始まり2

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始まり2

「あいつ、相変わらず愛想もクソもねぇな」  二葉が帰った後、レジを締める俊二の横で戸締まりなんかを手伝いつつ、英はついついぼやいた。カウンターから顔を上げた俊二が、不慣れなんだから言ってやるなと苦笑いを浮かべる。長い付き合いの中で、二葉の存在くらいは知ってはいたものの、歳が離れていることもあって、これまで顔を合わせたことはなかった。 「おまえの甥っ子って言ってたっけ?」 「ああ。姉ちゃんとこの二番目」 「おまえの姉ちゃん、うるせぇんだよな」  思わず顔をしかめてふたりで笑う。しかし、次の瞬間、俊二は真顔で外を見た。 「ちょっと上手くいってないんだ」  それは二葉のことかとあたりをつけた。 「親と、か?」 「いや、家族と、だな」  つまりは、兄弟を含めた家族のなかで孤立しているということだ。心配を隠さない俊二に反して、英にはそれが仕方のないことのように感じた。 「まぁ、あのマイナス思考はいかんだろ」  二葉は短い会話のなかで、何かにつけて文句と愚痴しか口にしない。聞いていて気持ちのいいものではなかった。英の本心が分かったのか、俊二はレジに鍵をかけながら困ったように笑った。 「二葉な、いいとこもあるんだぞ?」  長く気の合う俊二が、そうフォローしたことが意外だった。気が合うということは、価値観が似ているということだ。二葉のようなタイプを、俊二が庇う理由が思いつかない。それとも、身内の欲目というものだろうか。しかし、興味が湧いたのも事実だった。 「例えばどんな?」 「二葉はなぁ。優等生だった兄貴に比べると、成績は悪かったし、運動だってせいぜい中の下だ」 「うん?」 「人づきあいはあのとおり下手くそだし、今風の若者っていうのかどうにも覇気がない」 「どこに、いいとこがあるんだよ」  呆れながら、灰皿を片づける前に一服しようとタバコに火をつけた。すかさず手を伸ばした俊二にも一本差し出して、サービスで火を向けた。薄暗い事務所が煙でぼんやりと霞んでいく。 「根気がすごいんだ。根気というか意思の強さ?」 「根気? とても、そうは見えねぇがな」 「そう、見えないんだよ。だから損する」  灰を落とした俊二が、旨そうに煙を吸い込んだ。これまで、何度もチャレンジした禁煙は、今回もいつのまにか挫折したようだ。 「一度やると決めたら、どれだけ時間がかかろうが、何回失敗しようが絶対にやめないんだよ。俺からすれば、そこまでやらんでもいいだろうってことでもな」  あの冷めた様子からは、二葉にそんな熱量があるようには到底思えなかった。 「文句つけながら、周りのやつらはとっくにそれを忘れてんのに続けるんだが、できるようになるころには、誰も二葉を見ちゃいない」  不器用なんだよ。俊二の目はもう帰ってしまった甥っ子への、慈しむような温かさがある。周りは気づかないがんばりを知っている俊二は、二葉を放っておけないのだ。 「だから雇ってやったのか? こんな暇なスタンドに」  軽口を叩くと、即座に机の下の足が蹴りあげられた。安全靴の足は、軽い衝撃だけでびくともしない。 「うるせぇよ」  声は剣呑なのに、目が笑っていた。その顔は、次の瞬間に真顔になった。 「家に居場所もなさそうでな。本来なら寄り添ってくれるはずの家族があれじゃあ……」 「実家から通ってるんじゃないのか?」 「(かお)()町の土手近くのアパートでひとり暮らししてる。こちとら、じじいとの二人住まいだし、うちに来いって誘ったが断られてな」  俊二は若くして結婚した妻を病気で亡くしてもう十年になる。仲間内からの再三の紹介も断り続け、実の父親を世話しながらずっと独り身を貫いていた。 「寂しいのか?」 「そんなことはないけどな」  同じタイミングで短くなったタバコを灰皿に押し付けた。これで終いだと水を掛け、蓋付きのペールに捨てる。 「英にしちゃ、苛つくかも知れんが、まぁあんまりイジメてやらんでくれよ」  いじめる気なんかない。そう答えれば、にやりとした後に、どうだかと、わざとらしく付け加えられた。少なくとも、二葉の徹底して冷めた態度の理由が、わずかながら理解できたことは確かだ。  文句も愚痴も言う。でも、やらずに済まそうとはしなかったじゃないか。それを、矛盾していると腹立たしく思ったのだが、実際のところは上手くいかずに、だけどなんとかしようとしていただけだったのだろう。 「まぁ、せめてもうちょっと愛想がありゃあな」  受け止め方も変わるだろうに。しかし、それができればそもそも誤解されることもないのだろう。 「それはそうと、英。祭はどうするんだ?」  洗った灰皿を拭きながらの、唐突な話題転換にやや面食らった。それが、再来週の秋祭りだと数秒して気づく。 「そりゃ、出るさ。青年部のほうもあるしな」 「英、おまえ……四十も過ぎたくせにまだ青年部に居座ってんのかよ」  自営業者の若手で構成される青年部は、本来なら四十歳が卒業になる。かくいう俊二も四年前にさっさと引退した。ひとり逃げやがってと、苦々しく思ったことを覚えている。 「好きで居座ってんじゃねぇよ」  辞めさせて貰えないんだ。そう仏頂面になる。ありがたいことに後輩たちから慕ってもらい、そのせいで引き止められている。独り身で時間の融通も利くことから、ついつい世話を焼いてしまっていた。そろそろ後進に譲って身を引くべきかも知れない。 「俺、先週四十四になったぞ」  ぼやく俊二に、こっちはおまえよりひと月早く歳を取ったと張り合った。 「早いよなぁ」 「だな。将吾とか、二葉とか……あれくらいの時だって、ついこのあいだみたいに思っちまう」 「還暦だってすぐだぜ?」 「言うなよ。悔しいから」  気持ちだけは若いのになと笑い合う。一緒に歳を重ねる友人がいるというのは、それだけで心強い気がする。この歳まで縁もなくひとりでいるから余計にだ。 「俊二。飲みにでも行くか?」  ジョッキを傾ける仕草で誘う。 「女のいない店ならな」  相変わらずの乾きっぷりに、呆れつつも分かっていると返した。いつまで操立てするんだとからかいながらも、それがどこか微笑ましい。 「じゃあ、ヤスのとこでも行くか」  一品料理屋を営む昔なじみの名を出し、即座に立ち上がった俊二の後について事務所を出た。常夜灯だけを残して電気を切る。入り口にチェーンをかけたところで、やっと一日が終わった。並んで歩きながらふと、あの二葉には自分たちのように気の許せる友人はいるのだろうかと気になった。
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