ゆき江

7/8
前へ
/142ページ
次へ
 あの時、ゆき江様は湯島にと仰った。 ここから歩いて私の足で、半時(一時間)くらいだと見当をつけた。  これから私は坊ちゃまを攫う。 膝は震えたけれど、捕まって死罪になっても構わない。 私は坊ちゃまを守る。だってゆき江様とお約束したんだもの。  坊ちゃまを背負い、裏口からそっとでようとしたその時、「おはる」と声がかかった。肩がビクッとして、踏み出した足が止まってしまった。 声の主は奥様だった。何故バレたんだろうと思ったけれど、今なら分かる。浅はかな小娘の落ち着かなさに目が向かないわけがない。  この家から一歩も出る事が出来なかった、坊ちゃまを守れなかったと、悔しくて、涙がにじんだ。  すぐにでも突き出されるかと思っていたのに、思ってもみない言葉をかけられた。 「おはる、ありがとう、誠一郎を守ろうとしてくれたのね。行き先はゆき江さんのところですね」 そう言われて、風呂敷包を渡された。誠一郎様のお着物や襁褓が入っているそうだ。 「他の物は後でまた届けます。文を入れているので渡して頂戴ね」 奥様は、坊ちゃんのほっぺを突っついて、 「不甲斐ないおじいさんとおばあさんでごめんなさいね、決して悪いようにしませんから。それまでお母様にたんと甘えるのですよ」 そう言われて袂で目頭を押さえられた。  そして、顔を上げられると 「さあ、お行きなさい、これは私の言いつけですから、大手を振ってお行きなさい」 そう言って駕籠まで頼んで送り出してくださった。
/142ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加