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13話
「そのままで、僕の話を聞いてください。」
予想していなかった月野さんの登場に、緊張で体が硬くなる。
「すみません。こうでもしないと、陽花里さんは会ってくれないと思ったので。好美さんに協力してもらいました。」
その言葉に、好美さんに騙されたことに気付いた。
…変だと思った。急にここで星を一緒に見ようだなんて。
「…全部、聞きました。陽花里さんが、何で僕と会いたくなくなったのか。」
ああ、そうか。
好美さんは、全部月野さんに話してしまったんだ。
私の身勝手な感情も全て。
「陽花里さんは、誤解してます。」
誤解?
何を誤解していると言うんだろう。
「僕は、陽花里さんに向ける優しさを、誰にでも向けているわけではありません。」
…それは、嘘。
だってあの日も、変わらず優しい笑顔だった。
「陽花里さんが見たというあれは、職場の子が体調が悪いというから、駅まで送ってあげただけです。」
やっぱり、同じように優しいじゃない。
「あれが陽花里さんだったら、僕は家まできちんと送り届けています。」
……え?
「陽花里さんだったら、心配で仕方がなくて看病だってしています。駅までなんて、そんな冷たい事絶対しません。」
段々と近づいて来る足音と声に、更に体が強張ってしまう。
「分かりませんか?僕にとってあなたは、周りの人と同じなんかじゃない。特別な人です。」
すぐ後ろに彼の気配を感じた瞬間、抱き締められた。
「月野、さ…」
「…好きです、陽花里さん。出会ったあの日からずっと、僕はあなたに惹かれています。特別で、大切な人です。だから、もう会わないなんて言わないでください。ずっと、僕の傍に居てください…」
月野さんの言葉に、目の前の星の煌めきが滲み始めた。
…私は、なんてバカなんだろう。
「…ごめん、なさい…」
「謝らないで…僕がもっと早く、気持ちを伝えれば良かったんです。ただ、陽花里さんに振られたら、この関係も壊れてしまうって思うと、ちょっと怖くて。」
「月野さん…」
「陽花里さん。教えてくれませんか、あなたの気持ち。ちゃんと、陽花里さんの言葉で聞きたい。」
抱きしめてくれている腕に、そっと手を添えて、握りしめた。
1つ深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「…私、先輩の事があって、優しい人は好きになりたくなかったんです。だけど、いつも優しいあなたに、いつのまにか惹かれていて…」
そしてあの日、もうあんな風に傷つきたくないと、あなたから逃げようとした。
だけど、この気持ちは全然消えてくれなくて。
顔だけで後ろを振り向くと、久しぶりに見る彼の顔。
大好きな、優しい顔。
「私は、月野さんの事が好きです。」
彼の目を見つめて伝えると、嬉しそうに目を細められる。
すぐに、大きな温かい手が、頬を擽ってきた。
「嬉しいです、本当に…大好きです、陽花里さん。」
少しづつ近づいて来る気配に、そっと目を閉じる。
触れてくる唇は、やっぱり彼そのもので、優しく啄まれた後離れて行った。
後ろから抱きしめられたまま、2人で空を見上げる。
こんな風に星空を眺める日が来るなんて。
時々流れる流星も、今までよりもキラキラとしているように見える。
「今日も、綺麗ですね。」
「そうですね。やっぱりここから見るのが、一番綺麗だと思います。」
「今日は、こと座流星群、でしたっけ?」
「ええ。こと座にも、神話があるんですよ。ちょっと悲しいですけど。」
「今日も、話してくれますか?」
「もちろん。」
”音楽の女神カリオペと、トラキア王オイアゲロスとの間に生まれたオルフェウスは、優れた奏者として成長し、その才能を気にいった太陽神アポロンに竪琴を贈られました。
オルフェウスがその竪琴を演奏すると、どんなに争っていても聞き入って治まる程の優れた腕前でした。
やがてオルフェウスは、美しいエウリディケと結婚し、幸せな日々を送っていましたが、野で毒蛇に噛まれたエウリディケは死んでしまいます。
嘆き悲しむオルフェウスは、冥界へ行き、番人カロンや番犬ケルベロスを竪琴の演奏で魅了し、王ハデスの元へと辿り着きました。
エウリディケを地上に戻してもらえるよう懇願しましたが、世界の秩序を乱すわけにはいかない、とハデスが願いを聞き入れてくれない為、オルフェウスは再び竪琴を演奏します。その美しい音色を聞いたハデスの妻ベルセポネの説得で、地上に戻るまで決してエウリディケの顔を見ない事を条件に、地上に帰してもらえることになりました。
オルフェウスは喜び、エウリディケと地上に向かいましたが、あともう少しという所で、嬉しさのあまり、思わずエウリディケの方を振り返ってしまいました。
たちまち姿が消え、冥界へと連れ戻されたエウリディケを追い、再びハデスの元を訪れましたが、二度と願いは聞き入れられず、悲しみの中地上へと戻ったオルフェウスは、竪琴を演奏することは無くなりました。
悲しみに暮れて過ごしていたオルフェウスは、ある日祝宴中の女性達に、竪琴の演奏を頼まれましたが、それを断ります。すると、怒った女性達に殺されてしまい、竪琴と共に川へと捨てられてしまいました。
捨てられた竪琴は、ゼウスが天に上げこと座にし、オルフェウスは今度こそ、冥界で最愛の妻と一緒に過ごすことが出来るようになったのです。”
「⋯本当に奥さんの事を愛してたんですね。」
「そうなんでしょうね。そうじゃなければ、冥界まで行って頼み込むなんて事、しないでしょうから。」
悲しいお話だけど、冥界では二人がずっと幸せならいいな。
「…さっき僕が、陽花里さんに振り返らないで、って言ったのも、この神話の事を思い出したからなんです。」
「え…?」
「まあ、その場合消えちゃうのは、僕の方ですけど。」
苦笑しながら、抱きしめている腕に力を込めた月野さんは、私の肩におでこをくっつけた。
「振り返ってしまったら、陽花里さんが僕の前から居なくなるような気がしてしまったんです…神話とは逆だけど、離れ離れになるのは同じでしょう?そんなの、耐えられないから…」
「月野さん…」
「今こうして、あなたが僕の腕の中に居てくれて、本当に嬉しいんです。ありがとう、陽花里さん。振り返らずに、僕の話を最後まで聞いてくれて。」
「そんな…私こそ…」
月野さんがこうして、無理やりにでも会いに来てくれなかったら、私はきっと何を言われても、殻に閉じこもって会わないままだった。
この温もりに包まれる幸せを、知らないままだったはずだから、お礼を言うのは、私の方。
「月野さんが来てくれなかったら、それこそ私はずっと冥界です。あなたが来てくれたから、こうして地上で、大好きな人の腕の中にいられます。私の方こそ、ありがとう…咲夜さん。」
「陽花里さん…。あなたに名前を呼んでもらうのが、こんなに嬉しいなんて。もっと呼んでください、陽花里さん…」
「…咲夜さん。」
「はい。何ですか、陽花里さん。」
「…大好きです、咲夜さん。」
「僕も…愛してます、陽花里さん。」
彼の大きな手に後ろを向かされる。
さっきよりも性急に合わさる唇は、彼の熱を伝えてくるような長くて深いキスだった。
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