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その3
「バカでも分かる言葉で言えば『絶えず動いているジグソーパズル』だ」
と、スピンパネルについて、私は記者時代に教授からそう教えられた。
「ジグソーパズルのピース一つ一つが虫になって勝手に動き続けていると考えるんだ。動きはかなりアバウトだ。数秒後には瞬間移動してどっかにいってしまうピースまである。
でも、ピースはほぼ確実にスピンパネルの中から飛び出す事はない。これが重要だ」
そう言われた時はイメージし辛かったが、実物を目の当たりにしたらその表現が一番しっくりと来た。
大学の実験室でスピンパネルを初めて見せてもらった時、一つ一つ色が違う六角形が組み合わさったピースが不規則に動いているのが、とても綺麗だったのを覚えている。
しかし、次に産婦人科の診察室でそれを目の当たりにした時、私の印象はガラッと百八十度変わってしまった。
スピンパネルは運命の残酷さをバカでも分かるように可視化した恐るべき怪物でもあったのだ。
「残念ですが、お腹の赤ん坊は五歳までしか生きられません」
妻が妊娠六ヶ月の時だ。
産婦人科の先生にそう言われた瞬間、私も妻も、しばらく言葉を発することができなかった。
その時はまだ、私達夫婦の間も今のようにギクシャクしていなかった。が、その瞬間、私たち二人の間にアイスピックを突き刺したような亀裂が入ったのは確かであった。
「な、何とかならないん、です、か?」
私は気持ちを落ち着かせて、なんとか言葉を空気中に飛ばした。
妻はずっと俯いていた。
いや、今思えば、俯いていたのではなく、彼女は自分のお腹を見ていたのかもしれない。
「こちらも何度もシミュレーションをしてみたんですけど……」
医者は難しい顔で机のパソコンを動かし、教授の部屋で見たものより簡略化されたスピンパネルを表示した。
「これがお腹のお子さんのデータから作ったスピンパネルのピースなんですが」
医者は画面上に六角形が組み合わさったお腹の子のピースを表示した。
ピースは正六角形が平面にいくつも組み合わさって出来ている、いわば二次元上に記号化した人間そのものである。
組み合わさる六角形の数も形も色も動き方も一人一人違い、遺伝子の情報、生まれてくる時代環境や場所などのデータを組み合わせ作られる。
このピースを街に住む人々全てを組み合わせた物が、我々の街のスピンパネルになる。
もちろん街を表すスピンパネルは巨大すぎて一般のパソコンでは表示しきれない。医者のパソコンのものは必要な情報だけが簡略化されたモノだ。
「お子さんのピースをスピンパネルの中へはめ込んでやるとですね……」
医者は子供のピースを現在の社会のスピンパネルの中へドラッグした。
はめ込まれたピースは、最初は街の一部としてうまく回転し、優秀な脳が何十年と研究しなければ理解できない法則に則って動き始めた。
しかし、シミュレーションの中で五年が経過した瞬間、それまで順調に街の一部になっていた子供のピースが、突然、スピンパネルの外へとはじき出されてしまった。
「私も弾き出された時は驚きました。もしかしたらエラーではないかと思って何度もやってみたんですが……」
ピースが入る隙間を隈なく探したが、お腹の子のデータが入れる場所はスピンパネルのどこにも見当たらなかったという。
「お子さんの遺伝子を操作して、あらゆるシミュレートをしてみたんですが……お子さんは最大で五年、早ければ三年で亡くなる運命にあります」
「もし、五年以上、生きた場合はどうなるのでしょうか?」
妻の傷口に指を突っ込むような質問であった。記者をしていた時の悪癖である。脊髄反射でより込み入った質問を返してしまうのだ。
「街のスピンパネルにはまらない人間を無理矢理に生かし続ければ、スピンパネル全体の動きに支障をきたします。
それが災害や、景気の悪化か、凶悪な事件になるかはわかりませんが……」
医者はそう言った瞬間に眼鏡を外した。
「もし、お子さんが五年以上生きれば、200名以上の死者が出る計算になりました」
200名……私は思わず妻のお腹の膨らみに目をやってしまった。このお腹にいる子が五年以上生きるだけで、200人もの人が死ぬ。
「おそらく、そうなる前に何らかの事故か災害で、お子さんは亡くなるでしょうが」
「何とか、なりませんか?」
「こればかりは……」
医者はそういって目を瞑った。
「人間は病気や怪我は遺伝子の操作、ナノマシンの進化によって克服しました。ですが運命というものだけはどうする事もできません。運命は人類が患っている『不治の病』と言われています」
医者は説明は終え、パソコンの画面を切りこちらへ顔を向けた。
『不治の病』
今まではメディア越しに伝わってくる他人事に過ぎなかった。もちろん、妻もそうだろう。
いざ、自分の目の前に立ちはだかられた時、これほど巨大で恐ろしいものであるとは想像すらしていなかった。
我々の人生が突然、巨大な城壁に囲まれたような恐怖に、冷静さを取り戻した私はジワジワと襲われていた。
「あなた方に選択肢は二つあります。一つは、このままお子さんを出産し、最大五年間、人生を共に過ごすこと。これがAプランです。そして、Bプランですが……」
医者は言いずらそうに一度我々から顔を外した。
「お腹のお子さんを帝王切開で取り除き、国に預ける。そして、お二人の頭から、お腹のお子さんに関しての記憶を全て消去する」
「子供は……預けた後、どうなるんですか?」
「ご心配はいりません。人権はもちろん尊重されます。むしろ、このようなお子さんは厄災から我々を守ってくれる人間ですから、一般の方よりもいい暮らしが保証されますし、亡くなる時も苦しまない方法が選ばれます」
囚人と同じじゃない
隣の妻がボソッと弱い声で呟いた。医者に聞こえたかは微妙だった。
「もちろん、あなた方の記憶ではお腹の子は最初からいなかった事になります。
その後、新しい体外受精を無料で行います。遺伝子も優先的に書き換えが行えますので、優秀なお子さんを保証いたします」
どちらも嫌です
また、妻がボソッと呟いた。
お腹の子を助けてください
当然、こんな大きな決断を直ぐに決められるはずもなく、その日は保留して病院を後にした。
しかし、数日経っても妻の状態は回復しなかった。話し合いをしようとすると、わめき散らし「お腹の子は死なせない!」と強情になるだけであった。
「私は絶対に死なせない! お腹の子を5歳なんかで殺させない!」
それまで喧嘩らしい喧嘩をした事がなった私達は、この時、初めて言い争いをする事になった。
そして、そのことを後悔した。一度、関係が壊れた妻と、どうやって仲直りしたらいいのかが解らず、次第に距離を置くようになってしまった。
「カーボンは素材として優秀だが、一度、小さいヒビでも入ったらあっという間に破壊してしまう。喧嘩をしないのが良い夫婦とは限らないよ」
新婚の頃、教授がそう言っていたのをふと思い出した。
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