空色レター

3/5
93人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
階段を駆け上って二階の一番奥。扉が開いたままの美術室が見えた。中を覗き込むと、二年が修学旅行で不在のためか、部員は数名しかいない。 「あの……」 入り口付近でデッサン中の三年生に声をかける。名前は知らないが、見たことのある顔だった。 「あ、仁科さんだ!」 「え、何で……」 三つ編みヘアの彼女はなぜか私の顔を見るなり名前を言い当てた。話した事もないのに。なぜだろうか。 「朔羅ちゃんのことでしょ? 入って!」 「あ、うん。お邪魔します……」 促されるまま室内に入ると、油絵の顔料特有の匂いが漂っていて、「青空パレット」の絵を思い起こす。 「朔羅ちゃんってね、風景画の天才って呼ばれてるの知ってる?」 三つ編みヘアの女の子が、歩きながらふわりとした笑顔をこちらに向ける。 「あ、そういえば……さっき、掲示板の前で誰かが言ってたかなぁ」 「うん、入賞してたもんね。実は朔羅ちゃんってね、風景しか描かないの。絶対人はモデルにしないんだって、昔からこだわりがあるみたいで」 「それって……」 私と同じだ。 でも何で? あんなに上手なのに。 「人の表情も、気持ちも、全部消耗品なんだって」 「消耗品?」 「うん。喜びも悲しみも、その一瞬はあっという間に過去になる。いくらその瞬間を切り取って描いたつもりでも、描き終わった頃には、もう劣化しちゃうから嫌なんだって」 そんなに熱い思いを、一枚の絵に込めようとしてるなんて。私が人を撮らない理由とは、次元が違うようで恥ずかしくなる。 三つ編みヘアの女の子が、窓際に立てかけられた布で包まれたものを、手近にあったイーゼルに乗せた。 「でもね、これは特別なんだって。自分が満足するためじゃなく、初めて誰かの為に描いた絵なんだって」 白い布がパサッと音を立てて落ちた。 その下に現れたのは一枚の油絵。 瑠璃色の空。見飽きた顔。 その絵の中で、 ──「空色 Letter」 井上 朔羅── 私が笑ってた。 ae32552e-5bc1-42f7-af3b-ecb368aaa872
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!