接 触3

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接 触3

 今朝は寒さに耐えかねて上着を羽織った。キャノピーの向こう側、遠くに見える山々がきれいな色に染まっている。昨日、一昨日の週末はいつもより客が多かった。 「昼間もちょうど過ごしやすい気温になったよなぁ」  事務所の外でタバコを吸いつつ俊二が笑う。 「俊兄、タバコやめるんじゃなかった?」 「そんなこともあったよなぁ」  何度目かの禁煙を挫折したのだとそれ以上の追及をやめた。 「あ、そうだ。二葉、今日は昼買いに行くなよ。英のやつがなんか弁当持って来るってさ」  意味がわからないながらも頷いた数分後、見慣れた軽トラックがガソリンスタンドの隅に停まった。中からは大きな重箱を手にした英が降りてくる。 「どうしたんだ。随分立派だな」 「うちの職人とこ、娘が幼稚園の遠足なんだと。ついでだって言って弁当作ってくれたらしい」  現場が分かれていたから重箱を半分ずつわけてきたのだと、事務所のテーブルに並べていく。三段の重箱には色とりどりのおにぎりやら総菜やらがぎっしりと詰まっていた。 「おー美味そうだな」  相好を崩した俊二とは反対に、二葉はその弁当を食べたいと思わなかった。好き嫌いだとか、そんな単純な理由ではない。そこに溢れんばかりに詰め込まれた愛情のようなものが不気味に思えたのだ。適当につつくふりで、車が入るたび真っ先に接客へと飛び出す。なるべくその(いろどり)を口にしないように二葉は逃げた。 「英。おまえも嫁さんもらえばいいのに」  半分以上が空になった重箱を前に、やっと腹が落ち着いたのか、茶をすすりながら二人がしゃべっている。 「今さらいらねぇし、そもそもこんなオッサンとこに来る女なんかいるかよ」 「おいおい。むしろ逆だろ。英がそうやって壁作るから女が二の足踏んでるんだぞ」  俊二の意見が真っ当な気がした。朗らかな人柄、男らしい出で立ち。四十を過ぎていても英と一緒になりたい女はたくさんいるに違いない。今まで結婚していなかったことのほうが不思議なくらいだ。 「そういう俊二はどうなんだよ。そのでっかい腹。生活見てくれる女が必要だろ」 「うるせぇな。毎日歩いてるよ」 「そんなんより、現場に入りゃ一発で痩せるぞ」 「痩せる前にくたばるわ」  馬鹿笑いが事務所を満たす。早くに妻を亡くした俊二にだって、いい話があったことを二葉は知っている。だけど、どんな相手にも俊二はうんと言わなかった。きっと俊二にとって、亡くした妻以上の人はいないのだ。それを知っているから、英は冗談めかしてからかうのだろう。 「おう、二葉もちゃんと食えよ」  箸で促されるままに仕方なくミニトマトを口にする。加工されたものは食べたくなかった。邪気のない顔がもっと食えとせっつく。英はなぜか二葉に親切だ。おそらく、俊二にでも言われたのだろう。元々だれに対しても、面倒見のいい男だ。  また馬鹿話を始めた二人を横目に、このまえ撫でられた頭に触れた。褒められたことなんか思い出せないくらい記憶にない。あとから思えばとんでもなく世話になってしまっていた。それなのに嫌な顔一つせず、付き合ってくれたのだ。  だから、どうしたんだ。所詮その他大勢のなかの一人じゃないか。二葉が特別なわけじゃない。  ガラスの向こうにワゴン車が映ったのをこれ幸いと、二葉は事務所を出た。出たところで後悔した。 「いらっしゃいませ」  開けられた窓から顔を出した将吾は、相変わらず不機嫌だ。社用車ならいつもと同じだと、なにも聞くことなく給油を始める。 「曲がりなりにも客商売なんだから、愛想くらい見せろよ」  あんた以外にはちゃんとやってるよ。その言葉を飲み込んで無視をした。普段はスーパー内の事務所に詰めている将吾も、店が忙しいときは応援に入る。二葉に対するときとは一八〇度違う笑顔で接客をする将吾は、どこから見ても完璧な社会人だった。腹立たしいのに、欠点のひとつも見つけられない。それどころか、見ているだけでどんどん自分が卑屈になっていく。 「俊二さんとこだから許されてるんだろうけど、他じゃ通用しないぞ」  そんなこと言われるまでもなく分かっている。将吾が来なければそこそここなしているのだ。 「もうしわけございません。以後気をつけます」  嫌味を込めた棒読みに、苛立ちを見せた将吾を見て、ほんの少しだけ溜飲が下がった。まなじりを釣り上げて、口を開きかけた将吾が言葉を発するよりも先に、英が事務所から出てきた。 「将吾。今日はマルゴーじゃないのか?」  将吾の顔がパッと明るくなった。ちょくちょく耳にするマルゴーは、将吾の車の通称みたいなものらしい。 「英さんお疲れさまです! 仕事中なんで社用車ですよ」  このまえ見かけたぞ。声かけてくださいよ。助手席に女乗せてただろ。あ、その時ですか。  楽し気に弾む会話を聞きたくなくて、伝票を取りに逃げた。 「英さんはもう乗らないんですか?」 「さすがにこの歳でやんのは馬鹿だからな」 「峠の下り、すごかったって聞きました。俺も見たかったです」  途切れない会話に、伝票を差し出すタイミングを逃した。少し離れた場所で、間抜けに立ち尽くしている。 「さすがにもう手が後ろに回るようなことはできねぇよ。おまえは俺みたいなバカやらねぇから安心だ」 「やりたいですよ。けど、残念なことにこれでも立場ってのがあったりするんで」 「その立場をちゃんと考えられるのが偉いんだ」  照れたような将吾が礼を言ったタイミングで伝票を差し出した。将吾はもう二葉のことなんか眼中にもないと、視線すら合わさずにサインを寄越した。お先に失礼します。礼儀正しく将吾が帰っていく。 「峠って?」  事務所に戻りながらつい尋ねた。振り返った英が、二葉を見下ろす。 「この間練習に行った物産センターのずっと奥に、竜ヶ峰(りゆうがみね)峠ってあるだろ? そこを昔、改造車で飛ばして遊んでたんだ」  若かりし日の過ちだ。ばつが悪そうに英が付け足す。将吾はあれほどに尊敬の目を向けていたのに、英が胸を張ることはない。 「それ、なにが楽しいんだ?」 「さぁ、どうだったんだろうな。でも、とにかく楽しくて仕方なかったぜ?」 「それなのにあいつのことは止めるんだ?」 「まぁ、褒められたことじゃねぇ……つうか、ぶっちゃけ違法だからな」  二葉には意味が分からず、言葉の先を黙って待った。 「道交法違反なんだよ。改造車も、スピード出して山くだるのもな。俺はそれで捕まってもいるし」 「英に比べたら将吾は大人だよな」  残った重箱を片付けていた俊二が会話に混ざった。 「あいつは一切違反しないで手ぇ入れてるし。そもそも趣味の車に文句を言われないように普段は必要以上に真面目にやってる」 「あれだけ真面目だと、ちょっとくらい羽目外しても仕方ないって、周りも思ってしまうのが不思議なところだよな」  上手く立ち回っているといえばそれまでだが、それは並大抵の努力では無理だというのは二葉にも理解できた。だからと言って将吾への心情が緩和されるということはない。 「それが大人なのか?」  ただ計算高いだけじゃないか。思わず吐き捨てた二葉を、二人の立派な大人が微笑ましいとばかりに見つめていた。その視線があからさまな子ども扱いに思えて面白くない。 「おまえはもうちょい羽目外してみてもいいな」  英の手がまた二葉を撫でる。 「別にしたくない」  子ども扱いするなと、振り払って睨む。英が苦笑いを浮かべた。 「なんでもいいから、やりたいこと見つけろよ」 「うるさい」  そんなものあるわけない。叶う可能性もない。適当な一般論で説教するな。  やってみたいことは、とっくの昔に諦めた。 「メシ食ったならさっさと行けよ」 「二葉!」  見かねた俊二が諭したところで我に返った。気まずさをごまかすように目を反らす。 「……ごちそうさまでした」  辛うじてそれだけ口にすると、タオルを片付けるという口実で逃げ出した。どうして、こんな風にしかできないのだろう。表向きだけでも将吾のように明るく振舞えば、そこそこうまくやっていけるに違いないのに。学生時代はそれなりに付き合いのいい男子を演じていたはずなのに。  英もまた、二葉の態度に呆れて離れていってしまうだろう。  そのことに、どこかホッとしている自分がいて、そのくせ残念がる自分も心の隅から覗いていた。
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