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壱、顔のない人
――――神さまが連れていってしまわれたんだねぇ――――
五軒隣の長屋に住む、ウメお婆ちゃんが呟くように言っていた。
享保二十年(一七三五年)の秋。
雲一つない晴天の向こうから、お寺の鐘が三回鳴る。
さざ波のように広がる鐘の音が、時刻を告げるのだと、誰しも身構える。
その後、八回聞こえて来たから、今が昼八つで、おやつになったのが解った。
側にいる母に「お菓子はまだ?」と聞くと「今は我慢しなさいね。後で食べさせてあげるから」と、言われたので、その言葉を信じて我慢したのを覚えている。
近所の人に見送られ、座棺(ざかん:桶の形をした棺)を乗せた荷台を引く、父の後ろ姿を目で追う。
座館は小さい物だったけど、それでも中に入れられたお姉ちゃんの身体には、大きいくらいだった。
その時の私は、座棺に入れられた二つ上の姉が、土の中に埋められて、もう会えなくなるなんて、知るよしもなかった。
私の子供頃の忘れられない思い出。
いいえ、忘れられないのは、その後の思い出。
近くの友達と、お寺で一緒に遊んでいたお姉ちゃんは、鬼になって探しにくる子から隠れてたのではなく、言葉では言い表せない、"何か"から隠れていた。
同じ場所に隠れた私が聞くと、姉はこう答えた。
"顔のない人が追いかけてくるの"
顔のない人――――その意味が解る日は、思いのほか早かった。
半月後、七つを迎える前の日、お姉ちゃんは息を引き取った。
血を塗りたぐったような、赤い満月の夜だった。
草木に囲まれた長い階段を登って、お寺に到着すると、座棺を荷台から下ろし、ご近所さんに手伝ってもらいながら階段を登る。
お寺に着くと、お姉ちゃんの亡骸を、お坊さんに供養してもらった。
供養を終えて家へ帰ると、見知らぬ人影が長屋の角から、そっとこちらを覗いていた。
私が人影と目を合わせると、あっちも私を見つめる。
でもおかしい顔は見合っているのに、向こうと目が合うことがない。
幼いながらも、その奇異に気がついた。
顔が無い――――それは、顔面が影で覆われたように黒く、靄がかかったように表情が曖昧だった。
年端も行かない子が、三つや五つで死んじゃうことは珍しくない。
だから今考えると、姉は五つの私に変わって、顔のない人に、連れていかれたんじゃないかと思った。
年月が過ぎその年、私も七つになった――――――――…………。
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