第4章:今夜は月が綺麗ですね。

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 親父を訪ねた後、まっすぐ家に戻る気には なれず秋の海岸を散歩する事にした。  まだ日が暮れる前なので、親子で散歩する人たちや波待ちのサーファーが結構いる。海の多様性を一目で確認できるこの町に住む素晴らしさを感じれる瞬間だ。  潮の匂いをたっぷり含む風を受けながら、俺は研究室を出る前に親父に言われた事を思い出していた。 「鉄羅、複数衝突説は現在一番有力なものっていうだけで、まだ変わる可能性があるから。民間企業が宇宙開発に関われるようになったので競争がまた始まる。他者に勝たいという思いは進化の原動力なんだよ。」    おい、まだそこにこだわるのかよ。とその時は思ったが、昔から親父は自分が必要だと思った言葉しか口にしない。その言葉は直接的でなくとも何かしら人に伝えたい想いがあり振り返るといつの間にか自分の教訓になっていたりする。  こうやって海を眺め彼の言葉を俺なりに良い方に解釈すると彼は「妥協せず頑張れ」と伝えたかったんだろう。進路の話をした時に航空宇宙学は他の産業で潰しがきくと言ったのが気になったのかもしれない。    月の誕生説だけでなく、花言葉や星占い、直接言わずに何かに想いを託すっていうのはずっと続いているんだな。  月詠のボーイフレンドに無性に腹が立ったのは、俺がずっと前に発見したが誰にも伝えれなかったFly me to the moonは愛の歌であることを夏目漱石の「今夜は月が綺麗ですね。」エピソードにつなげて上手に彼女に伝えていたからかもしれない。    ファザコンと言われ少し調べたけど、異性に対する愛情を家族に対して感じてしまうのは、家族は自分が初めて接触する異性なのでごく自然な事らしい。    俺は月詠に思春期に衝撃的な出会いをした。それは俺自身を揺るがすような大きな接触、ジャイアント・インパクトだった。  火星ほどの大きな天体が地球にぶつかり月が形成されたという巨大衝突説。複数衝突説が発表される前までは有力説だったが、奇跡に奇跡が重なってといわれるくらい様々な偶然を必要とするため新説に淘汰されつつある。  そういえば親父は巨大衝突説肯定派で、様々な偶然の確率をシュミレーションしていた時期があったな。    ふと砂浜を散歩している親子連れが目に止まった。俺が月詠を見つけて抱きしめた場所はあの辺だったかな。奇跡はあそこから始まったんだ。  家族に対するコンプレックスは普通に生活しているとそれ以上の相手に巡り会えるのでいつかは解決されるらしい。あのインパクトを超える出会いがこれから俺にあるのだろうか。  兄弟は結婚できないと日本の法律は定めている。片親が違う異母兄弟でも結婚は許されない。昔は実は血が繋がっていると知らずに結婚してしまった例が結構あったらしい。血が繋がっている事実を知らなければ、結婚は成立するという記事を読んだ時、親父が正直に母親に全てを話さず、月詠はアメリカ人の同僚から引き取ったと言い張れば俺たちは結婚できたかもしれないと思ってしまった。  日が暮れて風がぐっと冷たくなりサーファーたちは海から上がる準備を始めている。俺もそろそろ家に戻ろう。月詠の晩飯を作らなくては。外食をしてもいいが続くと彼女の体重が増える。そう直接言う事が出来ないのでヘルシーな料理を黙々と用意する俺は一体何者なのだろう。  とにかく今は彼女の悲しむ顔を見たくない。それだけだ。
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