上海の火鍋を食べながら聞いた「みんなピッコロの来世だと思ってるの」の話

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上海の火鍋を食べながら聞いた「みんなピッコロの来世だと思ってるの」の話

 会おうよ、という誘いが私はとても苦手だ。会おうと言われて心が躍るのはたぶん、人と話すのが好きな人たちなんじゃないかと思っている。理由なく会ったとして、何を話せばいいのか私にはいつも思いつかなくて、とても気まずい思いをする。  それでも五回目の誘いを受けた時、私は会いに行くことにした。彼女の誘いは火鍋会で、待ち合わせ場所のデパート入り口に着いた時、参加者は十人くらいいた。こんなに大勢だったら、自分が来なくてもよかったなぁと思いつつ、デパート内の火鍋レストランに移動する。上海の火鍋は食べているだけで楽しいので、帰国前にもう一度来られてよかったと思い直す。    英語と中国語が混ざった会話が飛び交う中、私は黙々とキノコと菜っ葉を食べ続けていた。英語は集中しないと聞き取れないので疲れる。脳のスイッチをオフにして目の前の野菜が煮えてるかどうかにだけ集中していたら、隣にいた女の子に話しかけられていた。彼女は黒い長髪を一つに結わえていて、銀縁の眼鏡をしていた。 「あなたもアーティストさん?」 「はい。あなたは?」 「私は音楽をやってるの。ライブして、あとは音楽系のライターもやってる」 「そうなんですか。すごいなぁ」 「ぜんぜんすごくないよ。親と住んでるし、自分の収入じゃ一人暮らしなんてできないもの」 「私もぜんぜんだからなぁ。毎日周りの人をうらやましいなって思ってます」 「そう? 上海に来られてるなんてすごくうまくいってる気がするけど、違うの?」 「うーん、そうかもしれないけど、この人はライターやってるんだ、いいな。ライブもやれてるんだ、いいな。あの人と知り合いなんだ、いいな。こんなことできるんだ、いいな。って人のことを羨ましがって生きてますね」  彼女は豚肉を鍋から取って器に入れ、私にも取ってくれた。私はゴマダレにつけて豚肉を食べる。 「私もそういうことあって、長い間嫉妬ばかりしてたよ」 「今は違うんですか?」 「うん。ある朝起きて急にね、私って人のこと羨ましがることに人生のほとんどを使っちゃってる! って気づいたの」 「すごい、唐突だ」  私は笑いながら器に菜っ葉を移す。 「でもやめられなかった。外に出るとみんな、私より才能があって私よりいい生活してて、結婚して子どももいて、みんなに好かれてなんか大活躍してそうって思ったの」 「分かるなぁ」 「人の不幸をがんばって探してたよ。成功して欲しくなくて、置いてかれたくなくて」 「それも分かる」 「だけど、友達が鬱になって休職して、そのまま引きこもって全然家から出られなくなったのね」  彼女の友人はそれから二年ほど仕事を休み、その後もフルタイムでは働けなくなったのだそうだ。 「すごく美人で頭も良くて、みんなの憧れだったの。そして私が一番嫉妬してた子。素敵な旦那さんがいて、誰もが憧れる生活じゃないって思ってた」  私はうなずき返す。 「お見舞いに彼女の家に行ったら、髪の毛もボサボサでやつれてて、本当にもう、すぐに死んじゃうんじゃないかって思うくらいだった。腕もすごい痩せてて骨みたいになっててさ。でも、リビングにマンガが置いてあったの。ドラゴンボールって知ってる?」 「もちろん」 「繰り返しずっと読んでるって言ってたんだ、彼女が。自分のことを考え出すと、涙が出てきちゃうんだって。辛くて、逃げ出したくて。でも、マンガを読んでる間だけはそれを忘れられるから、死なないためにマンガ読んでるって言ってたんだ」 「そっかぁ」  私は自分のことを思い返す。獣医を辞めてすぐの頃、したいことがあるわけでもなく、でも何かしないと暮らしてはいけなくて、どうしようもない焦りみたいなのを打ち消すためにひたすらマンガを読んでた時期があった。 「私もドラゴンボール好きなんだけどさ。彼女がマンガで命を繋いでるのを見て、今、うまくいってる人たちはみんなピッコロの生まれ変わりなんだって思うことにしたの」 「えっ、なにそれ?」 「ピッコロっていう緑の宇宙人いるでしょ。彼って家族愛みたいなのに飢えてたじゃない。でも、なんか最強になれるわけでもなく、長らく一人で暮らしてなかった?」 「最後はみんな仲良くっぽくなかったっけ?」 「いや、絶対、一人で荒野に住んでるよ。料理とかしてくれる人とかいなそうだし。みんなで火鍋食べにくるとかなかなかできない暮らししてるよ、絶対」  彼女が「絶対」を繰り返すので、私は彼女の意見に従うことにする。 「今、うまくいってる人がピッコロの生まれ変わりで、やっと人間になれた人たちなんだって思ったら、成功してよかったねって気になれたの。なんていうか、神さま目線?」 「ピッコロかぁ」  私はキノコを食べる手を止めて、会話を弾ませながら楽しそうに食事する周りの人たちを見た。彼女も顔を寄せてきて私に言う。 「ね、なんかさ、『よかったね、ピッコロ。友達いっぱいできたんだね』って気にならない?」  彼女に少し笑いながら言われると、私にもそう見えてきてしまったから不思議だ。
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