆえに、父の側につくと言った。「専業主婦だった母がこれから働きに出なければいけないというのに、俺の面倒まで見させるわけにはいかないから」と。振り込んだ養育費もその都度引き出しては、面会時に押し付けるように渡してきた。俺が貰った金は俺が一番いいと思う方法で使う、と言って。  元夫はと言えば、一向に再婚する気配がない。若い愛人は、これほど大きな息子を育てることになるなどとは考えてもいなかったのだろう。当てが外れた二人は自然消滅した、と電話口で幸隆が嬉しそうに語っていた。  人気者らしいテニス部の顧問が息子になんと言ったのかは想像できる。私の前で母親失格だと言い切った彼は、おそらく息子にも「母親なのに可愛い我が子を手放す非道な女」のようなニュアンスのことを言ったのだろう。それが幸隆本人の決断であることも知らずに。  幸隆はいい子だ。ただ、口下手だった。  息子なりに反論はしたのだろう。ただ意思は通じ合わなかった。熱血教師の目には、愚かな母親を信じ続けるいじらしい少年としか映らなかったに違いない。行き過ぎた思いやりから、佐々木先生は私を母親失格だと訴え続けた。  それが幸隆の理性を奪ったのか、それとも憎き父にさらなる制裁を加えたかったのかは分からない。しかし結果的にはトリガーとなって、事件は起こってしまった。  いまだにあの教師は、おのれの正義を信じて疑わない。
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