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「チロ君っ!」
えっ………
後ろから足音と共に聞こえてきたこの声────
ヤバいっ…今顔を見られたら泣いてるのがバレる!
俺は咄嗟に全速力で逃げた。
女物のすっぽ抜けそうな靴でそんなに早く走れるわけがなく、すぐに追いつかれて腕を掴まれてしまった。
「なんで小児科の先生の名前を書かなかったの?仲良くしてたよね?」
そんなの、本人を前にして言えるわけがないっ。
「……チロ君……」
シュウが驚いたように俺の顔を覗き込んできた。
「……泣いてた?」
言い当てられたのが恥ずかしくてシュウから離れようとしたのに、すっぽりと腕の中に包まれてしまった。
……なんでまた俺のこと抱きしめてんの?
もう俺が男だってわかってるはずなのに……
シュウの体から心臓の音が聞こえてくる。
鼓動が早い。
シュウ…もしかして緊張してる?
「誰の名前書いたの?教えて……」
こうやって追いかけて来てくれたことも優しく抱きしめてくれていることもめっちゃ嬉しいのに、素直になれない。
「……教えへん…俺のこと、無視したくせに。」
「好きで冷たくしたんじゃない。僕がチロ君と仲良くしてたら他の男性に誤解されるだろ?」
本当はわかってた。
お姉さんのために頑張ってってシュウは応援してくれたから。
俺だってシュウ以外の人を選ばなきゃって努力はしたんだ。
……でも、ダメだった。
「……他の人の名前書いたくせに。」
シュウが気になって気になって……
なんで俺じゃないんだよって…今もいじけてる。
「医者が足りないから呼ばれてきたって言っただろ?あの紹介所の代表取締役が僕のいとこで、最初からあの役者の子の名前を書くように言われてたんだよ。」
「……へっ…サクラ?」
「会員のやる気をUpさせるための演出だって。カップリングが一組も出来ないと場がシラケちゃうからって。」
演出って……
女性陣をほぼ独占しといて?むしろ男性陣のやる気を削いでなかったか?
「ああそれね。だからもう呼ばれないと思う。嫌々引き受けたから願ったりだけどね。」
シュウは軽くため息を付くと、俺の髪の毛を撫でるよう触り、おでことおでこをくっつけた。
ピンパーマのツンツンはねた髪の毛が顔に当たってこしょばい。
「あー…こんな気持ち初めてだ。まだ自分でも戸惑ってる。」
戸惑ってる割にはスキンシップが濃厚だな。
されるがままに大人しくしてる俺も俺だけど……
「チロ君は僕の名前を書いてくれたんだよね?」
「う……ん。」
「それはお姉さんのため?それとも、僕に対するチロ君の気持ち?」
シュウが余りにも直球で聞いてくるもんだから顔が真っ赤になってしまった。
「チロ君……やっぱり可愛い。」
シュウは嬉しそうに顔を擦り寄せてきた。
「スリスリすんのは止めろっ!」
シュウがジャケットの内ポケットに入れていたスマホが鳴った。
ちょっと失礼と言ってスマホを見たシュウの顔色が変わる。ピリピリするくらいの真剣な表情……
どうやら病院からの救急要請らしい。
シュウは道路に向かって片手を上げ、ちょうど来ていたタクシーを止めた。
「ゴメンねチロ君。高速道路で多重事故が発生したらしいから僕も行かないと。君はこれで家まで帰って。」
そう言ってシュウはタクシーに俺を押し込み、運転手さんにお金を渡した。
「シュウさんが乗って病院まで行って下さいっ。」
「僕は大丈夫。近くの駐車場に自分の車があるから。」
シュウは名刺入れを取り出し、俺に一枚くれた。
シュウのイメージにピッタリなブルー系の爽やかなデザイン…それには手書きでアドレスが書かれていた。
「連絡ちょうだい。待ってる。」
優しく微笑むシュウの顔が近付いてきたかと思ったら、唇に柔らかな感触がした。
「じゃあねチロ君。」
走っていくシュウの後ろ姿を呆然と見送った。
タクシーの運転手がどこまで行きますかと聞いてきてたのだが全く耳に届かない……
なんだよ…今の別れ際のごく自然な流れ────
俺……
今、シュウに……
─────キスされたっ………!!
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