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コペンハーゲンの川沿いで聞いた「毎日二人で丸を書き続けた時」の話
コペンハーゲンは川の多い町だ。五月にはすでに暑かったが、水着で川に飛び込んでいる若者も多くて驚く。水のある町が好きだからコペンハーゲンは歩いていても気分がいい。一眼レフを胸にかけながら歩いていると、巨大な鳥がのんびりと羽ばたいているのに出くわすことも多くて、やっぱり驚く。大都市でありながら自然も多い町だ。
国旗のはためく華やかな通りの近くを歩いていると、写真を撮って欲しいと声をかけられる。二人組の女性だ。一人は大きな黒いサングラスをかけている。大きいカメラを持っているせいか、世界のどこにいても「写真撮って」と言われることが多い。
渡されたケータイを構えると、彼女たちは肩を組んで笑顔をつくった。サングラスをかけているとあまり顔が見えないと気になったが外す様子がなかったので、私はそのまま撮ることにした。縦と横に向きを変えて写真を撮って、ケータイを返す。すぐに写真を確認した彼女は
「いいアングルだわ、上手ね。ありがとう」
「いいえー、ちゃんと撮れててよかった」
「日本人?」
「はい」
「やっぱりね。日本人の友達がいるの。なんか似てるなって思ったから」
近くに立つと彼女はとても背が高い。足が長く顔も細く、黄色いワンピースがすごくよく似合っていた。
「そうなんですねー。コペンハーゲンは旅行ですか?」
「そう、失恋旅行しに来たの」
「そうそう、振られた者同士でね!」
「仲良しですねー、いいなぁ、楽しい旅行ですね」
抱き合って楽しそうに笑う彼女たちを見て私も笑う。一人の女性がサングラスを外して頭に乗せた。その目の横にははっきり分かるくらい大きな傷があった。
「夫にやられたの」
「元、夫ね」
「そうそう。毎日殴られてたんだけど、別れられなかったの。俺がいないとお前はダメなんだってずっと言われてたから、そうなんだ、自分はダメなんだって思ってたの。彼がいてくれるだけありがたいって」
私はうなずきながら聞く。視線を合わせると視界には彼女の傷が必ず入る。
「私は失恋と仕事のストレスで一時期太っちゃってね。食べることをやめられなくて、体重が九十キロくらいあったこともあったわ」
黄色いワンピースの女性が言う。今のスタイルを見たらとても考えられない。
「何があって、そんなに変われたんですか」
今の二人からはとても想像がつかない。
「全然ダメだったことがあったの。もうどうしようもなくて、自分が大キライで。何も変わらないって、一生このままなんだって思ってたことが。そういう時期が本当に長かった。辛かった、本当に。ベッドに寝転がってお菓子だけ食べ続けて。寝て食べて寝て食べて寝て食べて。そんな時、たまたまなんだけど、彼女がフェイスブックでメッセージをくれたのよね」
「ずっと長いこと連絡してなかったんだけど、ふっと思い出して。彼女の家に犬がいるんだけど、あの白い犬はどうしたかなって急に連絡したの。おかしいでしょ。いきなり連絡して犬はどうしてるって」
サングラスの彼女は話をしながら声をあげて笑う。
「アヌークのことなら、もう死んじゃったわ。ずいぶん年取ってたからっていう話をして、それから今はどうしてるのって話をして…」
「お互いどうしようもない状態だねって話して。だけどせっかく久しぶりに会ったから、なんかを始めようってことになったの。大変じゃなくて、今の自分でもできそうなこと」
「それでね、毎日、丸を書くことにしたの。お互いに。毎日ひとつ丸を書く。簡単なことでしょ。でもそれすら毎日はできなくて。気持ちが落ち込んでどうしようもない時って、丸ひとつ書けないのね。こんなことしても何にもならない、無駄だっていう気持ちも大きくなっちゃって。
だから、もしも書けない日があったら、お互いに辛いって連絡しようって決めたの」
「書けないくらい辛いことがあった時には連絡する相手がいるし、連絡がなければ、お互いに相手が大丈夫なんだって分かる。連絡がないと、それだけでよかったって思えるのね」
「一年くらいそれを続けたらね、いつの間にか人生が大きく変わってたの。私は外に出るようになってた。食べることも減らして毎日歩いて、体重が減ってきたら仕事も見つかって」
「私はノートに丸を書き続けてたんだけど、三か月くらいしたらページいっぱいになってる丸が嬉しくてね。勇気を出して夫と別れようってして。時間はかかったけど離婚できて」
「そして新しい恋を見つけて」
「でも振られる」
彼女たちはまた笑いながら抱き合う。二人は、まるで一つの存在みたいに信頼し合っていた。
「でも私たちは本当に大変だった時期があるから、何かあってもまた始められるって分かってるの」
「そう、ちっぽけな丸を書き続けるってところからね」
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