12話

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12話

「やっぱり目、腫れてる。」 翌朝、鏡に映る自分の顔に苦笑する。 昨日はあの後、泣き疲れて寝てしまって、目を冷やすこともしなかったから。 今日が休日で良かった。 …前は、月野さんがハンカチを濡らして持ってきてくれたんだっけ。 そのおかげで、翌日も目は腫れてなかった。 ちょっとしたことが、すぐに彼との思い出に繋がってしまう。 悲しい事は、泣いたら昇華出来ることが多いって言ってたのに。 「嘘つき…」 全然昇華なんて出来なくて、思い出の中の彼に八つ当たりしてしまう。 また、涙が溢れそうになって、蛇口を捻って冷たい水を出す。 しばらくバシャバシャと洗い続けると、少しサッパリした。 冷たい水のお陰か、目元の赤みもちょっとマシになってる。 洗面所を出た後、私は徐に部屋の掃除をし始めた。 ジッとしていると、ふとした時に月野さんを思い出してしまう。 だから、動いていたかった。 その間は、忘れられるから。 細かい所まで掃除していたら、あっという間に夜。 かなり綺麗になった部屋を見て、少し気分も晴れやかだった。 「今何時だろう?」 昨日から置き去りにしていたスマホを見ると、月野さんから何度も着信とメッセージが入っている。 だけど、メッセージは未読のまま、スマホを置いた。 何が書かれているのか、怖くて開けない。 いっそ私に対する文句でも書かれていたら、スッキリするかもしれないけど。 きっと彼の事だから、それはない。 多分、突然あんなことを言った私を、最大限気遣ったメッセージ。 今それを見るのは、怖い。 内容によっては、自分がまた、勘違いをしてしまいそうで。 休日明け。 出勤すると、好美さんがチラチラと私を見ているのに気付いた。 「あの、好美さん?どうかしましたか?」 「…陽花里ちゃん、仕事が終わった後、ちょっと時間貰える?」 「いいですけど…」 何かあったのかな? 仕事の事では無さそうだけど。 終業後、私は好美さんに連れられて屋上に来た。 「好美さん、何かあったんですか?」 「何かあったのは、陽花里ちゃんの方でしょう?」 「え?」 好美さんの言葉に、ピンと来なくて戸惑ってしまう。 「…昨日、家族でプラネタリウムに行って、月野君と会ったの。」 その言葉にハッとした。 「月野君、ものすごく落ち込んでたよ。陽花里ちゃんに嫌われたって。」 「嫌ってなんて…!」 「じゃあ何で、もう会わない、なんて言ったの?あんなに仲良しだったじゃない。月野君、理由が分からないから謝ることも出来ないって、すごく辛そうだったよ?」 月野さんが悪いわけじゃない。 彼は、何もしていないんだから。 ただ私が、勝手に好きになって、勝手に傷ついてるだけ。 「…彼が謝る必要なんて、ないんです。」 「どういうこと?」 「…実はーーーー」 初めて好美さんに、前の会社を辞めた理由を話した。 私がそれをきっかけに、もう優しい人は好きになりたくないと思っていたこと。 でも、優しい月野さんを好きになってしまったこと。 2日前に見たこと。 私がまた、勘違いをしていることに気付いたこと。 …もう、傷つきたくないこと。 全部ありのままに、好美さんに話した。 「だからもう、彼には会いたくないんです。…辛くなるだけだから。」 「…私には、2人はとてもお似合いのカップルに見えてたんだけどな。月野くんだって陽花里ちゃんのこと、特別に思ってるんじゃ…」 私はその言葉に首を振る。 「あの人は優しい人だから。私だけじゃなくて、みんなに優しいんです。」 私が特別なんじゃない。 あの日、あの女性を見送っている時の彼の笑顔が、その証拠。 私に向けられるものと、変わりない笑顔だった。 「そんな事、無いと思うんだけど…」 「…好美さん、お願いがあります。月野さんに、伝えてくれませんか?あなたは何も悪くないって。だから、気にする必要もないし、謝る必要も無いって。」 私のせいで、彼が苦しんでいるのだとしたら、それだけは解消してあげたい。 そして、自分勝手な私の事なんて忘れてくれたらいい。 「陽花里ちゃん…」 好美さんは、うんとは言ってくれなかったけど、きっと伝えてくれる。 そういう人だから。 ************* 金曜日。 会社の皆は、明日からの休みに朝からテンションが高いけど、私は逆に憂鬱な気分。 何かしていないと、まだ月野さんのことを思い出してしまう。 だから、仕事のない休日はあまり嬉しくない。 あの後好美さんは、月野さんにきちんと伝えてくれたみたいで、彼からの連絡は、パッタリと無くなった。 これでいいと思う反面、やっぱり自分が特別ではなかったと教えられているようで、胸が痛い。 「陽花里ちゃん、おはよう。」 「おはようございます、好美さん。」 「あ、そうだ。ねえ陽花里ちゃん。今日の夜空いてる?」 「空いてますけど…」 「私と一緒に、あの高台で星見ない?正確には旦那と子供も一緒だけど。」 「え…」 あの高台は、彼との思い出がありすぎて、あれからは近づいていない。 …出来れば、行きたくない。 「今日はこと座流星群なんですって。久しぶりにあそこから見たいって旦那が言いだしてね。それなら陽花里ちゃんも一緒にどうかなってことになったの。」 「でも…」 「…月野君なら、別の場所に見に行くって言ってたから、大丈夫よ。うちの子も、陽花里ちゃんと一緒に見たいって言ってるんだけど、どうかな?」 「じゃあ…行きます。」 「良かった。仕事終わったらそのまま集合することになってるから。」 「分かりました。」 そんな風に言われると、断ることは出来なかった。 終業の時間が来て、好美さんを見るとまだ仕事をしている。 「陽花里ちゃん、悪いんだけど先に行っててくれない?私まだ仕事が終わらないのよ~。旦那と子供が少ししたら来るはずだから、私は遅れるって伝えてくれる?」 「手伝いましょうか?」 「大丈夫よ。そんなにかからないと思うから、先に行ってて。」 「分かりました。じゃあ、先に行って伝えておきますね。」 好美さんを置いて会社を出ると、春とはいえ夜は肌寒い。 高台へと歩きながら、そういえば月野さんと出会ったのも、こんな肌寒い日だったな、と思い出して、苦笑する。 まだ私の中は、月野さんでいっぱいなんだな。 全然、忘れられない。 高台へと辿り着くと、まだ好美さんの旦那さん達は来ていないようで、高台に設置されてる手すりを持って空を見上げる。 キラキラ輝く星は、今日も綺麗。 ここは、彼との思い出が多い場所だから、星を見ていると色々と思い出す。 初めてここで流れ星を見た事。 終電を逃して、始発まで彼とここに居た事。 話してくれた神話。 ふとした時に触れた彼の温もり。 子供みたいに燥いだ笑顔。 そのどれもが、まだ鮮明に思い出せる。 胸が苦しくなって、目が潤み始めた時、下で車の止まる音がした。 ハッとして、目元をハンカチで拭う。 好美さんの旦那さん達に、こんな所を見られるわけにはいかない。 足音がして振り返ろうとした私は、聞こえた声に動きが止まった。 「振り向かないでください、陽花里さん。」 …もう2度と、この声を聞くことはないと思っていたのに。 久しぶりに聞く、大好きな声。 穏やかで、優しくて… でも、どうして…? どうしてあなたが、ここに来たの…?
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