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7話
あの後、閉館時間な事もあって、漸く外に出た私は、月野さんに言われて入り口近くのベンチに座っていた。
「陽花里さん、お待たせしました。」
仕事を終えた彼が、手に小さな缶を持ってやってきた。
「これ、カフェオレなんですけど、良かったらどうぞ。」
「すみません。ありがとうございます。」
「それで…落ち着きましたか?」
「ごめんなさい。迷惑かけてしまって。」
突然目の前で女性が泣いたり笑ったりしたら、とても困ったはず。
月野さんには、何だか迷惑かけてばっかりだな。
終電逃して朝まで付き合ってもらったりとか。
「いえ、迷惑だとは思ってませんよ。ただ、心配だっただけです。」
「心配、ですか…月野さんって、優しいですよね、本当。」
「そんなことは…」
「ありますよ。出会ったばかりなのに、良くしてもらってばっかりで…本当、すみません。」
「僕がしたくてしてることなので、陽花里さんは謝らないでください。それで…えっと、何があったんですか?」
聞いてもいいのかな、って躊躇してる感じが、表情ですぐに読み取れてしまった。
素直な人なんだろうな。きっと。
「…最近、夢を見るんです。すごく嫌な、もう思い出したくない夢。」
「夢、ですか?」
「そう、夢。私、今の会社4月に入ったんですけど、前の職場を辞めた理由が、失恋なんです。」
「失恋…」
「いつも私の事を助けてくれていた優しい先輩がいて、私その人の事が好きだったんです。残業の後、心配だからって家まで送ってくれたりとかしてたから、もしかしたら先輩も私の事好きなのかもって思って、告白したんです。」
「…」
「でも、振られました。”ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ”って。」
言いながら、少し泣きそうになってきたのを、必死で堪える。
ここで泣いたら、月野さんをまた困らせてしまう。
「先輩、同じ会社に婚約者がいたらしくて。その人に後で言われたんです。”彼は誰にでも優しいから、いつか誰かを勘違いさせるって言ってたんだけど…ごめんなさいね”って。」
「…」
「前の会社を辞めてからも、時々その時の事を夢に見るんです。失恋なんて、今までにもした事あったのに、何でか忘れられなくて。…でも、今日やっと分かりました。」
「何を、ですか?」
「私、その婚約者の人に嫉妬してたんですよ。さっき、月野さんが神話を話してくれたでしょう?あの話を聞いて、アンドロメダが幸せになれて良かったって思ったのと同時に、羨ましいなって思ったんです。」
「羨ましい、ですか?」
「私にとってペルセウスだった先輩のアンドロメダは、私じゃなくてその人だったから。」
私は、先輩の言葉だけに傷ついたんじゃない。
あの人の言葉に嫉妬して、先輩の隣にいられるのが羨ましかった。
だってあの言葉は、彼を取られない自信がなければ出ないでしょう?
それに、彼女にとって私が、嫉妬の対象にすらならない存在なことに、自分でも気づかないうちに、傷ついていたんだと思う。
だから、半年以上経っても忘れられなかった。
「陽花里さん、泣いていいんですよ。」
「え?」
「ずっと、泣きそうなのを我慢してるでしょう?」
「…」
「その失恋をした時、あんまり泣けなかったんじゃないですか?」
「どうして…」
どうしてこの人は、そんな事まで分かってしまうの?
あの時、私は確かに、殆ど泣けなかった。
悲しかったはずなのに。
「悲しい事は、泣くことで昇華出来ることが多いんですよ。涙は、ストレスホルモンを外に出してくれるそうですから。僕が思うに、陽花里さんは、色々と考えすぎだと思うんです。好きな人の恋人に嫉妬するなんて、当たり前でしょう?」
「でも…」
「相手の女性だって、もしかしたら陽花里さんを牽制したのかもしれないでしょう?」
「牽制、ですか?」
「だって、変でしょう?いくら恋人が同じ会社にいて、他の女性に告白されたからって、態々”ごめんなさいね”なんて、そんな事言いに来たりしますか?」
「そ、れは…」
「僕には、”彼は私の物なのよ”って態々知らせに来たようにしか思えませんよ。陽花里さんはきっと、上手く吐き出せてないだけです。悲しさとか、怒りとか。」
「怒り…」
「恋人がいるのに、勘違いさせるほど優しいなんてどういうことだって、思いませんでしたか?」
「思いました…」
「そういう感情が、上手く吐き出せてないだけだと思うんです。誰にも言わなかったんじゃないですか?その時。」
「確かに…」
誰にも失恋の事は、言わなかった気がする。
友達にも、聞いてもらわなかった。
「陽花里さんは、色々ため込み過ぎです。思ったことを吐き出して泣いてしまえば、案外スッキリと忘れられるかもしれないですよ。」
そう言って、優しく笑いながら、頭をポンポンと撫でられた。
月野さんの手が優しくて、温かくて…
それが涙のスイッチだったかのように、次々と零れ落ちてくる。
何で私にあんなに優しくしたの?
彼女がいるなら、勘違いするほど優しくなんてしてほしくなかった。
そんなつもりじゃなかったって、じゃあどんなつもりだったの?
何で家まで送ってくれたりしたの?
ごめんなさいね、って何?私に対する嫌味なの?
涙を流しながら、ずっと言えなかった言葉がポロポロ零れてくる。
月野さんは、何も言わずに頭を撫でながら、それを聞いてくれていた。
しばらくして、私の涙が落ち着いてきた頃、月野さんがハンカチを濡らしてきてくれた。
「あんまり目元擦っちゃダメですよ。そのままだと明日腫れてしまうから、これを目に当ててください。冷やすのがいいらしいので。」
「…ありがとう、ございます。」
グズグズと鼻を鳴らしながら、持ってきてくれたハンカチで目を覆った。
「気持ちいい…」
「良かった。」
「色々と、すみません。お見苦しい所も見せてしまって…」
「いいえ。僕で役に立てるのならそれで。」
目を覆ってるから、彼がどんな表情か分からないけど、声が優しくて安心する。
「本当、月野さんに迷惑かけてばかりですね、私。」
「言ったでしょう?僕がしたくてしてることだって。ところで…もうこんな時間ですけど、帰りどうします?」
「え?」
「泣いた顔で、電車乗るの嫌かなって。良ければ、僕が車で近くまで送りますよ。」
多分、家までって言わないのは、この前と同じ理由なんだろうな。
ハンカチを取って、月野さんの顔を見た。
「じゃあ、家まで、お願いします。」
「え?あの、いいんですか?お家まで行ってしまって。」
「はい。お願いします。」
「じゃあ、僕の家まで車を取りに行きましょうか。すぐ近くなので。」
「はい。」
2人で夜の道を歩く。
プラネタリウムでの事を思い出して、空を見上げながら歩いていると、何かに躓いたのかよろけてしまった。
「危ないっ…!空見ながら歩いたら、こけちゃいますよ。」
「ごめんなさい。さっきの事思い出したら、空見たくなって。」
「さっきの…?ああ、プラネタリウムの事ですか?」
「はい。月野さんの説明、すごく分かりやすくて。あ、でも途中寝ちゃったんですけどね。月野さんの穏やかな声と、星空が癒し効果あり過ぎて。」
「実際、寝ちゃう人多いですからね。」
「そうでしょうね。」
だって、ヒーリング効果抜群だもの。
「今度流星群見る時に、もう一度説明しますよ。」
「え、いいんですか?」
「その変わり、寝ないでくださいね?」
「う…頑張ります。」
自信ないけど。
前を見て歩くように言われてしまった私は、ちゃんと気を付けながら月野さんに付いていく。
割とすぐに月野さんの住んでいる家に着き、促されるままに車に乗り込んだ。
多分、ここからなら20分ぐらいのドライブ時間。
道案内なんて出来ないから、カーナビに住所を打ち込む。
「寝てていいですからね。近くなったら起こします。」
「…月野さん、私のことすぐ寝る奴だと思ってます?」
「はい。」
笑顔で頷かれてしまった。
なんかちょっと拗ねたような気持ちになる。
「嘘ですよ。拗ねないでください。沢山泣いたから、疲れただろうなと思っただけです。」
本当かな…。
半分は本気だったと思うんだけど。
なんか少し悔しくて、絶対寝ないって思ってたのに、月野さんは運転までもが穏やかで、私はすぐに、あっけなく寝落ちしてしまっていたのだった。
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