04.鷲野歌子

1/2
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ

04.鷲野歌子

 彼女は不愛想だ。  必要以上の愛想を振りまくことはないが、かといって礼儀を欠いたりはしない。 最初は感情の起伏がないのだろうかと思ったが、笑わせようとすれば普通に笑うし、びっくりした時は小動物みたいに驚く。  彼女は夕方頃に学校の制服姿でバイトにやってくる。  好きな科目はなんなんだろう。学校に友達とかいるんだろうか。進路はどうするつもりなのだろう。  休憩中はいつも本を読んでいて、その姿は孤独が板についているようで彼女によく似合っていた。  バイトが終われば不愛想に「お先です」とだけ言って店から出ていく彼女。  家に帰ってなにするんだろう。家族と笑ってご飯食べたりしてるのかな。想像がつかない。  毎日彼女の姿を見て話す声を聞くたびに、バイト以外では何をしているのか、何を思っているのかを知りたくなった。  そうして考えているうちにいつの間にか好きになっていた。そういうことだ。  ある冬の日のこと。  休憩室で漫画を読みながら、そろそろシノ君が来る時間だな、などと考えていた。 「…うす」  彼女はいつもの制服姿で休憩室に入ってきた。  肩や頭には雪が積もっている。外は雪が降りだしたらしい。  ロッカーから制服を引きずり出したかと思うと、おもむろに着替えを始めた。  休憩室にわたししかいないと見て、まあいいか、とでも思ったのだろう。  この警戒心の無さがまた可愛いのだ。 「歌子さあ。彼氏とかいたことあるの?」  その言葉を聞いて固まった。  彼氏。恋バナ。  ついにこの時が来てしまったのか、と身構えた。 「どうしたの。恋愛とかもっとも興味なさそうなシノ君がそんなこと聞くなんて」 「…なんとなく」 「いたことあるけど、何?」  平静を装うのは得意だ。叶わない恋なんていくらでもしてきた。  悲しい慣れ方ではあるが、役に立つことのほうが多い。 「私にはわかんないなあと思ってさ」 「恋するってこと?」 「そう」  何があったんだ。  シノ君が知りたがっている"恋愛とは"という話よりも、シノ君に今何が起きているかのほうが重要だ。 「ほんとどうしたの。なんかあった?」 「いや、今日学校で人がキスしてるとこ見ちゃってさあ…」  へえ、と思った瞬間わたしはあることを思い出した。  シノ君は女子高に通っている。 「シノ君の通ってる学校って女子高じゃなかったっけ」  そう言うと着替えをする彼女の動きが固まった。  しまった、とでも思っているのだろう。  シノ君はわかりやすいのだ、本当に。  でもこれはわたしにとって絶好のチャンスだった。  大義名分を得て、シノ君をわたしのそばに引き寄せるのは今しかないと思った。 「いや、まあ、女同士がどうこうって話じゃなくて、私には恋愛とかよくわかんないなって…」 「教えてあげようか」  間髪入れずに言葉を投げた。  シノ君はゆっくりとこちらを振り返って怪訝な顔で「…なに言ってんの?」と吐き捨てた。  想像通りの反応だ。今まで通りというか。  実を言うと怖かった。でもここからの言葉は絶対に曖昧にしてはいけない。目を逸らさず言う。 「わたし達、付き合ってみようかって言ってるの」 「…はあ?ふざけないで…」 「シノ君。わたし、いつもふざけてるけど今は本気だよ」  シノ君の怪訝な顔が戸惑いに変わっていく。これ以上はシノ君の顔を見れなかった。 「わたし今日は8時上がりだから。車でシノ君の上がり待ってるから、よかったら来て」  休憩時間は終わってはいなかったが、何事もなかったかのように休憩室を出た。  駐車場の雪かきをしながら、困らせて申し訳ないな、という気持ちに苛まれた。  でも、わたしだって、好きな人の愛を得たいのだ。  バイトを上がって、車の中で暇をつぶしていた。  降り始めた雪はすでに止んでいた。  いっそのことどんどん積もって、私の姿を隠してほしい気分だった。  …シノ君は来るだろうか。  そう考えては胸の奥が詰まって息ができなくなった。  車のハンドルに頭を預けてうずくまった。 「…死にたい…」  なぜ火蓋を切ってしまった。  大なり小なり傷つくと知っていながら。  気持ちを落ち着けるために煙草に火をつけた。  9時を少し過ぎた頃、彼女の姿が見えた時は本当に嬉しかった。  同時に、ここからが本番だ、と思った。 「来てくれたんだね。待ってたよ」  笑顔でそう言うと、彼女の顔は不安の色がより色濃くなった。  その顔を見て、ああ、これはダメだなあと早速心が折れた。 「…私はどうすればいいの」 「どうするもなにも。車に乗るのもそのまま帰るのも、シノ君の自由だよ」  これ以上傷つきたくなかった。無理強いなんてできるわけがない。  わたしは賭けただけだ。シノ君が「やっぱり無理だ」と言って帰るなら、それはそれでよかった。  淡い期待を持ちながら一喜一憂するのも辛いことだと、わたしは知っている。  そんなことを思いながらシノ君の顔を眺めていたら、シノ君の口から予想外の言葉が飛び出した。 「…そっちからふっかけといてなんでこっち任せなわけ?本気で言ってんなら引きずり込むくらいのことすれば!?」  シノ君は怒っていた。  こういうところが好きだ、と改めて思った。  もうどうにでもなれと思った。  気付いた時には彼女の腕をつかんで引き寄せて唇を食んでいた。  一通り終わって顔を離すとわたしのことを見上げていた。  まるで怖いものを目の前にしたような顔をしていた。  胸の奥が鋭く疼いた。  少なくともわたしは本気だし、彼女が本気なら引きずり込むぐらいのことをしろ、と怒ったんだから、しょうがないじゃないか。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!