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二日後、二本差しの大柄な男性がやってきた。
「姉上」
ゆき江様をそう呼ばれた方は、弟の庄之助様だと番頭さんに聞いた。
お茶をお持ちして、廊下から声をかけようとしたその時、
「病弱なのは百も承知、それでも一生大事にするからと、あんなに誓って見せたのに」
怒りのこもった声が聞こえてきた。
「それが、寝てばかりいるから離縁だなんて、」
ばしばしっと多分腿をたたかれていると思われる音が聞こえてきた。
「庄之助さん、ごめんなさいね。また厄介かけてしまうわ」
「私の方こそ、長年の借財を姉上に肩代わりして頂いた不甲斐ない弟です。申し訳ございません」
震える声が聞こえた。
「そんな風に言わないで、私は決して嫌々嫁いだのではありません。正一郎様の優しいところが大好きだったのですよ」
こんなに悲しい事を、こんなに優しい声で告げられた庄之助様のお返事は聞こえず、
「優しくなど」と、葉を食いしばって涙を堪えている声だけが聞こえて来た。
それからしばらくして、ついにゆき江様がお里に帰られる日が来てしまった。数少ない見送りに丁寧に暇を告げられた後、
「誠一郎、元気でね」
奥様に抱かれた坊ちゃまに、何度も何度も頬を寄せて、最後に思い切ったように、くるりと瀬を向けられ、庄之助様にふるえる肩を抱えられるようにして、この家を後にされた。
赤ん坊ながら何かを感じ取られたのだろう、坊ちゃまの泣き声だけが、ずっとずっと響いていた。
旦那様も奥様も、若旦那様の素行の悪さや女癖の悪さには思う所があったようだけれど、今囲っている女を嫁にしさえすれば、家業に身を入れてくれるかもと、一縷の望みを託したようだと、後から女中頭のおきみさんから聞いた。
せめてもと、ゆき江様が嫁がれる時に、ご実家に用立てた金子は一切不問にされたし、幾ばくかは持たせられたようだよとも聞いた。
お金は大事だけど、だけど。
何もおっしゃらなかったけど、ゆき江様が望まれたのは、お金なんかじゃないってのは私にも分かった。悔しくて、悲しくて溜まらなかった。
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