下駄箱手紙交換

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下駄箱手紙交換

 ある日、いつものように登校し、下駄箱の扉を開けると、見覚えのないものが入っていた。  それは一通の手紙だった――。 「えっと……」  なんでこんなものが入っているか分からず、扉を開けたままフリーズしてしまう。 「よっす、京太(けいた)。おはよう」  そこに同じクラスの友人の大橋(おおはし)智志(さとし)が話しかけてきた。慌てて、隠すように手紙を制服のポケットに入れる。そして、怪しまれないように、 「ああ、おはよう。智志」  と、挨拶を返す。そのまま一緒に教室に向かい、鞄を置くとすぐにトイレに行き、個室に入った。  手紙をポケットから取り出して、まじまじと確認する。桃色のシンプルな封筒に『神尾(かみお)京太(けいた)様』と癖のない綺麗な字で宛名が書かれていた。裏には差出人の名前はなく、クローバーのシールで封が留められているのみだった。丁寧にシールをはがし、封筒の中の便せんを取り出す。二つ折りにされたそれをゆっくりと広げると、 『あなたのことが好きです』  と、真ん中にそれだけが書かれていた。  人生初のラブレターに気持ちは舞い上がりそうになるも、誰からか分からない手紙に困り果てる。返事をしたくても相手が分からないし、これだけだと悪戯(いたずら)という可能性も捨てきれない。今は全てを保留しようと決め、手紙をポケットの中に入れる。トイレを出て、教室に戻っていると、 「おはよっ! キョウ」  と、背中をバンと叩かれる。その元気で気さくな挨拶の主は顔を見なくても分かる。同じクラスで中学校からの付き合いの柏田(かしわだ)莉子(りこ)だ。俺のことを“キョウ”なんてあだ名で呼ぶのはそもそも莉子しかいない。 「ああ、おはよ。莉子は朝から元気だよな」 「まあね。朝練でほどよく体動かしたからねえ」  そう言いながら隣を歩く莉子は、ブレザーを腰に巻き、シャツは袖まくりをしている。袖からのぞく腕は陸上部らしくこんがりと日焼けしている。もしかしたら俺より腕に筋肉があるかもしれない。 「なに、キョウ? 私のことジロジロ見て。もしかして、汗臭い?」  莉子は自分の体臭を確認するように腕や肩の臭いを嗅ぎ始める。 「そうじゃなくて、本当に俺より男らしいなって思っただけだよ。性格も筋肉も」 「なにそれ? 私が女の子らしくないってこと?」  そう言いながら莉子は隣を歩きながらヘッドロックを()めてくる。 「普通の女の子はこんなことしねえよ。って、いてててててっ」  締める力を強くされてギブアップの意思表示に莉子の腕をタップする。莉子が腕を離し、「これに懲りたら男っぽいとか言うなよ」と笑う。しかし次の瞬間、突然笑うのをやめ、真面目な表情に変わる。何かあったのかと身構えると、 「それで、キョウさ。そのポケットからはみ出してる手紙はなに?」  と、ポケットを指さしながら尋ねてくる。しまったと思った時には遅く、莉子の手が俺の手より一瞬早く手紙を抜き取る。 「ふーん。もしかして、ラブレター? へえー、キョウにねえ」  中身を読むことはさすがにしなかったが、何度も顔と手紙を交互に見られ意味深な視線を送られる。そして、何事もなく手紙を返される。 「男なら返事しろよな、キョウ」  莉子はにやにやと肩を組んでくる。それをため息をつきながら受け入れ、掛けられる体重にときおりよろめきながら教室にたどり着く。教室に入ると、莉子が「おはよー」と誰に言うわけでもなく挨拶をする。それに同じクラスの面々が顔を向け、仲がいい女子が「莉子、おはよー」と返したりしている。いつものこと過ぎて、肩を組まれて連行される俺のことはスルーされる。  莉子の席まで来るとやっと解放される。莉子の斜め前の席の智志がくすくすと笑いながら、 「相変わらずだな。で、今日はなんで京太は莉子ちゃんに絡まれてんのさ」  と、尋ねてくる。説明したくなくて、力なく「知らねえよ」と莉子の隣で智志の後ろの自分の席に座る。 「それがね、智志くん。ついにキョウにモテ期が来たのよ」 「なになに? どういうこと?」 「ああああああ!! 言うことねえだろ」 「「うるさい」」  二人から同時に注意が入る。莉子が「それでね――」と話しだそうとした瞬間、タイミングよくチャイムが鳴り、すぐに担任が入ってきた。莉子は小声で「続きは昼にでも話すよ」と俺にとっての拷問のような時間が予告されてしまう。  朝のホームルームから始まり、午前中の授業の間、隣から好奇の視線を浴び続けた。横目でちらりと莉子の様子を見て、目が合うとにやにやと笑顔を返される。できるだけ莉子の方を意識しないように授業と黒板に集中することにした。  そうして、ついにやってきた恐怖の昼休み。 「じゃあ、いつものところでね」  そう言い残し、莉子はチャイムと同時に購買に向けて走り出す。智志と顔を見合わせ、弁当の入った鞄を手にいつも昼を食べている校舎脇のベンチへ。先に座って弁当に手をつけずに本を読みながら待っていると、莉子が駆け足でやってきた。手にはパックジュースと戦利品の一日二十食限定のカツサンドが握られている。 「さすが陸上部のエース様」 「いやいや。私なんてまだまだ」 「またまた謙遜を。ほとんどの男子より速いだろ?」 「さすがにそれは言い過ぎだって」  智志が莉子をおだてる。莉子は自分の短い髪の頭を触りながら照れているような仕草をする。最近、百メートルで目標だった十一秒台が出せたとドヤっていたことを思い出す。俺が全力で逃げても余裕で捕まるだろうなと嫌なため息が出た。  莉子が隣に座るのを横目に確認して、弁当の包みを開いて食べ始める。 「あっ! キョウの弁当は相変わらずおいしそう」  そう言いながら隣からひょいと卵焼きを強奪される。いつものこと過ぎて文句を言う気も起きない。 「そういや、朝、京太がどうたらって言ってたのなに?」 「ああ、どこかの物好きがキョウにラブレター渡したみたいでね」 「まじで!?」  智志の視線がこちらに向く。周りに人がいないことを確認して、首を縦に振る。 「で、京太。誰からもらったんだよ?」 「それが、名前書いてなくてさ。悪戯だと思ってる」  そう答えながら、鞄から手紙を取り出し、二人に見せる。二人は手を止め、封筒の表裏から、便せんの裏までくまなく確認する。 「本当だな。これじゃあ、返事のしようがないもんな」 「そうなんだよな。悪戯ならそれで終わりだろうし別にいいんだけどな」  そう弁当に手をつけながら話す。 「それで女の子の莉子ちゃんからしたら、どうだと思う?」 「私?」 「智志、こいつに聞いても無駄だろ。だって、莉子だぜ?」 「キョウ……それはどういうことかな?」 「俺や智志なんかよりも男らしいし、男っぽいやつじゃん。中学の時から」 「あのさあ。そんなことを言う口はどの口だ?」  莉子が露骨に不満というより怒っているというと顔に出す。そして、ぐりぐりと頭を拳で挟んでくる。冗談で言っているのは莉子も分かっているだろうが、いつもより反撃の威力が強いあたり、どこか虫の居所が悪かったのかもしれない。 「痛いって、まじで。ごめん。俺が悪かった。すいませんでした」 「本当にそう思ってる?」 「思ってる思ってる。だから、女の子代表として莉子様の意見を聞かせてください」 「よろしい」  莉子は攻撃の手をやめて、ふんと鼻息をもらす。 「とりあえず、返事はしなよ。もし本気のラブレターなら書いた人に失礼じゃん」  莉子は予想外のことを口にする。俺はどうせ馬鹿にされるか適当に流されると思っていた。莉子は昔から他の女子との恋バナというのが苦手で、恋愛だとか面倒くさいと口癖のように言ってたのだから。 「おまえ、本当に莉子か? 風邪か?」 「それはどういう意味かな?」  莉子は再度、拳をあげて構えて見せる。 「ごめんなさい、ごめんなさい」 「よろしい」 「でもさ、返事するにしてもどうやって渡すんだよ?」  その俺の疑問に智志も莉子も頭を悩ませる。 「じゃあ、とりあえず、手紙があったところに返事を置いとくってのは?」 「それはなにか? 俺へのラブレターの返事を俺の下駄箱に入れるというマヌケな行動をしろってか?」  莉子はうんと頷く。智志はその光景を想像したのか腹を抱えて笑っている。笑いながら「いい案だな。京太やってみろよ」と口にする。 「とにかく、キョウは絶対に返事しなよ。いい?」 「ああ……わかったよ」  そう莉子に気圧されるように渋々口にする。口にしたからにはどうにでもなれという気持ちで返事を書くことにした。放課後、返事を書いたノートの切れ端を丁寧に折りたたんで自分の下駄箱に入れる。 『手紙ありがとう。それで、あなたは誰ですか?』  翌日、登校すると下駄箱から返事を書いたノートの切れ端は消えていた。思わず、「まじかよ」と呟く。近くのごみ箱の中を見るもそれらしきノートの切れ端はなかった。本当に手紙の相手に届いたのか分からないが誰かに届いたことは確かだ。もしそうなら、毎日俺の下駄箱を確認する変態ストーカーの疑いも出てくるわけだが。  さらに次の朝、下駄箱の扉を開けると、手紙が入っていた。前と同じ単色の綺麗な封筒に『神尾京太様』と癖のない綺麗な文字で書かれている。封筒の裏にはクローバーのシールのみ。また最初の送り主から手紙が来たのだと分かった。  教室に行く前にトイレの個室に行く。手紙を開け、便せんを取り出す。前と同じ便せんで同じように二つ折りにされている。 『誰かは答えられませんが、ずっと前からあなたのことが好きでした』  そう書かれていた。その文字は不思議と見覚えのあるような気がしてしまう。 「次の返事は俺もちゃんと封筒を用意しようかな」  そう小声で呟き、手紙を鞄にしまい教室に向かう。智志と莉子から返事は来たかと尋問されたが、来なかったと嘘をついた。智志に、「お前の春はまだ遠いみたいだな」と笑われたが、どうでもよかった。  その日から、俺の下駄箱を通じた手紙交換が始まった。 『俺のことはいつから知っていたんですか?』 『中学校のころから知ってます。どんな女性が好きですか?』 『清楚で物静かで優しい人。どんな人が好きなんですか?』 『あなたのような人です。恋人ができたらどんなデートがしたいですか?』 『本が好きでインドア派なので、図書館だとか静かなところでお互いを感じながらのんびりしたいです』 『図書委員ですもんね。最近はまっている本はどんな本ですか?』 『ラノベなんだけど、転校してきた二重人格の女の子と恋をする小説です』  こんな感じで、手紙一通につき、ほぼ一行だけのやりとりをかわす。今までのやりとりを全部合わせても、きっと顔を突き合わせて話せば五分もかからず終わってしまうだろう。  だけど、その一行のために手紙を何度も読み返し、真剣に考える。便せんに書くときも、誤字など失敗するたびにイチからやり直さなければならない。スマホとかでやり取りするなら間違えば消して打ち直せばいいだけだが手紙はそうはいかない。だからこそ、一文字一文字、真剣に隅々まで注意を払う。そんな行為がとても神聖なものにさえ思えてくる。  手紙のやり取りをはじめ、相手が誰かは気になるが、文字やシールの貼り方、便せんの折り方をずっと見てきて、丁寧で几帳面な人かなと勝手に思うようになった。  想像の中では、手紙の相手は髪が長く、白く細い指で手紙をしたためている様子がありありと浮かぶ。  それが決して、 「ねえ、キョウもそう思うよね? って、話聞いてる?」  と、移動教室の帰りに肩を組んできて一方的に話して同意を求めてきたあげく、聞き流されたと思うとぶんぶん体を揺すってくる相手というのはありえない。 「で、何の話だよ?」 「だから、さっきの化学の授業、板書消すの早いよねって話」 「そうか?」  莉子は俺の顔の前に自分のノートを開いて見せる。筆圧の強い汚い文字でところどころ追いつけなかったからか空白部分がある。 「字、汚ねえよ」 「そんなこというなら、キョウのノート見せてよ?」  莉子がするっと手からノートを抜き取って広げる。 「なんであの速さの板書をこんなに綺麗な字で書けるのさ? キョウのくせに」 「俺は普段から字を綺麗に書く様に心掛けてるんだ。字は心を表すって言うだろ? その点、お前は――」  莉子は無言で肩に組んだ腕を首に回し、横からぐっと力を入れて締めてくる。それを謝罪と降参の意味を込めて何度もタップする。  そして、いつものように大きく口を開けて笑う莉子に連れられて教室へ戻っていく。  そんなちょっとした嫌なことがあっても、家に帰って手紙を読み返すだけで忘れるほど、顔の知らない手紙の相手に興味以上の感情を抱きつつあった。  そんな手紙交換を続けるようになってしばらく経ったある日。  放課後に所属している図書委員の雑務で遅くまで残ることになった。  最初は委員全員でやっていたが、部活や用事で一人また一人と減っていき、最後は先生と二人で作業をもくもくとすることになった。終わるころには外は太陽が遠く山の向こうに残光をわずかに残すのみで、空はすっかり夜に覆われていた。こんな時間まで学校に残っていたのは初めてだった。先生に感謝され、購買で飲み物を奢ってもらい、玄関へ。  照明をところどころ落としている薄暗い廊下を抜ける。もう残っている生徒もいないのか静かすぎて不安になってくる。下駄箱付近は照明がもともと少ないのも相まってさらに暗さが増す。さらに下駄箱のように大きく光を遮るものもあるので、陰から何か出てきそうで不気味な雰囲気が漂う。  そんな肝試しをしているかのような気分にさらに追い打ちをかけたのが、俺の下駄箱付近に見える人影だった。  足音を立てないようにゆっくり近づき、陰からそっと覗いて様子をみることにした。  その人影は俺の下駄箱を開けて、中から手紙を迷いなくすっと取り出した。今日は俺から手紙の返事を入れる日で、委員会の前に下駄箱に入れておいたものだ。  その瞬間、さっと陰から飛び出し、腕を掴む。腕を掴んだ瞬間、「わっ!」と相手は驚きの声をあげ、こちらに顔を向ける。廊下の奥からもれる(あかり)に照らされたその顔に、俺は驚きのあまりすぐに言葉が出てこなかった。そして、絞り出すように言葉を発する。 「お、お前だったのか……」 「そうだよ」 「でも、なんで?」 「手紙にも書いてたでしょ? 中学のころから好きだって」 「俺を好きになる理由が分からねえよ」  その相手は(うつむ)きながら小声でその質問に答えてくれる。 「中学の時にさ、集めたノートやプリントを持って行くとかあったじゃん? そんなとき、私、こんなんだからさ、誰かに手伝ってもらうってあんまりなかったのよね。手伝うにしても仕方なくって感じでさ。それなのに、女の子一人だと大変だろ。半分持ってやるよ、って言って手伝ってくれたのが嬉しかったんだ」 「そんなことあったか?」 「あったんだよ。普段、親からもなかなか女の子扱いされないから、なおさら嬉しかったんだ」 「それは自業自得じゃね?」 「そうかも」  そう言うと、顔を上げて笑みをこぼす。 「それにしても誰にも気づかれずによく今まで手紙の回収だとかできたな」 「それは簡単だったよ。朝練でかなり早く学校に来るし、帰りもいつもこれくらいまでトレーニングとかしてるからね」 「なるほどな。てかさ、手紙の字とお前の普段の字、全然違うじゃん」 「私だってゆっくり丁寧に書けばあれくらい書けるんですー」 「それはまじで知らなかった」  会話がふいに途切れる。どことなく沈黙が重い。 「それで……手紙の相手が私だって知って、幻滅した?」 「驚きはしたけど、そこまでがっかりしてねえよ」 「ちょっとはしたんだ?」 「そりゃあ、もっと清楚で大人しい人を想像してたからな」 「そういう人好きだもんね」 「ああ……」  どこか気まずい雰囲気がたちこめる。 「それで……なんで名前とか隠して、手紙交換なんて回りくどいことしたんだ?」 「そんなの簡単だよ。私はまた女の子扱いしてほしかったんだよ」 「そんなん面と向かって言えよ」 「言えたらこんなことしてないよ」 「それもそっか」  そう言うと笑い合う。そして、目の前の女の子は一度大きく息を吸って吐き、真っ直ぐに見つめてくる。 「私はね、ずっと隣で笑っていたいの。大好きだよ――キョウ」  そう告白する姿がもじもじと照れていて、今まで見たこいつのどんな姿より女の子らしくてかわいく見えた。 「ありがとう。それでどうしたいんだ?」 「できれば付き合いたい」 「そういうの前に面倒とかなんとか言ってなかったか?」 「前はそう思ってた。だけど、キョウのこと気になりだしてからは変わったんだよ」 「そうか。でも、だからって、いきなり付き合いたいとか言われてもな。正直に言うと、今はそういう風に思えない」 「だよね」  そう目の前で、はははっと何かを誤魔化すように笑う姿が痛々しく思える。俺はそういう顔を見たいわけじゃない。 「まあ、せめて二人きりのときくらい女の子らしくできるならいいけどさ」 「それはオッケーってこと?」 「まあ、逃げても逃げ切れる気しないからな。腕力的にも足の速さも」 「それひどくない?」 「事実だろ?」  そう答えると、顔を見合わせ声を出して笑い合う。 「とりあえずはさ、図書館で大人しくできるようになるところから始めようか」 「それくらいできるもん!」 「ほんとか? じゃあ、今度の週末あたりに一緒に行って確認してやろうか?」 「やってやろうじゃん! ……って、それって」 「そうだよ。とりあえず、友達からって言おうにもすでに友達だしな。だから、友達以上恋人未満から始めようか」  そう言うと、嬉しそうに「うん」と頷く。そうやって笑う時だけはどこからどう見ても、かわいい恋する女子にしか見えなかった。  少しだけ告白の返事を濁らせた自分の判断を後悔する。そう思うってことは俺もこいつに――。  だけど、俺が恋したいと思えたのは手紙の向こう側の存在があったからだ。  だから、最後に一言付け加える。 「下駄箱での手紙のやりとりは続けような、莉子」  莉子はそれに微笑みながら頷いた。 「今度からはちゃんと差出人の名前書くから、これからもよろしくね。キョウ」
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