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今思えば、あれは希さんのほのかな嫉妬だったのかも知れない。出張が増えていることにも気付いていたようだし、あの言動からして私が何か秘密を抱えていることにも気付いていたのだろう。
でも、あの翌日から希さんの様子は元に戻り、それまで通り私への愛情を存分に見せてくれている。たぶん嫉妬というほど強い感情ではないのだ。
とはいえ、希さんに要らぬ心配をかけてしまっていることには少し心が痛む。だから必要に迫られたら優衣との契約について正直に伝えるつもりだ。
そして私の方はというと、今はもうほとんど惰性で優衣との関係を続けている。相変わらず一次的欲求を満たすためだけの愛のない関係だ。
「……那央さん、もう帰るの?」
「うん」
優衣は裸のままベッドに横たえていた身体を起こし、スーツに袖を通す私に寂しそうに言った。事後のベッドは乱れたままだ。
「明日休みなんでしょ? もう少しゆっくりして行きなよ」
「ごめん。用事あるんだ」
「用事? ……あの人?」
「まぁ」
「ホント健気だよね。どうせ叶わないのに」
「一緒にいられるだけでいいんだよ。彼女がそう望んでるなら」
最近はもう、本気でこう割り切っている。
愛とは何か。そう考えた時に、身体の関係が全てではないことに気付いた。希さんの私への愛は本物だ。そしてこんな関係の優衣に対して情はあっても愛はない。
「でももしさ、その人が他の人と結婚するって言ったら那央さんはどうするの?」
「受け入れるしかないよね」
「だったら私にすればいいのに。私なら那央さんに辛い思いさせないのになぁ」
「それはできない。最初からそういう約束だよね?」
「あはは、分かってるよ。冗談」
優衣は下着を身に着けながら笑い飛ばすように言った。このやり取りはもう幾度となく繰り返している。
ここで煙草でも吸えば雰囲気的にサマになるのかも知れない。でも煙草に手を出すつもりはない。ケムくて咳き込んで雰囲気を台無しにするのがオチだ。
「那央さん、一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「好きでもない相手とセックスして満たされる?」
「い、一時的にはね」
「虚しくならない?」
「あんまり考えたことないな。求められたら応えるだけだよ」
優衣は相変わらず露骨な言葉を使う。いきなりドキッとさせられるのはこれで何回目か。いや、こんなことまでしておいていつまでも慣れない私の方がおかしいのだろうか。
考えたところで慣れないものは慣れない。とりあえず『私は純情』という都合のいい言葉で片付けることにした。
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