小さなミートショップ

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準備期間はなかなか忙しく、遅くまで残業しては希さんに愛のマッサージをしてもらう日々が続いた。 「うーん……。気持ちいい……」 「ここはどう?」 「あっ、そこイイ……」 「ふふ。ちょっと那央、変な声出さないでよ」 時々抱き付きたくなるのはもう仕方がない。これに耐えることも最近は快感になりつつある。多分ランナーズハイのようなものだろう。 そんな日々を過ごしながら出張も精力的にこなした。販売するものを仕入れなければ何も始まらない。 「あらあらあら! こんなにたくさん買ってもらえるの? 嬉しいわぁ」 遠方の杉本農園に出向いて大量の多肉植物を仕入れ、更にもう少し近い多肉専門農家からもスタンダードな品種を少量仕入れた。 残業と出張続きでさすがに体力的にキツくなり、この期間は優衣からの誘いには一切応じなかった。でも彼女は不満らしき感情は一度も漏らさなかった。 そしていよいよ迎えたミートショップ開店初日。私はこの日からしばらく神尾氏と一緒に店頭で販売員をやることになった。 あのストーカー事件からはかなりの月日が経っている。さすがにもう同じことは起こらないだろう。ストーカーなんてそう簡単には遭遇しないはずだ。 一応「何かあったら私がブッ飛ばすわ」という店長の心強いお言葉を頂いたので安心して販売員をやることにした。 そして記念すべき第1号のお客様は、なんと欧米の若い男性だった。更にそのお客様がこのコーナーの名前について私に質問してきたのだ。 「テンインさん、ココなんでミートショップ?」 『ミートショップ』の発音だけがやたらと良い。日本語が片言だから英語で話した方が喜ばれるだろう。ほぼ使う機会のない英語がここで役立つのだ。 『英語でも大丈夫ですよ』 『クールボーイ! 助かったよ!』 『いえ、ガールです』 『OH! ソーリー!』 そして私は英語でコーナー名の意味を説明した。ちなみに多肉植物は英語で『サキュレント』という。肉なんて単語は入っていない。だからまずは和名の意味を英語で説明し、そこから英語で関連性を説明するという回りくどいことをしなければならない。 なんか自分のボケを自分で解説する時のような虚しさが襲ってきた。前にも希さんとそんなやり取りがあった気がする。しかし接客時にそんなことは気にしていられない。 ようやく説明を終えると、お客様は『HA HA HA!』と爆笑して3つ購入してくれた。怪我の功名ということにしよう。 「すごい……三浦さん。英語喋れるんですね……」 「まさか店で話すことになるとは思わなかったですが」 元々下心から習得した英語で神尾氏に見直されてしまった。やはり下心は人間には必要な感情なのだ。 「あはは! ホントに肉屋じゃん!」 「これ考えた人アホだね」 その後、今度は女性2人連れのお客様からアホの称号を頂いた。そして私に称号を与えた方のお客様が中ランクの肉を買ってくれた。 『高級肉』がなかなか売れないのは想定内だ。むしろこれは店のディスプレイという位置付けで問題ない。開店初日の最終的な売り上げはまずまずだった。
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