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1988年には先発陣の一角として活躍し、25試合先発を含め31試合に登板して203回2/3イニングを投げ、10勝9敗・防御率3.40の成績を残し、両リーグ最多の204奪三振を記録した。規定投球回数以上の投手で奪三振が投球回数を上回ったのはパシフィック・リーグ史上初であり、最多奪三振のタイトル創設のきっかけとなった。同年はオールスターゲームの全パ・リーグ代表にも選出され、阪急西宮球場で開かれた第1戦でヤクルト・広澤克実ら5人から5者連続奪三振を記録したほか、同年10月19日に本拠地・川崎球場にて近鉄バファローズ相手に繰り広げられた伝説のダブルヘッダー「10.19」では第1試合のロッテ先発投手として近鉄打線の前に立ち塞がった。同年オフには推定年俸2,200万円で契約更改した。
ちなみに昭和最後となった1988年シーズンは西武ライオンズが4連覇を達成し、日本シリーズでも中日ドラゴンズを4勝1敗で破り3連覇となっている。なお、ビールかけは浩宮徳仁親王(現在の今上天皇徳仁陛下)の祖父で継宮明仁親王(現在の明仁上皇)の父裕仁天皇(昭和天皇)の体調不良を理由に中止となっている。
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