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ルーマニアの老人が気づいた「娘にダメだと言い続けた本当の理由」の話
ルーマニアでは水道水が飲めなかったので、水は買うか湧水を汲みに行くかのどちらかだった。ちょっとの節約と運動のために、私は三日に一度くらいのペースでペットボトルを抱えて丘のふもとまで水を汲みに行っていた。
半分崩れたような家がいくつもある小道を抜け、急な階段を上がっていく。丘の頂上まで行くと町が見渡せるが、湧水が汲める場所は、ふもとにあるのでそこまで上がらなくていい。ペットボトル二本分の水が溜まるのを待っていると、同じようにボトルを抱えた老人がやってきた。老人は私の姿を見ると、アーっと声を上げながら地面に置いてあった大きめの石の上に腰を下ろした。
老人の持ってたボトルのほうが小さく、一つしかなかったので、私は先に使うかと聞いてみたが、老人は手を振りながら「大丈夫」と答える。
「どこから来たのかね」
老人は大柄で鼻が大きく、散り散りの長い髪とヒゲを持っていた。目の周りには細いシワがいくつもあった。私が日本からです、と答えると、そのシワは一層深くなる。少し話してしまったのに、待っている間にまた無言になるのがとても気まずくて、私は老人にこの辺りは緑が多くてとても気持ちいい。今日は天気がいい、などと無難なことを話す。
老人は自宅の庭にエルダーフラワーが咲き乱れ、それで娘がジュースをつくってくれたと話していた。
「ご家族、仲良しなんですね」
「ようやく変わってきたんだ。時間がかかったんだよ」
早くに妻を亡くした老人は、娘と二人で暮らしてきたそうだ。老人の娘は物覚えが悪く、頼んだことを忘れて違うことを始めてしまうような子だった。
「掃除をさせればどこかだけやり忘れる。買い物に行かせれば頼んだものを忘れて自分の買いたいものだけを買ってきてしまうような子だったんだ」
老人は毎日のように娘を叱りつけ、なんとか一人前にしようとがんばっていたらしい。
「自分がいなくなった後、この子だけでも生きられるように教えてやらないとっていうのを、まるで儂の使命みたいに感じていたんだよ。当たり前のことがちゃんとできるように。それが親の愛情だと思っていた、その頃はね。
しかしある時、娘がずぶ濡れになって帰ってきた。何が起こったのかと思ったら、死のうとしたようなんだ。ただ、飛び込んだ川が浅すぎて、溺れもしないし、顔を水につければ苦しいしで結局、諦めて帰って来たんだと言っていてね」
戻ってきた娘は、ずぶ濡れのまま申し訳なさそうに老人に言う。
「いつもちゃんとできなくてごめんなさい。お父さんに迷惑かけてごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
謝り続ける娘を見て、老人は初めて、自分が娘を追い詰めていたことに気づいたのだと言う。
「他の子どもと自分の子を比べて、ダメだダメだと言い続けてしまった。普通の子はこれくらいできるもんだと。でも娘の方は、儂に怒りをぶつけるわけではなく、儂に喜んでもらおうと、いつも一生懸命だった。何も気づいてなかったのは儂のほうだったんだよ。娘が買ってきてたものは、儂が好きな物ばかりだったから」
それから彼女は結婚し、子どもを連れて老人のところに遊びに来るようになったそうだ。娘が苦手だった家事も、今は育ってきた子どもたちが娘のことを手伝っているという。
「娘が出て行ってから気づいたんだ。一人で生きる寂しさに。儂は娘をダメなやつにすることで、娘にとって自分は必要なんだって思いたかっただけだったんだよ。妻が急にいなくなって、一人になるのが怖かった。その恐怖を娘にぶつけていたんだ」
そのことを正直に伝えて以来、娘からは毎日連絡が来るようになり、頻繁に孫を連れて帰ってきてくれるそうだ。
「自分の本心、弱さや情けなさを直視するのは辛い。でもそれをちゃんと認めてやると、人生は大きく変わるもんなんだ」
ちょうど私の水のボトルがいっぱいになり、老人は再びアーっと声を上げながら立ち上がった。
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ここまで読んでいただきありがとうございます!
3冊目出したので、物語が気に入ってくれた人はこちらもどうぞ。
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