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あの時、ゆき江様は湯島にと仰った。
ここから歩いて私の足で、半時(一時間)くらいだと見当をつけた。
これから私は坊ちゃまを攫う。
膝は震えたけれど、捕まって死罪になっても構わない。
私は坊ちゃまを守る。だってゆき江様とお約束したんだもの。
坊ちゃまを背負い、裏口からそっとでようとしたその時、「おはる」と声がかかった。肩がビクッとして、踏み出した足が止まってしまった。
声の主は奥様だった。何故バレたんだろうと思ったけれど、今なら分かる。浅はかな小娘の落ち着かなさに目が向かないわけがない。
この家から一歩も出る事が出来なかった、坊ちゃまを守れなかったと、悔しくて、涙がにじんだ。
すぐにでも突き出されるかと思っていたのに、思ってもみない言葉をかけられた。
「おはる、ありがとう、誠一郎を守ろうとしてくれたのね。行き先はゆき江さんのところですね」
そう言われて、風呂敷包を渡された。誠一郎様のお着物や襁褓が入っているそうだ。
「他の物は後でまた届けます。文を入れているので渡して頂戴ね」
奥様は、坊ちゃんのほっぺを突っついて、
「不甲斐ないおじいさんとおばあさんでごめんなさいね、決して悪いようにしませんから。それまでお母様にたんと甘えるのですよ」
そう言われて袂で目頭を押さえられた。
そして、顔を上げられると
「さあ、お行きなさい、これは私の言いつけですから、大手を振ってお行きなさい」
そう言って駕籠まで頼んで送り出してくださった。
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