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お皿を持ってピルエット
今日はちょっとツイてる。
ここ二週間ばかり気になって仕方なかったベトナム風プリンにようやく出会えた。数量だか期間だか忘れたけどとにかく「限定」のプリン。
メーカーのプロモ写真に始まって購入直後の自慢げなものやクリームやフルーツで飾ったのを食べる動画などをSNSで連日見せつけられて、羨ましいというか妬ましいというか、モヤモヤした気持ちを抱えたタイミングで手に入れた。
退社後、自宅最寄り駅からちょっと回り道したところにあるコンビニに日参した努力が報われたというものだ。通勤路にある馴染みのコンビニだったら、これほどのありがたみを感じなかったかもしれない。
冷たいスイーツコーナーの片隅に一個だけひっそりと残っていたのを見つけた時は小躍りしそうになったし、帰り着くまでに何歩かスキップもした。
帰宅後、冷蔵庫に直行。せっかくのレアなプリンにプラスチックのスプーンを突っ込むなんて無粋なことはしたくない。だから最上段で皿やスプーンも一緒に冷やす。
食べる時は動画サイトで見つけた「簡単なプリンのお皿出し」を試したい。
何でも、皿にひっくり返して両手でしっかり固定して人間ごとくるっと一回転すると、遠心力でプリンは綺麗に皿に着地する…らしい。本当かどうか確かめたい。
「さてと」
楽しみはあとにとっておいて、夕飯作りを始めよう。今日はプリン以外の何も買ってないからあり合わせで。
一度閉じた冷蔵庫の扉を再び開ける。在庫はハム、豚バラ、豆腐、卵。野菜室に新玉ねぎ、キャベツ、もやしなどなど。最上段のことは見ないフリ。
「もやしを早いとこ使わなきゃ」
弱火にかけたフライパンの上でツナ缶を開けて油を切る。じくじくと温まった油に黒コショウを一振りして強めの中火にする。ツナ缶の味が濃いから塩は振らない。もやし一袋を入れて全体を軽く混ぜたあとツナを入れてまた混ぜる。黒コショウを追加してポン酢を回しかける。これで一品。
次は春のヘビロテメニュー、新玉ねぎの丸ごと蒸し。
薄皮を剥いててっぺんと根っこを切り除いて、完全に切り離さないよう注意しつつ根元に向けて十文字か星印に包丁を入れて、深めの器に移す。顆粒だしをふりかけて、ふんわりラップでレンジにかける。味付けは醤油かポン酢か、トッピングはかつお節かいりごまか…食べる直前に決める。
レンジが仕事してる間に、豚ばら肉を適当な大きさに切ってビニール袋に入れ、塩コショウ、チューブの生姜、めんつゆを揉みこむようにまぶして少し寝かせる。
さらにその間を利用して春キャベツを千切りに…と、スマホの通知音が鳴った。
画面が暗転する前にサッと読む。送り主はヤツ。
「今から行ってもいい?」
昨日来たから今日は来ない気がしてた。昨日以上に適当な夕飯なんだけど、何か言われるかな。でも今日もアポなしだし、ビールはあるし、まあいいか。
なんて思っているうちに、今度は玄関チャイムが鳴った。
「自分で開けてー」
キッチンから声を張ると、ガチャガチャドタドタと音をたててヤツが入ってきた。
「うぃーーー今日も働いたーーーーシャワー浴びていい?」
第一声がこれだ。いい?って一応尋ねるテイだけど、当然そうするつもりでいるのが丸わかり。ハグつきだから許す。
「いいよ、どうぞ」
ヤツはまたドタドタ歩いて風呂場に向かった。
私が作る料理はだいたいどれも酒肴っぽいし作り置きを兼ねて多めだから、急に口がひとつ増えてもどうってことない。
出来たてのレンチン新玉ねぎは一個しかないけど、シェアすればいい。ヤツは濃い味が好きだから、今日のトッピングかつお節で味は醤油だな。
ツナもやしをハリオの四角いガラス容器にザッと移して、空いたフライパンを洗ってまた火にかける。
フライパンが熱くなったところで油をひいて豚バラを炒める。これも強めの中火、焦げ付き防止。
フライパンをゆすりながら、これを何に盛ろうかと思案を巡らせる。
結果として遅くに来たヤツが全部平らげたけど、昨日の夕飯も残すの前提でハリオに盛った。
私ひとりだけならツナもやしと同型のハリオを使うところだ。食べたい分だけ小皿に取って残りはフタして片づけられるから。なんだけど…。
中身は違えど今夜も同じ器っていうのは、私は慣れっこでもヤツ的にはどうだろう? 長い付き合いの半同棲みたいな関係に、私は甘えてるのかしら。ほんのちょっとだけ気を遣う意味でも、フタ付き容器ではなく普通の皿に盛るべきかしら。
大きめの皿にキャベツを広げてフライパンの中身をあけようとした時、ヤツが風呂場から出てきた。ソムリエエプロンさながらに、腰にバスタオルを巻きつけて。
ああ、そんな格好で普通な感じでうちを歩き回るなんて…。全裸じゃない分、ヤツなりに気を遣ってる? だとしたら、私のハリオ愛用もお互い様?
「あーーーさっぱりした」
ヤツは冷蔵庫の扉を開け全体を見渡してから缶ビールを取り出した。
「市子も飲む?」
聞かれて「今日はやめとく」と答えた。「プリンがあるから」とは言わなかった。
プシッと缶が開いた。そして静寂。…………。
「くぁーーーーーーーーっ」
うんうん、風呂上がりのビールはたまらんよね。
「これとかこれとかこれとかテーブルに運んで。あ、その前に何か着て」
「はいはい」
Tシャツ短パンを着たヤツはビールを飲む合間に配膳し、着席する前にテレビをつけた。
プロ野球のシーズンが始まったばかり。テレビでセ、スマホでパの試合を同時に観るつもりらしい。
左手にスマホと時々リモコン、右手に缶ビールと時々箸。忙しいことだ。
ヤツの影響で私も野球のことが多少わかるようになったけど、実は今でも熱心な観戦者ではない自覚がある。
だから、有名な選手、監督、コーチの顔と名前、基本的なルールは知ってるし、わかりやすいプレーに感嘆の声をあげたりもするけど、戦略とか球種とかはわからないままで、贔屓チームが好調な時にヤツが熱く解説してくれても内容を理解できない。
攻守交代のタイミングでテレビはCMに切り替わった。スポンサーのCMではなく次週の雑学番組の予告だ。
「牛乳や卵に旬があるって知ってた?」と軽快なナレーション。「ええ~、旬?」とやや大げさなタレントの反応。
「牛乳や卵の旬ねぇ、一年中あるからピンとこないよね」
ちょっと話しかけてみた。
「………うん」
微妙な生返事。スマホの方の試合に気持ちが行っているようだ。たしかにテレビの方は凡退の連続で試合全体の雰囲気がゆるい。熱心じゃない私はすでに退屈だ。
ヤツはだらだら食いのだらだら飲み。玉ねぎと肉はほぼ完食でツナもやしが消え去るのも近そう。
「ああ、お腹いっぱい。お風呂に入ってこようかな」
実は胃袋にはまだ余裕があるけど、私はそう言って席を立ち風呂場に向かった。
「………うん」
お風呂って不思議だ。湯舟に入るとたちまち心身がほぐれる。掬ったお湯を腕を伝わせて湯舟に戻す手遊びを繰り返すうち時間を忘れることさえある。
はっと我に返って湯船から出て急いで全身を洗い上げても、ふたたび浸かるとまたゆったりとして口元が緩み溜息がもれる。
お風呂の魔力ってどうしてこんなに強力なんだろう。永久にこうしていたい…。
ってところで、ヤツのことを思い出した。ヤツは野球に夢中で私が長湯してることなんて気にも留めてないかもしれない。けど待たせてると思った途端、焦りが出てきた。
栓を抜いて洗い髪をタオルで纏めて風呂場から出ると、ヤツはなぜかパーカを羽織って玄関にいた。ビーサン履きで出かけようとしている。
「あっ、俺ちょっとコンビニ行ってくる」
「ふぅん、行ってらー」
これからあのプリンを半分こしようと思ってたんだけど。もちろん例のお皿出しを試した後で。帰って来るまでちょっと待つか。
キッチンを見ると既に食器の後片付けが終わっていた。
水切りラックの小さなカゴに菜箸や塗り箸と一緒に、冷蔵庫にあるはずのあのスプーンがある。
「ええっ?」
冷蔵庫の最上段には皿しかなかった。
やさしい気持ちがどこかへ消えた。
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