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黒い服に身を包んだエンジニアの女性が「他人を羨ましいと思わなくなった理由」の話
「あ、友達が近くにいるみたい。呼んでいい?」
上海にあるアトリエ滞在型のアートプログラムに参加していた私は、近くのギャラリーのオープニングで会った中国人アーティストを招待して、ホテル内で一緒にケーキを食べていた。彼女の手作りのチーズケーキはまだ半分くらい残っていた。
「うん、もちろん。ケーキもたくさんあるしね」
私たちはケーキと鞄を置いたままにして、一階に彼女の友達を迎えに行く。ホテル内はアーティストのみしか入れないようになっているため、カードキーがないとエレベーターのボタンが押せない。
「ハロー、はじめまして、こんにちは」
彼女の友達は、ショートカットの彼女と違って長い黒髪で眼鏡をしていた。黒い帽子に黒のロングスカートに大きめの黒いシャツ。右の鼻に銀色のリングピアスをしていた。
「こんにちは、どうぞ」
アトリエ巡りは後にして、私たちは一度キッチンに戻ってケーキの続きを食べる。私はコーヒーを淹れ直してみんなに配り、帽子の女性にケーキ用のお皿とフォークを渡す。
「すごい美味しいんですよー」
「そうだよね。彼女の家って、いつもケーキの匂いでいっぱいだから。いつも羨ましいって思ってたよー」
「えっ、そうなんだ。知らなかった」
帽子の女性と比べると、友達はアーティストだけど地味な見た目で、服装もスリムジーンズにシャツを合わせるような軽装だし、頭に華やかな赤いパターンの入ったバンダナを巻いているくらいだ。ちょっと無表情な雰囲気の彼女の方が、どちらかというとアーティストっぽく見えるが、彼女はエンジニアだそうだ。
「アーティストでケーキも作れて、私はそういうことはできないから、ずっとうらやましかったよ」
「うっそ、ほんとにー?」
友達が驚いた声を上げる。見た目的には彼女のほうがよっぽどアーティストっぽいのにと言うと、彼女は自分にアートは創れない、とはっきり言った。
「言われた仕事はできるし、それを組み合わせることもできるけど、アートみたいなものは私には創れない。ケーキも。こんなにキレイに盛り付けるのも難しいもの」
彼女にとって、アートも料理も特別なことらしい。ファッションにセンスがあるんじゃないかと聞いたら、彼女はコーディネイトを自分でやっていないのだと言う。
「できる友達に全部頼んで、その子が言うものをそのまま買ってる。服が変わると内面も変わるってよく言わない? だから、自分で選ぶより選んでもらったほうがいいなと思って。合理的でしょ? 私、本当にセンスっていうものが一切ないんじゃないかなって思ってる。
がんばろうとしたこともあったけど、できなくって全部諦めた。だからそういうのは全部、人に頼んじゃう」
上海だと料理は持ち帰りができるし安い。家で作らなくてもほとんど困らないのだと言った。
「ずっと羨ましく思うだけの生活してたけど、もう羨ましくない」
「へえ、どうして?」
「他人を羨ましがってた時は、想像力がなくなってたの。相手の、自分が憧れる部分しか見てなかった。相手の全部を想像したら、今の自分のほうがよっぽどいいって。
ケーキは作らなくても買えるし、アートも買えるしね」
彼女はチーズケーキを一口食べて「おいしい」と中国語で言った。
「私は自分で創りたい人じゃなかったから。周りにたくさんあれば十分。近くにアーティストがいてくれる生活ができたら、私は幸せ」
彼女はそう言うと、隣にいる友達の横でキスするような仕草をして見せた。
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ここまで読んでいただきありがとうございます!
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