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財布
木枯らしに紛れるように、ほとほとと、裏長屋の障子戸を叩く音がした。
おこうは、うんざりした気持ちで戸口に映る影を見て、身じろぎを止めた。
「すまねえ、おこう、いるんだろ?」
思った通り、声の主は父親の達三だ。
声をかけられても、だんまりを決め込んでいると、諦めて立ち去る事にしたのか、ざりっと、ちびた下駄が土を捻った音がした。
これで良いんだ、これで。おこうは自分に言い聞かす。
こっちだって爪に火を灯すようにして倹約してるんだ、あんな博打打ちに、貸す金なんてありゃしない。
それでも、ひゅうと吹きすさぶ風の音を聞けば、肩をすくめ、とぼとぼと情けなく歩く姿を思い浮かべてしまう。
遠くなる足音に堪らず戸を開けてしまう。
「すまねえ、必ず返すからよ」
戸口まで引き返し、卑屈に言って見せるが、返した試しなどありゃしない。
この寒空にまだ単重で、だらしなく合わせた襟ぐりから見える胸には、あばらが浮いていた。
馬鹿だ、と思う。この人も私も。用意していた袷とビタ銭を渡す。
「ありがとうよ」
寒かったのだろう、銭より袷の方を喜んで単重の上からすぐに着込んだ。似合うかと笑う顔に「うるさいよ」と言いながらも悪い気がしない自分を、もう一度、馬鹿だと思う。
「腹へってんだろ?」
「あ、ああ」
面目なさそうな顔をしてみせたところで今更だ。入んなよと招き入れ、ありあわせのものを出してやると、嬉しそうに手を合わせ食べ始めた。
どっちが親かわかりゃしない。
この男が、どうやって一人で自分を養ってたのか、不思議なくらい一つ決まった仕事をしてるのを見た事が無い。取り柄と言えば顔が良いだけ。
日銭を稼げは僅かをおこうに渡すと、そのまま賭場に直行だ。
帰ったり帰らなかったりの日々、いよいよ邪魔くさくなったのか、おこうが一人で暮らせると踏むと、段々と家に寄り付かなくなって、そのまま今に至る。
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