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そして出勤。
就業よりも15分早い23時45分頃に到着。深夜の雑居ビルはすべての明かりが消えており、人気もなく薄ら寒い空気を醸している。
多分、いまこの建物内には誰もいないのだろう。まるで廃墟に飲み込まれるような恐怖心を抱えながら玄関に入ると、そこにはまだ説明会場所の案内の貼り紙が残ったままだった。今も求人しているということなのだろうか?
それを横目に見ながらエレベーターのあるところへと向かった。
そう、働く場所は同じ建物の中だが、労働場所のフロアは違うのだ。
昨日持ち帰った紙切には二基あるうちの右側のエレベーターに乗って、4階と5階のボタンを同時に押せとあった。
エレベーターにそのような階数指定があるのかと訝りながら試してみると、きちんと上へ動き出してまもなくすると止まった。
ドアが開くと、そこはすでに明かりがついており、一組の机と椅子に郵便物が溢れている段ボール箱、そしてシュレッダーが設置されていた。
天井が低く面積も狭い。また窓が一か所もないことからも、ここは確かに正規のフロアとフロアの間にある特別な階層なのかもしれないことが伺えた。
椅子に座り、昨日持ち帰った紙切れにあるとおりに作業を進めていく。
といっても、送り主、宛先ともに不明なハガキや手紙を丁寧にシュレッダーにかけていくだけのことなのだが。
勤務初日は当然だらけるわけもなく勤勉に働き、気がつけば終業の時間を迎えていた。
そしてビルを出ると俺は10時になるのを銀行のロビーで待って、時間になると急ぎ振り込みを確認した。
『ちゃんと振り込まれている』
その時はさすがに「これはひょっとして美味しい仕事にありつけたか!?」
と思わずほくそ笑んだ。
まあ、ある意味間違ってはいなかったといえるだろう。そう、あのことさえなければだが……。
仕事にはすぐに慣れて、息をつく暇もできた。
そして、そんな退屈な時間が宛先も送り主もわからぬ不思議な郵便物へと目が向かうのには、たいして時間はかからなかった。
それらの郵便物の大半はしょうもないイタズラの類なのだが、そもそもそんな無駄なことをやる奴の精神構造はちょっとまともではないようで、読んでみるとなんとも不思議な妙味に魅惑され、貪るように読みまくった。
ただし、例の紙切れには、そのような覗き見行為は禁止と書かれていた。当然扱うものが扱うものなだけに守秘義務やコンプライアンスもあるのだろうし、思えばこのような特殊な仕事内容なのだから職場環境もかなり変わっていて、人目につかない場所ということもある意味納得がいく。
そもそもかくいう俺だって、送り主と宛先が不明な郵便物の処分などという業務があることなんぞ、ここの求人を見るまでは考えもしなかったのだから。
外部に漏れたらまずいこともあるのだろう。
が、そうは思いつつも、それら郵便物の耽読をやめることはできなかった。
しかも、なかには冗談とは思えないかなり逼迫した、もしくは切実な内容の手紙も混ざっており、「これって本当に処分していいのか?」と思わずためらうものも少なくはなかった。
それは命がけの不倫の告白であったり、多額な借金に関することであったり、遺書や財産相続、病気、誰かが亡くなったことなどなど……企業の違反行為の告発やインサイダー取引についての密書、そして殺人依頼やテロの決行といった犯罪に関することも相当数目についた。
怒りや驚き、悲しみなど、感情を揺り動かされるものもそれなりにあった。が、しかし、やはりそれらは所詮出来の良いフィクションにすぎないのだという結末にいつも行き着くのだった。
それはそうだろう。送り主も宛先のどちらもデタラメなのであれば、
「どうせ誰かの創作に決まっている」
そう納得するしかないのだから。
そして日々、それら行き場のないいろんな思いが込められた手紙たちは、俺の手によって次々シュレッダーで粉砕されていった。
そう、ただ一枚を除いては。
その一枚とは官製ハガキで、裏面に地図が書かれているだけのものなのだが、表面の切手部分にはなぜか消印がなかったことが目を引いた。
毎日数多くの郵便物を目にしているだけにちょっとした異変にも敏感になっていたようで、消印のないハガキが混ざっていることに気がつき、急ぎシュレッダーから引っこ抜いたのだった。
そしてその後意識して見てみると、この郵便物は定期的にここに送り込まれてくることがわかった。いつもどおりに消印のない状態のままで。
地図は詳細ではないが、なんとなく目的地までは辿り着けそうな気がした。
目指す場所には星のマークが書かれているだけで、そこには一体なにがあるのかまではまるでわからない。そう、現地へ赴かない限りは。
『何があるのだろう』
そもそも、俺がこのハガキに興味を持ったことにのひとつに、その意味の無さがあげられる。そう、内容があまりにシュール過ぎたのだ。
「ここに来い」とだけ訴えている。
先にも紹介したが送り主、宛先不明の手紙の大部分はなんらかの意図やメッセージが込められている饒舌なものがほとんどなのに対して、このハガキの持つ意味の無さと完結性ときたら、反って気になり目を引いた。
目立つより光る、というやつだ。
そこに来て毎度消印のない状態。これは正直、あまりにも奇妙すぎる。
「……」
ぼんやりとはがきの裏面の地図を見つめつつ、俺は考えていた。
「ちょっと行ってみようか」
口に出してみた。俺以外は誰もいない職場なので、そんな独り言も気兼ねがない。
ここでの仕事のおかげで金にゆとりができ、生活も安定しつつある。
ないのは日々の娯楽だけだ。
仕事は楽だが、いつも一人。退屈は極まりない。
昼夜逆転の仕事は友達の生活サイクルと合うわけもなく、親しい友人らと最後に会ったのはもう数ヶ月も前のことだ。
常に日の当たらない生活には何かしらの潤いが必要なようで、だからその日はいつものように終業後は安宿へ直帰せず、真反対のホームから下りの電車に乗った。
そう、ハガキの地図が示す方に向かって。
電車から降りて街を抜け、山道を辿って約一時間。ちょっとしたピクニック気分を満喫した。郊外はやはり空気がキレイで都会と同じ太陽であるにも関わらず、日差しがとても柔らかく感じた。
地図は略式ながらも意外や精度が高く、予想通りに迷うことなく目的地に到着。で、地図に星印で示されていたゴールだが、鬱蒼とした木々に囲まれている平屋の一戸建てがそこにはあった。
外壁には太い蔦が幾本も力強く覆い尽くし、まるで自然と違和感なく調和したオブジェのような佇まいを醸していた。
「本当にあったんだ……」
ちょっとした驚きである。感動すらした。得体のしれないハガキにこの世の事実が書かれていたということに対して。
それだけに好奇心は一層強くくすぐられた。
この一軒家はなんなのか? ハガキの送り主が住んでいるのか? その目的は? どのようにして消印のないハガキを送り続けることができたのか?
もちろん、この家の住人とはまるで無関係な誰かのイタズラかもしれないが、それならそれでも一向に構わない。
どのようなことであれ、気になっていたハガキの真実がわかるのであれば、とどのつまりどのような結末を迎えてもいいのだから。
ドアをノックした。しかし返事はない。
ドアノブに手をかけて浅く回してみると、鍵がかかっていないことがわかった。
強く回してドアを引き、中へと入った。
中は暗い。そういえば、建物の窓はすべて雨戸で閉められていたことを思い出した。
「誰かいませんかー?」
ドアを閉めて住居内に入り、声をかけるも返事がない。
「……」
目が暗闇に慣れるのを待つのもじれったく思い、照明のスイッチは玄関付近の壁にあるだろうと当たりをつけて手で弄った。
まもなく、スイッチが手に触れたので電気をつける。
すると……
「な、なんだここは!」
照明に照らし出されたそこは六畳一間の和室で、真ん中には座卓とその上に一台の黒電話、そしてうず高く重ねられたハガキの束があった。
「こ、これはもしかして、懸賞生活!?」
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