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「山田太郎です。どこかの会社で普通の仕事をしてます」
もはや私の耳にはこのようにしか聞こえなかった。店長からの注意と藤沢さんのことで頭の中が一杯になっていた私には、既にこれ以上の情報を処理する余裕は残っていなかった。
今はとにかく、目の前の山田太郎さんを無難にやり過ごすことが先決だ。
私はひとまず親しみやすさを消すために無理やり冷たい表情を作った。スキを見せたらどう来られるか分からない。
「生花店『フラワーショップ ストライプス』で仕入れを担当しております。三浦那央と申します。よろしくお願い致します」
「三浦さんは管理職をされてるんですか?」
「いえ、現時点ではヒラ社員です。次期管理職候補として今回のセミナーに参加させていただきました」
「そうなんですね。あの、まだお若いですよね? 若いのに偉いなぁと思って」
「若さにかまけて努力を怠ることを好みませんので。更なる高みを目指して常日頃から精進しております」
「あ……、そ、そうですか」
私がツンとした態度でクールに質問に答え続けると、山田太郎さんはだんだん間が持たなくなってきた様子を見せ、適当に話を切り上げてこの場を去って行った。
それにしてもこれを続けるのはホントに疲れる。反動でいきなり笑い出してしまいそうだ。
変な疲労感を抱えたまま会場を出ると、廊下の奥の薄暗い場所にソファーがあることに気付いた。あそこなら誰も来ないだろうし、スマホをいじって時間を潰すことができる。
そして猫の動画に癒されること約30分。
そろそろ参加者が集まっている頃だろうと思い、階段を降りてすぐ下の階の和食料理店へ向かった。
胸が高鳴っている。
藤沢さんはいるだろうか。
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